投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 2月 7日(火)19時57分42秒   通報
第12回
ローマクラブ創設者 ペッチェイ博士

☆☆必要なのは人間自身の革命です☆☆

アウレリオ・ペッチェイ博士と池田SGI会長は、それぞれ本を携えていた。

SGI会長が持参したのは『二十一世紀への対話』日本語版。歴史学者トインビ
ー博士との対談集である。ペッチェイ博士は、SGI会長の小説『人間革命』の
英語版。博士は、稀代の碩学トインビー博士が「ぜひとも会ってほしい」と推薦
した知識人の一人だった。

1975年5月16日、フランスのパリ会館に着いた博士は、こう切り出した。
「私は、今まで、『人間性の革命』を唱え、行動してきました」「しかし、それ
をさらに深く追究していくならば、究極は『人間革命』に帰着すると考えるよう
になりました」この日は、マリサ夫人の誕生日だったにもかかわらず、イタリア
から遠路、駈けつけた。

5月の日差しがまぶしい。緑の絨毯にオレンジのパラソルを立て、語らいは2時
間半に及んだ。「人間性革命と人間革命の関係について、お聞かせください」と
博士。SGI会長が答える。「『人間性革命』の大前提になるのが、人間性を形
成する生命の変革であると思います。その生命の根源的な変革を、私たちは『人
間革命』と呼んでおります。」

博士は笑みを浮かべた。「私もきょうからは『人間革命』でいきます」「人類は、
これまでに産業革命、科学革命、テクノロジー革命と『3つの革命』を経験して
きました。これらは、どれも『人間の外側の革命』でした。……技術は進歩して
も、文化的には化石のように進歩が止まっている。そのギャップを埋めるために、
必要なのは『人間精神のルネサンス』です。『人間自身の革命』です」

2人の出会いは、博士が創設したローマクラブのリポート『成長の限界』が出版
された、3年後であった。リポートは、経済成長一辺倒の現代文明が、このまま
では破局を迎えると論じ、世界に衝撃を与えた。博士は、「人類を破滅から救う」
責任感を胸に、同クラブの会長として東奔西走していた。当時66歳。SGI会
長は47歳。だが、年上の博士が「センセイ」と呼び掛ける。

キビキビとした身のこなし、厚い胸板。洗練された振る舞いの中にも、謙虚さが
ある。第2次世界大戦下にファシストと戦い、戦後も長年、生き馬の目を抜くビ
ジネスの世界で生きてきた。鍛えられた人間だけが持つ、鋼のように強くしなや
かな精神がにじみ出ていた。物質文明に酔い、エゴの衝突を繰り返す人類を憂い
つつ、なおも「私は人間を信じているし、人間革命を信じている」(『人類の使
命』)と綴った博士。

この人間理解をつくったのは、なんといっても、ファシストと戦った経験であっ
たに違いない。博士は、学会の牧口初代会長、戸田第2代会長の獄中闘争につい
ても熟知し、「正義の道を貫かれた」と話した。SGI会長に促され、レジスタ
ンス(抵抗運動)の闘士だった時代について語り残している。44年2月、35歳
の時に博士は逮捕された。ムッソリーニ政権は崩壊状態にあり、代わってナチス
・ドイツがイタリア支配を拡大していた。

抵抗運動の最高機密である「軍事計画書」「暗号表」を持っていた博士は、当局
の拷問の標的となる。顔が変形してしまうほどの暴力。それでも口を割らなかっ
た。博士を弁護する友人にも、博士に不利な証言を引き出すため、拷問が繰り返
された。友人も、博士を売り渡すことはなかった。博士はSGI会長に語った。
「痛手を受けた分だけ、私の信念は鍛えられました。絶対に裏切らない友情も結
べました。だから逆説的には、『ファシストからも教えられた』というわけです」

後に獄中体験を、こう綴っている。「この捕われの身の十一か月は、私の人生を
最も豊かにした時期の一つである」「私は、人間の中には善を求める偉大な力が
潜んでいることを確信するようになった。この潜在力は解き放たれるのを待って
いる」(『人類の使命』)

パリの青空の下、「人類への責任感」で意気投合した博士とSGI会長は、将来
の対談集出版に合意。5度の語らいを重ねた。79年11月の東京。滞日わずか
2日間という過密日程を縫って、博士は聖教新聞本社を訪ねた。81年6月のフ
ィレンツェ。博士は自ら小さな車を駆って、ローマから4時間の道のりを走った。

82年1月の東京。国際友好会館(当時)の庭を、SGI会長と歩いた博士は「こ
の庭も美しい。しかし、真実の友情以上に、この世で美しいものはない」――と。
最後の語らいは83年6月21日。舞台はパリに戻った。SGI会長の宿舎を訪
ねた博士は、アメリカでの会議を終え、同日朝に着いたばかりだった。しかも、
空港で全ての荷物を紛失するという事態の中、約束の時間に間に合わせるため、

着の身着のままで現れたのである。「誠実の結晶のような人」(SGI会長)で
あった。最後まで、人類への責任を果たそうとする情熱は衰えなかった。「民
衆の心の底流にある平和への志向性は、表面に現れた軍備増強という志向性よ
りも強いはずです。時代の大転換期の今こそ、人間の本来持つ賢明さ、英知を
結集することによって、平和への転換を図らねばなりません」と博士。

「民衆の声は、平和への最大の武器です。この武器に勝るものはない」とSGI
会長は応じた。「私たちの対談は、永続的な平和達成への道程となるに違いあり
ません」博士はこう語り、さらに対話を続けることを強く望んだ。だが、翌84
年3月、75歳で世を去った。ドイツ語で対談集『手遅れにならないうちに』
(邦題『二十一世紀への警鐘』)が発刊された、同じ月だった。

対談集は今、17言語で出版され、世界中で読まれている。SGI会長は長男の
ロベルト氏、次男のリカルド氏と会い、博士を偲んだ。博士の後継者であるリカ
ルド・ディエス=ホフライトネル名誉会長とも友情を結び、対談集『見つめあう
西と東』を発刊した。ローマクラブの「名誉会員」ともなった。現在の共同会長、
ドイツのエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー博士とも対談を行っている。

ペッチェイ博士が、亡くなる12時間前まで口述していた『今世紀の終わりへ向
けての備忘録』。そこには「人類の唯一の頼みは人類の質と、全世界の構成員の
質を高めることです」と。人類の質を高める――すなわち「人間革命」であった。
博士との誓いのままに、SGI会長の挑戦は続いている。