投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年11月27日(日)21時54分33秒   通報

「生命の若者たち 池田会長と一千万人の記録」
五島勉 著 大和書房
12章 池田大作氏の真実

「あどけない贈り物」

沖縄本島の最北端、名も無いような小さな部落から、一人の少女がはるばる
池田氏をたずねてきた。元江ゆかりちゃんと言う、十一歳になったばかりの
小学生だった。もっとも、小学生って言っても、満足に学校に通っていられる
ような環境の子ではない。部落の近くはどこもひどい荒地。

あるいはいまだに焼けただれた戦争のあと。その向こうの少しでも良い場所は
すべて米軍の戦闘基地。農夫として必死に働いた少女の父は、彼女が3つの時、
過労と風土病のため亡くなった。

その後は母親が細々と働いてくるわずかな収入で、時には草の根をかじるような
暮らしを続けてきた。たまたま、同じ部落に学会員の婦人が住んでいて、熱心に
すすめられたので、数年前から母子そろって入信した。それからは、母親には
明るく働く希望が生まれ、生活もいくらか楽になった。

母子は正法の慈悲と遠い東京の池田氏の指導に手をあわせていた。
そこへ会長一行の沖縄訪問。何とかして、ひと目先生に会いたい、と母子は
願った。そこの部落からは、幹線道路に出るのにさえ、起伏の多い広い荒地を
越えなければならず、普通ならとても行かれない。が、幸運なことに、偶然
トラックを都合してくれる人が現れて部落の学会員ぜんぶ(19人)がそれに
便乗した。

荒地を越え、基地を横に見て、トラックは一路、那覇の学会沖縄本部へひた
走った。その間、ぶっ続けに4時間。しかし途中で一回だけ止まった。荒地の
果てに桜の木が1本、ひっそりと咲いていて、ゆかりちゃんがどうしてもそれを
折りたいと聞かなかったからだ。

あの枝をほんの少しだけほしい。あたしたちは貧乏で、何にもおみやげがない
から、せめてあの枝を折って先生にあげたい。桜だって命があるものだから、
本当は折るのはよくないけど、ほんの少しだし、先生のためだし、ご本尊もきっと
許してくださるでしょう・・・。

母親達はゆかりちゃんの強情に負けて、少しだけ枝を折らせた。ゆかりちゃんは
その枝をしっかり抱え、胸をワクワクさせながらまたトラックに乗った。
だいたいこんな経過をたどって、少女は那覇の本部にたずねて来たのだった。
「それはちょうど夕方で、先生の指導はもう終わったあとでした。各地から
集まった会員達も、おおかたひきあげ、先生はとても疲れておられました。

・・・・・僕らには何も言われなかったけど、顔色から見て、また熱を出しておら
れたんじゃないかと思います。」原田君はその時の様子をふりかえって、
感慨ぶかそうにこう話す。

「それでも先生は、遠い辺地の部落から、はるばるうちの人達が来てくれた。
ときき、“うれしいな、すぐ会いましょう”と言われましたよ。・・・・“やあ、
大変でしたね。本当は私の方から行かなきゃいけないのに”そう言って先生が
あらわれると、みんなはトラックからかけおり、とりすがったり涙を流したり・・・・。

そのとき先生は、ゆかりちゃんの桜にジッと目を止めました。
ゆかりちゃんは桜を抱えて、先生の胸にぶつかるように走り寄ってきました」
そしてゆかりちゃんは言った。泣きながら、とぎれとぎれに。
「先生、これがあたしのおみあげです。ほかに何もあげられる物がないから、
途中で折って持ってきたんです。いけなかったかしら?

もしいけなかったら、先生、ウンとあたしを叱って下さい!」
池田氏はしばらく黙っていた。ずいぶんこわい顔をしていた。 もしかすると怒ら
れるんでは、と、ゆかりちゃんも部落の人達も、原田君も、少しヒヤヒヤして氏の
表情を見守った。

しかしそれは杞憂だった。池田氏がこわい顔になったのは、怒ったためでなく、
一生懸命涙をこらえたためだったのである。でもこらえきれず、とうとう瞳が
キラリと光った。はにかみやの会長の涙を、原田君はこの時、秘書役になって
以来はじめて見た。

「それからも感動でしたね。先生は目をしきりにパチパチやって、ゆかりちゃんの
涙もふいてやって、とてもうれしそうな声でこう言われたんです。
「ああ、ありがとう、こんなに素敵なおみやげ貰ったの、生まれてはじめてだよ。
何をお返しにあげようか。・・・そうだ。いま聞いたら君はお父さんを亡くした
って言うから私がかわりにお父さんになってあげる。いいね?。君は今日から
私の娘だよ。

今度からお父さんの名前は?って聞かれたら、“ハイ、池田大作といいます”
胸を張ってそう答えるんですよ」
ゆかりちゃんは何も言えずにただ泣いていました。
その後、先生はゆかりちゃんと手をつないで、その辺を散歩したり、
何かごちそうしたり・・・本当の父親のようにやさしくしてあげてましたね」