投稿者:まなこ 投稿日:2017年 1月 2日(月)23時27分7秒   通報
【池田】 その通りですね。科学技術は、あらゆる生物を含む自然界を征服したり統治したりする目的に用いられるべきではありません。科学はむしろ、人間が自然のリズムに調和し、その律動ある営みを最大限に生かしきっていくために、活用すべきでしょう。これは、たとえば人間生命と薬剤や外科的手段のようなものです。投薬や手術も、人間生命がもつ本来の治癒力を生かすために適用すべきものだからです。
私は、科学者にしても政治家にしても、また高度の科学技術に立脚する現代産業にたずさわる人々にしても、すべてこうした科学技術の用い方に徹してほしいものだと思っています。それによってこそ、人間が自然界に反逆した結果生じた災害、つまり人災を防ぐことが可能になると考えます。
したがって、これにはまた、科学者をはじめ現代のあらゆる人々が、自己の生命の内奥から自然に対する姿勢を改めていくことが、どうしても要請されます。私は、ここに科学技術文明をリードすべき宗教の役割があると信じます。
すなわち、まず宗教のもつ理念によって現代人の思想の転換が図られる。次いで、こうした変革を経た人々が、科学者や技術者を中心に、科学技術の環境への適用を図っていく。そしてさらに、そこを基点として、新たな段階の科学技術の発達が期される。――こうした三つの過程を通じてこそ、私は、初めて人災の防止と科学の進歩が両立できると考えるのです。

【トインビー】 もしわれわれが、自然は人間のためにあるという仮想のもとに行動していくなら、科学は破壊的な目的のために使用されていくことでしょう。この集団的な自己中心的仮想は、各個人の精神生活の場においてのみ克服できるものです。すなわち、人間一人一人が、それぞれの自己中心性を克服していかなければなりません。したがって、まさに御指摘の通り、宗教のみが、人間本性の働きのなかにあって、個人的にも集団的にも、自己を克服するよう人間の心に働きかけてくれるものなのです。
われわれは、人間の生命とその環境に対する宗教的な姿勢を通してのみ、かつて祖先たちがもっていたと同じ認識を、もう一度取り戻すことができるのです。すなわち、人間はずばぬけて巨大な力をもちながらも、やはり自然の一部にすぎない存在であること、また人間は、自然をこのまま存続させ、自らも必要な自然環境のなかで生き続けようとするなら、あくまで自然と共存していかなければならないことを認識できるわけです。
宗教は、意識をもつ存在、したがって選択力をもち、そのためにまた不可避的に選択を迫られる存在にとって、生きるうえに不可欠なものであると思われます。人間のもつ力が増大すればするほど、宗教は必要になってきます。科学の応用についても、それが宗教によって啓発され善導されなければ、科学は欲望の充足のために利用されてしまいます。そうなると科学はきわめて効果的に欲望に奉仕し、したがって破滅を招くことになるでしょう。