投稿者:まなこ 投稿日:2016年12月21日(水)08時24分48秒   通報
【池田】 それは興味深いことです。またそれは、十分ありえた事実だと考えられますね。かつて日本人は、そうした優れた精神的規範を先祖から受け継ぎ、人間と環境の調和を保とうとする信念をもっていました。そのために近代に入る以前まで、日本の自然は美しく保たれていたわけです。ところが、近代に入って、欧米先進諸国に追いつくことを理想としたため、伝統の宗教や自然に対する態度、さらには人間同士の間の倫理さえも捨て去って、物質的欲望の追求に狂奔するようになってしまいました。
ここで、われわれ現代に生きる人間が、何よりも鋭く見抜いていかなければならないことは、近代科学技術文明が、人間の物質的欲望の解放のうえに成り立つ文明であるということです。この点を正しく認識し、判断していかないかぎり、自然の破壊から、ひいては人間の破壊へと至る、現代文明の誤りを是正していくことはできないのではないでしょうか。

【トインビー】 われわれの祖先が人間として歩み始めて以来、人類は、自然環境を自分たちの要求にもっと合わせようと、絶えず改変してきました。これはべつに人類に限ったことではありません。人間以外の多くの生物も同じことをしてきたわけですが、ただ、人間と違って、環境に対して意識的、計画的に働きかけなかっただけのことです。ともあれ、いまから二、三百年前までは、人類も、また地球上のその他の生物も、人為的な環境を押しつけてまで自然環境を抹殺するようなことはなかったのです。
もちろん、すでに産業時代に入る以前から、元来肥沃であった地域のいくつかが、放牧や耕作や伐採などのやりすぎのために、不毛の砂漠に変わってしまったことは事実です。当時のこうした“依正不二”の侵害は、産業時代に入ってから人間が自然に対して行なった所行の、不吉な前兆だったわけです。とはいえ、自然に対する人間のこのような初期の冒涜も、まだ局地的、部分的なものにすぎませんでした。当時はまだ人間の技術力に限界があったため、自然に対する侵害も、半ば無意識のうちに制約されていたわけです。もっとも、この段階では、人間はある程度意識的にも、人間以外の自然の汚損に制限を加えていました。つまり、“依正不二”の概念によって制約を受けていたのです。
この理念、理想は、東アジアやギリシア・ローマ世界に限られたものではありません。私の考えでは、もともと、人類に共通するものであったと思います。