投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2017年 2月16日(木)16時56分27秒   通報
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もとより、生存もできないことが、実感されるようになりました。
人間を自然の上位におき、自然を支配する啓蒙主義の傲慢さが、人類を自然の一部と見
る環境保護論者の思想から挑戦を受けているのです。

池田 その見方は、ネイティヴ・アメリカンやオセアニアなどの先住民、イスラムや仏
教やヒンズーの思想、第三世界の思想に大きく影響されています。

テヘラニアン おっしゃるとおりです。この第四世代の権利思想は、自然と諸生物の相互
依存関係を主眼にしています。それは仏教の縁起思想と同じなのです。
さらに、いま、私たちは視点を人間の「権利」から人間相互の「慈愛」へ移すことを可
能にする「第五世代の思想」が必要となりました。この移行は、権利から責任へ、法令か
ら社会的義務へ、法の条文から法の精神へ、知識から心への転換を意味するでしょう。

池田 よくわかります。「人権」の歴史を大変わかりやすく説明していただきました。
「人権」に対する考え方を深化させてきた歴史が、釈尊の「慈悲」をはじめとする世界
宗教の教えの地平に近づいてきたことは、私も実感しております。
いまおっしゃった「第五世代の人権」とは、自らに見るものというより、尊敬の念とと
もに他者に見るべきものといえるでしょう。そこに仏教の「慈悲」との親近性があります。
仏教の人権思想を象徴するエピソードがあります。
あるとき、釈尊は一人の病人に出会います。釈尊は、その病人の体を拭いてあげ、その
汚れた寝具を洗い、日に乾して、次のように弟子たちに言います。
「病める人に尽くすことは、仏に尽くすことと同じである」と。

テヘラニアン なるほど、「慈悲」は”上から下”への施しや哀れみではなく、尊敬の行
動であるのですね。

池田 仏を敬う行為と同じというのですから、いわば”下から上”ともいえる。だから仏
教においては利他的行為が「行」つまり、自らを高める「修行」になるのです。

テヘラニアン よくわかります。卓越した考えです。まさしく、第五世代の人権思想をリ
ードする素晴らしい理念です。