投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 2月11日(土)18時57分4秒   通報 編集済
神力品八箇の大事

☆第三十方世界衆宝樹下師子座上の事

【本文】
第三十方世界衆宝樹下師子座上の事

御義口伝に云く十方とは十界なり此の下に於て草木成仏分明なり、

師子とは師は師匠子は弟子なり座上とは寂光土なり十界即本有の
寂光たる国土なり云々。
[語訳]
此の下に於て草木成仏分明なり.

「此の下に於て」とは
「衆の宝樹下の師子座上」の文をさし、

宝樹とは草木の仏界であり、
師子座上とは国土の仏界である寂光土を明かしている。

ゆえに四条金吾釈迦仏供養事(1145頁)に
「国土世間と申すは草木世間なり……
此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ

画木にて申せば草木成仏と申すなり」とあるように、
依正不二の原理により草木成仏、国土世間の成仏が明かされている。
【先生の御講義】

師弟不二の信心の実践のあるところ、その国土世間は、即寂光土で
あるとの、甚深の義を示されている。

仏法の究極は、師弟相対、師弟不二にあるといっても過言ではない。
師は原理を示し、弟子は、師匠の教えを、

微塵も誤りなく実践し、応用化して、

師匠の理想を身をもって実現していくのである。
そこには毛筋ほどの違背もあってはならないし、

不惜身命の決意がなくてはならない。
第二祖日興上人のことを
「法水瀉瓶(ほっすいしゃびょう)・唯我与我(ゆいがよが)」と申し上げるが、

師匠の確信、信心、智慧、生命力のすべてにおいて、
そっくりそのまま受け継いでいくのが、真の弟子である。

一つの器から、新しい別の器に水を移すように、中身においては、全く同じなの
である。

ただ、その法器すなわち生命の活力に若さがある故に、師匠の示された教え、
原理を実践化し、その理想、理念を具現していくのである。

仏法の師弟不二、師弟相対は、甚深の哲理であるから、今ここで、全てを説
き尽くすことは、到底出来ないが、その一分を述べれば、以上のごとくなの
である。

この師弟相対のあるところが、即依正不二で、たとえ、それが地獄界であろうが
、餓鬼界であろうが、常寂光の仏国土に変わっていくのである。

如説修行抄(502頁)にいわく.

『法華折伏・破権門理の金言なれば終(つい)に権教権門の輩を一人もなく・せめ
をとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成って妙法独り繁盛せん時、
万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨.壌(つちくれ)を
砕かず』云々と。

現代の世界は、まさに修羅界、畜生界、餓鬼界であり、時には地獄界をも呈して
いる。

この暗黒の世界を寂光の楽土に変えていく道こそ、御本仏、日蓮大聖人に信伏随
従し、大聖人の弟子として、自ら信心を全うすると共に、全民衆を、この如説
修行抄(502頁)の御文に『一人もなく・せめをとして法王の家人となし』と仰せの
ごとく、

御本仏日蓮大聖人の家人であり弟子たるの栄誉に浴さしめていく事である。
しかして『吹く風枝をならさず』とは宝樹であり、『雨壌を砕かず』とは師子座
すなわち、寂光土ではないか。

この理想の世界建設の為の信心であり、仏法である事を、深く自覚していただき
たい。また、自己の真剣な信心の研鑽と成長とは、必ず、依正不二で、幸福なる
社会、平和な世界の建設に直結している事を確信すべきである。