投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 2月10日(金)20時49分44秒   通報
オーストリアの声楽家サイフェルト元文部次官

聖教新聞2008年7月27日

1992年6月、芸術の都ウィーンにあるオーストリア文部省の一室。ここで、池田名誉会長の世界平和と文化交流への貢献を讃え、「オーストリア共和国学術・芸術最高勲位栄誉章」の授章式が行われた。

サイフェルト次官が演台に立った。「ここにおられる名誉会長夫妻は……私たちのお父さん、お母さんのような方です」 茶目っ気たっぷりの挨拶に香峯子夫人が照れ笑いをする。
このとき、次官は右足を骨折していた。それでも「私がご夫妻をお迎えします」と、周囲の心配を振り払った。ウイーン到着時には、空港まで車いすで出迎えている。

一方、名誉会長夫妻は、次官の真心に深く感謝し、余分な負担をかけないよう、種々、配慮を重ねたのである。

まだ面識がないころ。サイフェルト次官は、人に勧められ、トインビー博士と名誉会長の対談集を播(ひもと)いた。

「人は死んだら、どうなるのか」。はたと手が止まった。西洋の碩学(せきがく)を相手に東洋の仏法者が生命論で渡り合っている。しかも私が心で感じていたことを、口に出して明快に言ってくれている」。胸のつかえが、すーっと取れるようだった。

その後、1989年7月、東京で初の出会いが実現した。「きっと白髪の老哲学者だろう」。だが「お会いして、びっくり。若く、生き生きとした行動の人でした!」。

哲学博士でもある次官に、名誉会長は、分かりやすく永遠の生命を語っていった。

「西洋では、人生は『一冊の本』のようなものです。一方、東洋では、生と死は、いわば本の中の『一ページ』。ページをめくれば次のページがあるように、常に生と死を繰り返す。これは貴国のクーデンホーフ・カレルギー伯爵が語っておられたことです」

「仏法では、死を『方便現涅槃(ほうべんげんねはん)』とも説きます。疲れた体を休めるために睡眠をとるように、死とは、生き生きとした新たな生への出発の準備であると、とらえるのです」

次官は「本当に知りたかったことを直接、教えていただき、うれしい」と喜んだ。

次官の両親は、ともに目が不自由で、父は盲目の音楽家だった。幼いころ次官は、父の手を引いて墓地にも行った。家計の足しのため、葬送の音楽も引き受けていたからだ。

この父の手が、彼女を素晴らしい「歌曲の世界」に導いてくれた。人の死と真摯に向き合うきっかけともなった。

父母を偲ぶ次官に、仏法の「追善」の考えを語り、「貴女の中に(亡くなった)ご両親は生きているのです」と励ます名誉会長。「私も、生命の永遠性を確信しています」と次官は瞳を潤(うる)ませた。

1991年、次官が、ウンカルト博士とアルプスの村で結婚式を挙げた時、大きな花束が届けられた。名誉会長夫妻からだった。「こんな山奥まで、先生と奥様が、どうして私たちのために!」

北海道で、神奈川で、出会いは9度。長時間、次官の身の上の相談に乗ったこともあった。「一人を大切に」。その振る舞いに次官は、仏法の哲学の真髄を見るのである。

次官は語った。「私の時計には文字盤が二つあります」と。「一つはウィーン時刻。一つは日本時刻。そしてウィーンにいるときは、日本時刻を見ながら、池田先生ならば、どうされるかを、いつも考えるのです」。まさに「師とともに」の人生である。

2001年9月。千葉青年部総会の席上、次官が学会歌「今日も元気で」を日本語で披露した。
♪ 先生 先生 われらの先生
歌う次官の視線の先には、両手を挙げて、勝利のVサインをつくる名誉会長がいた。
ユッタ・ウンカルト=サイフェルト ウィーン大学で哲学博士号を取得。オーストリア政府の元文部次官。ソプラノ歌手。ヨーロッパ青年文化協会会長として青少年教育に尽力する。