投稿者:まなこ 投稿日:2016年12月22日(木)08時06分50秒   通報
【池田】 おそらく、そうであったはずです。ところが現代の科学文明は、自然と人間とを対立関係でとらえ、人間の利益のために自然を征服し、利用しようという発想をその底流にもっていたのではないでしょうか。科学は、まさにこの発想を基盤とし、原動力として発達してきたといえないでしょうか。私は、ここに現代の自然と人間の調和が崩れた一因があったと考えています。

【トインビー】 “依正不二”を意識的に、しかも全面的に侵害する端緒となったものは、ユダヤ一神教という革命的な理念です。“宇宙の中および背後にある精神的実在”と私が呼んでいるものが、ユダヤ教では、人間の姿をした、ただ一人の超越的な神に凝縮されていると信じられていました。そしてこの信念には、宇宙にはその神以外に神性をもつものはないという、もう一つの信念が含まれていたのです。人間も、人間以外の自然も、この仮想の神によって創造されたと考えられました。これは、人間が道具や芸術作品や制度をつくるところから類推されたものです。
この創造主は、自ら創造したものを自由に処分する力と権利をもつものとみなされました。『創世記』第一章第二十六~三十節によれば、神は、自ら創造したもののうち、人間以外の一切を人間の自由に任せ、人間が好きなように利用することを許したとされています。
この革命的な教義が、結果としては“正報”と“依報”の“不二”性を破壊することになったのです。人間は自然環境から切り離され、自然環境はそれまでもっていた神聖さを剥奪されました。そして、もはや神聖不可侵でなくなった環境を、人間は勝手気ままに利用することを許されたわけです。人間は、元来、自分の環境を畏敬の念をもって見ていたのであり、そのほうが人間にとってはむしろ健全でした。ところが、この畏敬の念が、イスラエルのユダヤ一神教創始者たちだけでなく、キリスト教徒やイスラム教徒によっても、放逐されてしまったのです。