投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月 2日(月)11時45分15秒  

繰り返しになりますが、当時の創価教育学会は、日蓮正宗の在家信徒ではありましたが、
創立時から「御書根本」「広宣流布根本」の団体であり、旧法華講のような
在家信徒が寺院や僧侶に盲目的に所属し、説法を受けるとの図式ではなかったのです。

この方程式に則って現在を語れば、会員は組織や幹部に盲目的に所属し、
説法を受けるという図式ではなく、学会組織と連携しつつ、一人一人が自分の頭で考え、
地域の広宣流布達成を目指していく責任と使命を自覚して、
実践する時代がいよいよ到来したといえるでしょう。

昭和に入ると軍国化した政府は、
一層宗教統制を強め、「大本教」「ひとのみち」「ほんみち教団」を弾圧して壊滅させています。

一九四一(昭和十六)年には、国家神道の下に宗教統制する目的で「治安維持法」が改定され
「神宮の尊厳を冒涜すること」が刑罰の対象となり宗教弾圧の口実とされました。

それにより、新宗教やキリスト教各派が弾圧されることになるのです。
国家権力は、日蓮宗各派に対しても、御書の中に天皇や神に対する不敬が
あるとして削除を求めてきました。

同年三月十日、日蓮正宗・本山で「僧俗護法会議」が開催され、
牧口先生は戸田先生と共に出席します。
その席上、牧口先生は、合同を迫る小笠原一派に対し、軍部政府の宗教政策に迎合することなく、
日蓮仏法の正法正義をつらぬくように主張しました。

その背景には、当時、宗門の高僧だった小笠原慈聞が、軍部とつながりがあって、
宗門に「神本仏迹論(神が本地で仏を迹とする邪義)」へ
教義の改変をするように主張していたことにありました。

本地垂迹説が、天照太神を絶対的な存在としていた当時の国家主義思想と正反対であるため、
権力による弾圧におびえた宗門は、本地垂迹説関連の御文の箇所を削除することで、
国家権力と神道に屈服し、日蓮大聖人の正義を捨てたのです。