投稿者:まなこ 投稿日:2016年12月23日(金)12時14分23秒   通報
【池田】 人間が自然を征服し、さらに破壊へと進むにつれて、自然界の根本的な一定のリズムが狂い始め、そこから、いわば痛めつけられた自然が人間に対して反逆を始めたといってよいでしょう。
現代文明が、そのように自然の破壊にまで進んだ根本原因は、所詮、次の二つに尽きると思います。一つは、自然界は人間とは異なる別の世界だという考えがあったことでしょう。自然もまた、たとえ人間生命とは異なるにしても、本質的には人間生命と相互に関連しながら、一定のリズムを保っている“生命的存在”だということを忘れてしまったわけです。
もう一つの原因は、博士が指摘されるように、人間は神に最も近い存在であるから、他の生物や自然界を征服し、人間のために奉仕させるのは当然だという、ユダヤ一神教的な考えが現代思想の底流にあったからだと思います。
この二つの思考が重なり合いながら、現代科学文明の底流を形づくってきたと考えます。

【トインビー】 ユダヤ的思想が初めて系統立てられたのは、遠く紀元前九世紀の昔、パレスチナにおいてでした。しかし、この思想が遠慮会釈なく実行され始めたのは、十七世紀に入ってからのことです。本来、ユダヤ的思想は、それを理論として受け入れてきた人々の間では、実際的に活用するということはまれだったのです。たとえば、イスラム教徒の場合、彼らは近代技術の導入、ならびに近代技術を役立たすべき理念と目的の採用については、他のいかなる文化的民族よりも躊躇してきました。
イエスは正統のユダヤ人でしたが、彼の教説を記録したものによれば、彼は、経済的な欲望は神への奉仕とは相容れないものであると説いています。したがって、イエスは、経済の計画化、資本の蓄積、技術などを非難しています。また、総じて経済的に報酬を得る仕事を賛美することを非難したわけです。
イエスが貪欲性という悪に対して敏感であったのは、注目に値することです。というのは、イエスはパレスチナに住んでいたのですが、それは当時まだパレスチナのユダヤ人のほとんどが農民で、“依正不二”の精神そのままに、自然環境との調和を図りながら生活していたころの話だからです。イエスの時代、パレスチナのユダヤ人社会には、現代人のような考えをもつ資本家や工場主はいませんでした。したがって、イエスを取り囲む社会環境には、際立った貪欲というものはまれにしかなかったのです。にもかかわらず、イエスは、いつの時代、どこの場所にあっても人間性に本来そなわっている貪欲性というものを見抜き、これを弾劾したわけです。
さらに、十二世紀西欧のキリスト教の聖者、アッシジのフランチェスコの生涯と教説と実践には、もっと意義深いものがあります。フランチェスコの父は衣類の卸売業者で、経済的に成功を収めた最も初期の西欧資本家経営者の一人でした。フランチェスコは、こうした父の生き方に反逆しました。ちょうど一小国の王子だった仏陀がそうしたと同じく、フランチェスコも財産を棄てて、わざわざ清貧の道を選んだのでした。そして、これもまた仏陀と同様に、修道僧団を創設し、それによって自らの理想を広め、その理想を実現するための教戒を広めました。
フランチェスコは、イエスからの感化を受けています。しかも、イエスもフランチェスコもともにユダヤ的伝統の中で育ちましたが、両者の“依報”に対する態度は、ユダヤ的思想に内在するものとは正反対のものだったのです。彼らはともに、人間による、人間以外の自然の搾取を認めませんでした。イエスは、小鳥や野花に経済的な打算のないことを賛美し、人間である彼の弟子たちもそれらを見習うべき手本であるとしています。
フランチェスコは、人間と他の生物、無生物を含む自然とが親密な間柄にあることを知り、そこに喜びを見いだしました。彼は、仏教用語でいえば“依正不二”の熱烈な信奉者であり、賛嘆者だったのです。どうも私には、フランチェスコが、科学技術によって助長されたその後の西洋における貪欲の崇拝を、直観によって予知していたように思われるのです。