投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 2月10日(火)20時34分2秒  

・Takeda様
「創価学会は正しい。なぜなら、仏意仏勅の団体だからである。なぜ、仏意仏勅の団体といえるのか。それは、創価学会だからである。」

こういうことですね。これでは全能感に支配されても当然です。教学部レポートで指摘していることも、執行部の非論理性であり、そこから間違いが生じる。
個人や自組織において陥りがちな思考は、「自分だけは大丈夫」ということ。活動家のほとんどは学会がまさかカルトに堕しているなんてことは思っていない。なぜなら、創価学会は正しい信心を継承しているからであると。カルトに該当するかどうかなどということは、宗教団体であるならば、どこの教団でもその可能性を秘めている。例外など存在しない。自分の宗教団体だけは絶対にカルト化しないなどと考えていたとしたら、それ自体がカルト的思考であると言っても、過言ではないでしょう。

大災害が起きても、自分だけは死なないと考える傾向にあるのが人というものです。私は交通事故で九死に一生を得た経験がありますので、自分も普通に死ぬことが命に刻まれています。自分だけは大丈夫なわけがないのです。同じように、創価学会だけは大丈夫などと考えている人がいたとしたら、ただの盲信であり、それは錯覚なのです。自分だけは、自分のところだけは特別と、考え始めるところに差別も生まれ、カルトの土壌となるのではないでしょうか。

・同志の歌様
信・行・力!(笑)今は死語と言われている懐かしいフレーズ。男子部のパワープレイの象徴であり、女子部の友人からは「男子部は勢いだけね」と揶揄された言葉。勢いだけあって、中身が伴わない。威勢のいい数字だけの活動報告が飛び交い、「元気だけはある」と、婦人部あたりに評価される、伝説のワードじゃないですか!

女子部は教学で立てといわれ、御書30編を研鑽しているようですが、男子部はこれくらいのものは押さえて、学んでおくべきだと思います。男子部は教学で立っていることが前提の上での勢いがないと、女子部の足を引っ張る存在となります。現に、女子部から男子部に対しての「使えない」というクレームはたくさん聞きました。
「鈍感」、「遅い」、「空回り」、そんな評価が下っています。これが現実であり、面と向かっては言われることはありませんが、裏情報ではこんなものです。非常に厳しいです。女子部の優しさと忍耐で守られながらの活動をしているのが、男子部というものなのです。