投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年12月12日(月)08時40分3秒   通報
光輝様

>もっともっと成長して迎えたいのです
どうしたら、成長して迎えることができますか?
ジョーカー様のご意見を教えていただけますか?<

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何を祈っているか。それがその人の境涯をあらわします。境涯革命(成長)とは、祈りを変えることが出発であり、ゴールでもあります。本末究境等こそが仏法であるからです。その上で、人が成長する要素を、三点ほど挙げたいと思います。

・艱難辛苦
耐えられないほどの苦しみがあってこそ、人は正しく生きられる。艱難辛苦こそが、人間を磨き、成長させます。法華経の行者は冬の如しとはこのことです。春のような平穏な日々は、楽でありますが、そこには成長はありません。艱難辛苦の厳寒こそが、法華経の行者の歩む道です。
日蓮大聖人も、創価三代もひどい目に遭いました。悪しき権威・権力と対峙し、闘争するということは、艱難辛苦は必須です。長きに渡り苦しめられ、不遇の境遇となります。途中の勝敗ではなく、最後の勝利をもぎ取るための戦いです。多勢に無勢、10倍勢力の悪から迫害され、亡き者にされます。祈りとしては、「広宣流布のために、艱難辛苦を与え給へ」という覚悟の一念に立った時に、急速に成長することができます。

・善知識
「長い時間、共に過ごしている5人の平均が自分自身」ということをよく言われます。「類は友を呼ぶ」という諺もあるように、自分の親しい友人こそが、自分自身の鏡となる。近しい5人をみれば、自分の境涯がわかる。だからこそ身近の5人を意識することが大事になります。
例えば、学会内の中にも、権威主義と戦える人はごくわずかです。自分が戦う側か、それとも従う側か。戦う側になれば、戦う友人ができます。自分が成長した分だけ、身近な5人は変わっていきます。逆に、人間関係に変化がなければ、成長していないことを意味します。釈尊は、善き友人を得ることが、仏道修行のすべてと云われた。自分が善き人間にならなければ、善き友人はあらわれない。広く浅くではなく、身近な5人の友人に意識を向けること。そこに成長のヒントがあります。

・恥をかく
人は成功よりも、失敗から学ぶ生き物です。また、新しいことに挑戦すれば、必ず失敗し、恥もかきます。無傷の勝利などありえないのです。常にワンランク上をめざし、自分が恥をかく環境に身を置くことが、成長のための環境といえます。緊張もしない、恥もかかないというぬるま湯状態が続けば、「もうこれでいいか」と思ってしまい、成長は止まります。これを惰性といいます。失敗し、恥をかくことを厭わず挑戦していくことが、自身を成長させます。

以上三点を意識し、人生を生きていくならば、必ず成長することができます。箇条書き程度の文章ですが、参考にしていただければ幸いです。