投稿者:小作人@地上の発心 投稿日:2016年11月27日(日)16時40分37秒   通報

   『一人の時は勤行しよう。二人集まったならば教学の学習をしよう。三人となったならば
  広宣流布のために語り合い、実践する』――どうか、この気概で進んでいただきたい

                   (『新・人間革命』第27巻 「激闘」の章/p254)

・・・・・・いかに時代が移ろうとも、この反復が広宣流布のリズムの基調をなす。

「一人立つ」とは「おひとりさま」を決め込むのとは真逆の意味であり、一人の屹立した信仰者としての日常を支える軸をどこに据えるかで、その一個人のみならず彼・彼女を基点とする広布伸展の在り様も大きく変わってくる。

一人で何を、どこまで出来るか・・・。
「人はひとりでは生きられない」ことを思い知らされる経験を積むのが自立への第一歩であり(←このあたり内田樹の受け売り)・・・では自立した仏法者の核(コア)をいつまでにどのように形成するか? 他人が用意したテキスト・マニュアルに依存せず、目の前の一人また一人との魂の触発から逆照射して、勤行・唱題根本に一人で何をするかを日々明瞭にしていくことである。

——————- ——————-

・衛星放映を通じて満天下に「私も個人折伏必ずやりま~す(棒)」と公言しておきながら、まる一年、経過報告の素振りもない。
・謎の南米旅行から帰国して早々言うことは「新聞売れ売れ~!」
・11.18を目前に控えた幹部会で開口一番「ほら財務だ、カネが要るんだ、出せ出せ出せ~!」

と、あの鼻から抜ける不快な口調でまくしたてる後期高齢者が会長の座にしがみついて離れようとしないのである。

筆者がかねてからここに記してきた「一人では何をしたらいいか分からない学会員」の究極形が彼、原田稔なる男というわけである。

皆さん方はかような雑魚の生態を力強い軽蔑の眼差しでもって見下ろし、広布の大海を悠然と渡り切ることである。
雑魚とは違うのだよ、雑魚とは。。

——————- ——————–

  ・他人が定めたルールに唯々諾々と従い、
  ・他人が立てたスケジュールを淡々と消化し、
  ・誰かが用意したテキストをただ読み上げ、
  ・誰かに期待される人間像で組織に没入する。。

・・・・・・ここからどれだけ脱却できるか。
日常の所作を見直し、動線を少しずつ変えていく。・・・動線を変える???

夜も更ける中、仕事で疲れた体を引きずって家路を急ぐ。そのまま何も考えずにまっすぐ帰るか? 自宅までの道のりに一軒や二軒、部員さん宅の前を通る。灯りが点いているかどうか。点いていない家にはメモ用紙でも便箋でも手短に一筆走らせ置いていく。
一人暮らしのひもじさをかこつ者には、
「飯ちゃんと作って食ってますか? 外食ばっかだと高うつくし、牛丼・ほか弁は栄養偏るし、コンビニ飯は体に悪いで」
こんなんでよろし。会合の連絡入れて来れる人やったら最初から苦労せんわな。。