投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2017年 2月16日(木)17時00分49秒   通報
『仏教の「輪廻説」が教えるもの』

池田 さて、仏教とイスラムといえば、一般には、その生死観に大きな違いがあると思わ
れています。
テヘラニアン  仏教は人は何度も生まれ変わる「輪廻説」であり、イスラムはキリスト教
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やユダヤ教と同じく、人は一度だけ死んで、最後の審判のときに再生するという考えです。

池田  このイスラムと仏教の相違と思われていることについて、少し語り合いましょう。

テヘラニアン  結論を先に申し上げるならば、教えの「象徴的意味」に目を凝らせば、
表面的な相違にもかかわらず両者は深く通じ合うと私は確信しています。

池田  少し、仏教の生命観を述べさせていただきますと、原始仏典に『テーラ・ガーター』
『テーリー・ガーター』と名づけられた一対の経典があります。「テーラ」とは男性の仏弟
子、「テーリー」とは女性の仏弟子です。いわば、釈尊の弟子たちの体験談集ともいうべ
きものです。
ここでは、仏弟子が仏教に帰依する以前、どのような生活をし、何に悩んでいたかが赤
裸々に語られます。

テヘラニアン  それは、興味深いものですね。

池田  そこでは、親や子、愛する者との別離、病、貧しさ・・・さまざまな苦悩が、釈尊と
の出会いでどのように癒やされたかが述べられます。
注目すべきことに、「不死なることを得た」「不死なる境地を得た」などという表現で、
そのときの境地が表されるのです。

テヘラニアン 具体的にどのようなものがありますか。

池田  例えぼ次のような一節があります。
「わたくしは、一族を失い、夫を失って、世間の人々には嘲笑されながら、不死の道を
体得した。
わたしは、八つの徳目からなる聖なる道(八正道)、不死に至る道を修めた」(『テーリー・
一ガーター』第二二一、二二二節)
「これは不老であり、これは不死であり、これは不老不死の境地です。その境地は憂いな
く、敵なく、さまたげなく、過ちなく、恐れなく、熱苦を離れています」
(同第五一二、五一三節)