2015年2月8日 投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 2月 8日(日)13時49分15秒 本当の信心は現場でしか学ぶことができない。幹部になればなるほど、信心というよりも管理的側面が強くなる傾向にある。現場から離れれば離れるほど、考え方が組織的となり、秩序を乱さないということが第一となる。こうして現場との乖離が生じ、対立の構図を生んでしまう。 そしてこれは、イデオロギーの違いとして表面化する。実質主義(広宣流布優先)か形式主義(組織の秩序の維持優先)か。私もこのことで、幹部と小競り合いをしたことがある。実質を重んじる私と、形式を重んじる幹部との衝突。イデオロギーが違うと、話は平行線となり、互いに譲ることができない対立へと進む。何を言っても幹部の結論は決まっていて、話をすること自体が時間の無駄という状況になってしまった。 仏敵や反逆者を責めるのは徹底的に叩けばよいだけであり、楽である。しかし、内部の幹部との衝突は一概に責めればいいというものではないと考えます。学会自体、反逆しない限りは同志として最大限に守ることを前提としているからです。幹部と対立してしまった時は、所謂「おとしどころ」を設定し、不毛な争いにならないように注意しなければならないと思います。 人というのは、追い込まれると何をしでかすかわからない。武田信玄が「戦いは五分の勝ちをもって上となし、七分を中とし、十を下とす」と言ったのも、勝ちすぎて、相手を追い込むと、思わぬ仕返しがあり、窮鼠猫を噛むという事態も起こり得るからです。人間関係でも同じように、相手に逃げ道を残しておくことも重要になります。学会でも、幹部を追い込み、プライドを傷つけすぎると、暴走し、除名や解任等、明らかなる権利の濫用を引き起こしかねない。 互いに譲れない膠着状態になってしまった時は、中立的に判断できる人が、絶妙な「おとしどころ」を設定することが良いと思います。私の場合は、自らおとしどころを考え、問題を鎮静化させました。必要以上に相手のプライドを傷つけず、かといって、こちらが完全に折れるようなこともないラインでのやりとりでした。 内部には、イデオロギーの違い、傲慢な幹部、不正の幹部、師敵対の幹部等、パターンがいろいろと分かれます。どのパターンに属するかで、対応も変わってきます。一概にすべて悪であると決めつけて叩きのめすと、かえって組織を混乱させてしまう恐れもあります。組織のことで会員に嫌な思いをさせないことが、すべての前提であり、不毛な争いにならないように十分配慮も必要となります。ここに内部の難しさがあります。 学会は宗教という側面と、組織としての側面の両面がある。組織としての側面が強まると、先生の指導はある種の理想とされ、現実は違うと言わんばかりに、我見が横行してしまう。そしておかしな方向へと進む。どの立場にいようと、組織を良くしたい、発展させたいと思っているのに、ズレが生じてしまう。単純に、「先生の指導通りの学会をつくっていこう」と幹部が表明し、指導を具体的な形にしていけばいいだけの話なのだが、おかしくなる元凶は、幹部の「名誉」と「保身」が介在するからでありましょう。 それがいつしか、目的を忘れた成果主義となり、上が決めた方針に逆らうことは許さないという傲慢さを生み出すのではないか。人は感情の動物であり、油断することもあるし、慢心することもあります。それを抑止するための先生の指導であり、組織の中心軸におくべきもの。私情は組織をダメにし、判断を誤る元。このような現象が、いくらでも起きている現実が、今、ここにある。 》 Tweet