投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 2月12日(木)00時15分32秒  

聖人御難事を全文拝すると、27年とは何をあらわしているかが明確になる。単純に、「この法門を唱えはじめて以来、今弘安2年まで27年間経過している」とあるように、立宗宣言である、建長5年4月28日(32歳)より、聖人御難事を執筆した、弘安2年10月1日(58歳)の年数を指している。

そして、この27年間の間に、伊豆流罪、小松原の法難、佐渡流罪、竜の口の頸の座にも臨んだ。そのほかに弟子も殺され、切られ、追放され、罰金刑にも遭い、数知れない難があったと。もしも、日蓮が出現しなかったら、仏(釈尊)も多宝如来も十方の諸仏も大妄語の人となっていたと。仏の御金言を助けた人は、ただ日蓮一人なのであると断言されています。

出世の本懐に関しては、これだと言うことは明言されていません。ここからは推測ではありますが、普通に考えると、法華経を身読された大聖人にしかできないことは何か。それは御本尊を顕すこと以外に考えることはできません。御本尊を顕したことが出世の本懐であることは揺るぎないことだと思いますが、問題はここからです。
弘安2年の大御本尊建立が出世の本懐なのかどうか、というよりも建立したかどうかがよくわからないことです。
一番わかりやすいのは、大聖人が御本尊の脇書に「日蓮出世の本懐 一閻浮提総与 大御本尊」と認めてあればいいのですが、そのような本尊は存在しないでしょう。

富士一跡門徒存知の事で、日興上人は、「この大聖人御自筆の御本尊は、全世界に未だ流布しておらず、正法、・像法・末法の三時に未だ弘通していない本尊である。従って日興の門流で御自筆の御本尊を所持している者は軽々に子孫に譲ったり、弟子等にも付属してはならない。御自筆御本尊は一か所に安置し、本六の弟子が心を合わせて守護するべきである。そしてひとえに、広宣流布の時、本化の国主のお尋ねある時がくるまで、深く敬って重んじるべきである」と。

大御本尊の存在については言及されていないし、戒壇建立した時の御本尊に関しては、真筆本尊の中から一つを選び、それを大御本尊としようとしていたのではないか。言うならば、「真筆本尊であるならば、どれでも大御本尊にしてもよい」と考えていたのではないか。よくよく考えると、御本尊と大御本尊の違いは一体何なのか。大御本尊の場合は何か特別な書式だったりするのか。そんなことはないわけであり、どの本尊でも大御本尊と決めればそうなり得るものだと思います。

日興上人は大聖人真筆本尊を大切に扱いました。そして、日向・日頂・日春たちが、真筆本尊を形木に彫って、不信の者に授与していることを非難しています。「恐れ多くも日興自身が御本尊を書写し奉り、これを授与するのである」と言われているように、日興上人ですら、真筆本尊を授与することを固く禁じていました。
ここから、推測するに、どの本尊でもよいとはしないのが日興上人の御心でしょう。あくまでも大御本尊とするのは真筆本尊であるべきであり、それ以外の本尊を大御本尊にすることは許さないでしょう。それは師への冒涜になるからです。

創価学会は、書写本尊も含めて本門の本尊としたのは、理論的には正しいかもしれないが、それは師(大聖人や日興上人)への冒涜にもつながる。そのようにとらえるのが信心であり、「御本尊は全部一緒」としないところに、日興上人の精神があり、それが、仏弟子の姿勢・矜持というものではないか。真筆だろうと書写だろうと全部同じであり、なんでもいいという精神自体が、御本尊を蔑ろにする生命なのではなかろうか。