投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年12月 5日(月)10時48分54秒   通報
創価教育学体系一巻より 学問発達の三段階

「第一期は人類は多数相集り社会を形成して種々の生活行動を日常経験しながらも、未だ真理に対する自力的認識の能力が発達しない。其れが為に先覚者の人格を信じて、其の人の言葉を一も二もなく尊重して、決して間違いはないと、少しの疑いもなく信仰する時代である。」

「第二期は人智がやや発達して、今迄他人にのみ依頼して居た状態の中に、自分の経験からたまたま或真理を発見して、自己の力を過信して来る場合である。あたかも或る小さな発明家が其の初期に於ては、他人から見て児戯に類するようなことでも、非常に熱中し、誇大に信じて、其の価値を正当に判断するに遑(いとま)がない状態の如く、一切の真理を自分の経験に依って決定せんとする時代である。」

「第三期は自分の力をむやみに過信した第二期生活の反動として、単に自己経験のみに執着せず、広く衆人の同様な経験を比較対照し、且出来るだけの材料を集め、それに依って科学的、合理的の概念・理法を構成する時代である。」

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信心(人間革命)においても、同じ三段階の過程をたどるのではないか。信心したての第一期は、組織や先輩の言う通りに信心活動に励み、疑わずに実践していくことが肝要である。そこで信心の基礎と、福運の基盤を構築していくこと。土台をつくることに専念し、素直に吸収していく時期である。

第二期は、ある程度の信心のコツをつかんでいる状態であり、組織や先輩に頼るのではなく、自分の頭で考え行動する、信仰者としての自立の段階である。いろいろな指導があるが、「自分はどう思うのか」と、自身の考えを明確にし、自立する。皆が聞きたいことは、「先生はこう指導されている」ではなく、その上で、「あなたはどう思うのか」という、「あなた自身の言葉」である。

第三期は、自立した信仰者である自身に限界を感じ、洗練された信仰者へとバージョンアップする段階である。自身の考えを確立することはよいが、その場合、独りよがりになるリスクがある。また、自身の考えがすべて正しいわけでもなく、自己満足にも陥りやすい。御書や創価三代の指導、さまざまな人の考えや経験等と、照らし合わせ、自分の信心が、仏意に合致しているかどうか、広宣流布のためになっているか検証していく。

信心していても、人として成長しなければ、価値を生み出せない。牧口先生は、教育の発達において、第一段階を出ることがないことを歎かれた。信心も、第一段階で止まっていては、これからの、弟子の時代を乗り越えることは出来ない。限界を突破し、洗練された信仰者へと信心を深化させる必要がある。その先に、自身の発迹顕本も、出世の本懐の成就もある。また、54年体質脱却のキーにもなる。

組織や幹部(先輩)、池田先生頼りの第一期の信心から、自分の頭で考え行動できる、自立した第二期の信心へと成長すること。そして、限界を感じ、御書、三代会長の指導、種々の考えや経験から比較検証し、洗練された信仰者へのレベルアップの第三期の流れが、人間革命の道である。創価学会とは学ぶ会であり、学ぶということは、成長するということなのである。