投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 2月26日(木)02時22分22秒  

悪を見破ることはどうして難しいか。それは、悪というのは、嘘を嘘で塗り固めているわけではないからである。小賢しい悪というのは、「真実の中に嘘を紛れ込ませる」。つまり、1%の嘘を隠すために、99%の真実でコーティングする。これがプロフェッショナルというものです。たった1%以外はすべて真実であるから、見破ることは困難であり、100人中99人が真実だと言えば、人は信じてしまうものです。

会則変更も、「師敵対」という偽り(嘘)を覆い隠すために、それ以外はもっともらしい真実でカムフラージュする。創価学会員の99%はそのことに気づくことはなく、情報も一方通行のものだけしか入らないので、簡単にコントロールされてしまう。真実にたどり着けるのは、わずか1%の人間だけである。

0と1は全然違う。1という数字の中にすべてが含まれていて、そこから始まる。1を甘くみると、とんでもないことになることは、「一銭を笑うものは一銭に泣く」ということわざにもあるように、絶対になめてはいけない数字なのである。人というのは、「自分一人が動いてもどうにもならない」と、無力感に支配されがちですが、とんでもない。おそろしい力(無限)を秘めているのが1という数字である。

人間革命の主題も、「一人の人間における偉大なる人間革命はやがて一国の 宿命転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」であり、一人の人間の、決意と祈りと行動が、物事を大きく動かしていく原動力となる。

御書においても、「うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」(P1056)とあるように、これもたった一つのものがすべてを台無しにすることを意味している。

大組織というものは小回りが利かず、意外と脆いものである。わずかな綻びから崩れ去ってしまう危険性を有する。そして、一度崩れてしまったら立て直すことは容易ではない。「9割はついてこられる」などという言葉が、いかに呑気で悠長な言葉か。これはまさに1を馬鹿にしている証拠である。1を大事にするかしないか、この奥底の一念のタッチの差が、現実にあらわれてしまう。指導者になる人間は、よくよく知っておくべきことである。

1を馬鹿にする一念に、魔が付け入る隙がある。「ちょっとぐらい構わないだろう」の、そのちょっとこそが大惨事の元であることは、多くの歴史的な教訓として、また、体験としてもポピュラーなものでしょう。

イチロー
「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ 行くただひとつの道だと思っています」

大それたことではなく、自分の立場や境遇のなかで、ちょっと行動し、続けること。それがやがては、バタフライ効果となり、ハリケーンを生む。これがザ・王道であり、道が遠かろうと何だろうと、すべては1の積み重ねなのである。