投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 2月22日(日)16時26分34秒  

・+ドライバー様
無駄な会合や報告が存在するのは何故なのか。これを分析すると、「幹部の安心感のため」という結論に至ります。幹部が気にしているのは、現場の動きや士気であり、一人ひとりの表情である。組織がうまく機能しているかどうかが不安であり、その確認のためにも報告や会合を頻繁に開催してしまう。現場から言わせると、「だったら、個別に聞きに来ればいい」と思いますが、その労力は払わない。

何のための報告か会合かがわからない時は、ほとんどが幹部のためであり、幹部もそのように自覚しておくべきかと思います。幹部にとっては無駄な報告・会合は無駄ではなく、大切な儀式でもある。これが現場感覚との相違を生む。また、一堂に会すれば、「やっている感」「進んでいる感」も得られ、幹部にとって安心なのです。

私は、人を大切にするとは、相手の時間を大切にすることだと思っています。無駄な報告・会合は時間とエネルギーの浪費となります。幹部は常に、メンバーの時間とエネルギーを浪費させていないかに気を配り、最大限に配慮していくべきだと考えます。人を集めるということを簡単に考えてはいけませんし、参加者が「参加しないと角が立つ」という理由で、ある種の義理で会合に参加するようになったら黄信号である。
時間とエネルギーは有限であり、一人の人を大切にすることを標榜する創価学会は、絶えずこのことを意識していくべきだと思います。

・うらら様
資本についての先生の指導は重要ですね。何気ない一言を大切にすること、それが弟子の姿勢ですね。
学会の資本は会員であり、その中でも活動家を指すでしょう。資本を大事にとは、現場で奮闘している活動家を大事にすることであり、企業においては客の前に、従業員を大切にすることでもあります。活動しているメンバーが、いつしか活動しているのが当たり前と考える幹部。こうなると、活動家も内心不満に思うようになり、信心の歓喜は失せてしまう。顧客満足度の前に、従業員満足度を高めること、それ即ち顧客満足度にも直結します。

幹部は幹部で、役職があがればあがるほど、誰からも心配されなくなるというか、やって当たり前と思われがちな側面もあります。会員のことは祈っても、幹部のことは祈っていなかったりする自分に気づいたりします。幹部が腐敗堕落したり、威張り散らすようになるのは、「もっと俺(私)のことを見てくれ、心配してくれ」のサインなのかもしれません。

どんな役職や立場になろうとも、本来、「一学会員」であるという原点を忘れてはいけないと感じます。幹部は幹部で見栄や体裁気にしているようでは、メンバーから好かれることはないでしょう。幹部面しているようでは、民衆の心をつかむことはできない。誰もが生涯一学会員であり、威張っていい人間など、どこにも存在しないのです。