投稿者:虹と創価家族 投稿日:2017年 3月 6日(月)00時20分30秒   通報
私が会長を辞任し、名誉会長になった、その晩であった(1979年4月24日)。
深夜の高速道路を、2台の車が東京へ疾走していた。
乗っているのは、関西の青年たち。誰かに言われたわけではない。ただ、私が会長を辞めたと聞いて、居ても立ってもいられず飛び出した。
「我々は、池田先生とともに戦うんや!」と。
真剣な、嵐の中に毅然として、真夜中に走り飛んでくれた、その正義の叫びと、若鷲の翼の姿が、嬉しかった。

この年(1979年)の7月17日、関西の同志は誓い合った。
一、革命精神の原点・関西!
一、二十一世紀への世界の人材の宝庫・関西!
一、全国に信心の波動を起こす関西!
断固として関西は立ち上がった。師弟の魂が燃え上がった。
さらに、威風も堂々の挑戦が開始された。

(「随筆 新・人間革命」64 「師弟の魂・大関西」)