投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2017年 2月16日(木)17時14分41秒   通報
テヘラニアン 仏教の説く理想的境地が、p180
弟子たちによって「不死の境地」と表現されているのですね。

池田  ええ。釈尊自身、伝道の開始に当たって次のように述べています。
「不死への門は開かれた」(『律蔵』「大品」第五章第十二節)
「暗闇の世において不死のドラムを打とう」(同、第六章第八節)
釈尊も「不死」の語を自らの教えに対して使っているのです。
この「不死」とは何を意味しているかが重要となります。もちろん、文字どおり、肉体
が不老不死ということではありません。

テヘラニアン  そうです。そう受け取るべきではありません。実際、ゴータマ・ブッダは
死んだのですから。

池田  また、霊魂不滅説肉体は霊魂の器であり、人の死後霊魂は肉体を離れ、他の肉
体に移るを、仏教が否定していることはいうまでもありません。
ゆえに「不死」は霊魂不滅説でもありません。輪廻説も同様です。事実として輪廻する
かどうかではなく、先ほど博士がおっしゃった「象徴的意味」を理解しなければなりま
せん。大切なことは、輪廻説を確信することによって、どのように意識を変革でき、また
人生がどのように変革できるかです。

テヘラニアン  そのとおりです。仏教の「輪廻説」が教えているのは、霊魂不滅説ではな
く、人間は他の動物と等しく自然の部分であり、他の生物に対して支配的立場にあるので
はない、と思うべきであるということでしょう。

池田  そうですね。実際にどうか、という次元を超えて、例えば、あそこにいる鳥はもと
は自分の親族だったかもしれない。ここにいる犬は菩薩が修行のために、願って苦しむ
生を選択したのかもしれない。そう思う人は、鳥たちや犬たちを軽蔑できません。慈しみ
の心が出てきます。
そのように思うことによって、生き方が変わっていきます。
自分が非常な苦しみの立場に生まれてきた。そこで「私は過去世に、同じ苦しみの人を
救うことを誓って、この人生を選んだのだ」と確信すると、生き方が変わるのです。

テヘラニアン  非常によく理解できます。「輪廻思想」は、あらゆる生あるものを親族と
して敬うことに結実してゆかねばならないのです。
また、勇気をもって苦しみと対決することに結実していかねばならないのです。
しかし、その「輪廻」の物語を象徴としてではなく、文字どおりに受け取ると、厳格な
カースト制度を維持するイデオロギーにもなりかねません。

池田  そう、そのとおりなのです。文字どおりの輪廻思想はバラモン教で説かれています。
バラモンたちは輪廻思想を吹聴し、過去に積んだ悪業のゆえに現在の身分が決定して
いる。したがって、身分の低い人間は社会にその責任があるのではなく、その人が悪いの
だと主張していたのです。

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ここが大事。
輪廻説を確信することによって、どのように意識を変革でき、
また人生がどのように変革できるかです。

自分が非常な苦しみの立場に生まれてきた。そこで「私は過去世に、同じ苦しみの人を
救うことを誓って、この人生を選んだのだ」と確信すると、生き方が変わるのです。
願兼於業です。