投稿者:まなこ 投稿日:2016年12月29日(木)19時44分8秒

【池田】 現在のように近代技術文明が地球全体を覆い尽くしてしまう以前は、災害は、そのほとんどが自然災害、つまり天災だったといえましょう。
そうした天災といわれる環境異変は、人間にとって恐ろしい脅威であったため、人類は必死になってこれに抵抗し、しだいにその脅威を乗り越えてきました。たとえば、土木工事や気象観測などによって対応してきたわけです。また、かつて猛威をふるった伝染病の流行に対しては、衛生学や医学の発達が大きな力を発揮するようになりました。つまり、こうした災害との戦いのなかから、科学の発達ももたらされたわけです。
しかし、現代では、人類の生存を断ち切るものは、もはや天災ではなく、人災であることが明らかになってきました。いや、むしろ人災としての要素を含まない天災などありえないほど、科学が駆使しうる力は巨大になってしまっています。

【トインビー】 環境に及ぼされる人間の力が、すでに人類の自滅を導くところまで達したことは、もはや疑問の余地がないように思われます。もし人間がその力を貪欲を満たすために使い続けるなら、自滅は必至でしょう。 人間は、本来、貪欲な存在です。なぜなら貪欲性は生命の特質の一部だからです。人間のもつこの貪欲性は、また他の生物にも共通のものです。しかし、他の生物と違って、人間には意識があり、そのおかげで自分の貪欲さを自覚できるわけです。つまり、人間は、貪欲性に力が加わると、それは破壊性をもち、したがって悪となる、ということを認識できるのです。このため、人間はまた、自己抑制の実践という、困難な倫理的努力を払うこともできるわけです。

【池田】 つまり、人間の内面的な変革があって初めて、災害防止の方途も見いだせるということになりましょう。私は、政治家や企業家や科学者をはじめ、人間一人一人がこのような視点から災害の原因を見つめなければならないと考えます。さもなければ、地球を破滅から救うことはできないというところまで、現代社会はきているように思われます。
一部の科学者は、現在の災害はすべて科学が一段と発達するならば、やがて防止することができると考えているようです。しかし、私はそうは思いません。公害をはじめ、人間の行為が引き金となって起こった災害を、科学の一層の発達によって解消しようというのは、科学の力を過信することではないでしょうか。それでは、むしろ人間の倫理的な変革という、現代に最も要求される根本的課題から目をそらさせ、ひいてはさらに大きな災害をもたらす要因ともなりかねません。
現代文明はたしかに科学を駆使することによって、一面では自然災害を防いできたという実績があります。しかし、もう一面をみるならば、その業績自体が人災の原因となり、新しい災害の起因となった場合が少なくないわけです。

【トインビー】 力がもたらす邪悪な結果に対応するためには、知的な行為ではなく、倫理的な行為が要求されます。ところが、科学は倫理的には中立の一つの知的作業です。したがって、科学が発達し続ける結果どうなるかは、倫理上用いられる善悪という意味合いで、科学が善用されるか悪用されるかにかかっているわけです。科学が生み出す諸悪は、科学それ自体で根治することはできません。