投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月 2日(月)11時42分19秒  

それでは、牧口先生の宗教に対する考え方を「価値論」から見ていきましょう。

①「人を救い世を救うことを除いて宗教の社会的存立の意義があるわけがない」(一四二頁)。

宗教の社会的存在の意義として「人を救い世を救う」宗教でなければ、その存在意義はないと批判しています。

②「宗教と科学との関係においては互いに対立し、絶対に相容れない様に思われているのが現代の常識である。
神の世界・仏の世界・それらは科学者の望み得ない世界とし、わからないものだとしている。
・・・・以上の様な宗教と科学の関係を正しいとしている宗教は『真実の宗教』ではないのである。
・・・・真実の宗教は、その研究態度が科学的であり、
その研究の結果は論理的に体系づけられ且つ科学的な実験証明がなされねばならぬ」(一四三頁~一四四頁)と述べました。

このように「宗教と科学」とを対立的に考えることを批判したのも、日蓮仏法は、科学とは対立しないことを知ったからです。

つまり「道理と文証と現証との具有にあらざれば、仏法論述の自由を禁ぜられてある」(牧口常三郎全集五巻三五九頁)
と述べているように、文証(文献的証拠)、理証(理論的整合性)、現証(実験証明)という真理の確定方法が、
科学においても仏法においても共に必要とされることを指摘しているのです。

③「この本尊(日蓮図顕の本尊のこと)は、仏法の最高理論を機械化したものと理解してよろしい。
・・・・仏教の最高哲学を機械化した本尊は何に役立つかと云えば、人類を幸福にする手段なのである。
されば日蓮大聖人の最高哲学の実践行動は、この御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えるにあって、
この実践行動によって人類は幸福になり得るのである。

以上述べたように、宗教とは人生に幸福をもたらすべき物でなければならない。
すなわち、個人に、また社会に『利・善・美』の価値を創造させる根本のものというべきである」(一四七頁)

と述べ、宗教のための宗教ではなく、人間が幸福になるための宗教でなければならないと断言しました。