投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 2月 7日(土)03時44分39秒  

貴重な胸熱体験談ありがとうございました。現場でありがちな問題から、まさかの除名まで話が発展するとは、改めて、組織悪の問題の根深さを感じました。私も、学会の体質はわかっているつもりです。組織改革を本気で進めようとすると、これほどの抵抗に遭い、最後は除名で亡き者にするとは、一言で表現すると「えげつない」ですね。まさに下衆の極みであり、問題の本質は幹部の「保身」であることも見抜いています。

自分たちのちっぽけなプライドを守るために、すべてを捻じ曲げていく。そして理事長の残念発言、会員を守るなんてことはできないことがよくわかりました。理事長、そんな覇気ではお話になりませんよ。先生の指導よりも、組織の運営が第一に考えられてしまう思考回路。これもまた、組織人間の陥りやすいポイントであり、正義よりも組織の秩序維持が優先される。これはもはやお決まりのパターンといえます。

末法とは転倒の世の中であり、創価学会の中でもそれは起こる。傲慢な人間が幹部になって、会員を苦しめたり、先生の指導通りに活動を推進しようとする人を蔑ろにしたり、その狂いは一体どこからくるのか・・・
ティニー様が主張されていたことは、至極当然のことであり、「これほど通じない者なのか」と愕然とされたことでしょう。大なり小なり、どこの組織でも起きていることです。さすがに除名までいく例はほとんどないとは思いますが。

今の学会で重要視されるのは、「波風立てない」、「空気を読む」こと。幹部の打ち出し通りに活動を推進していく人が人材であり、そういう人がまた、幹部になっていく。21世紀ではこのような人材は全く通用しないということを、あえて言っておきましょう。それどころか、害にすらなることもあり得るということです。可もなく不可もなくは不可なのであり、総県男が最後に、保身だったことを認めましたが、残念ながらそれでも0点なのです。結果的に正義を見殺しにした事実は変わらないからです。この厳しさが仏法でしょう。

戸田先生 人間革命12巻より
「広宣流布の最後の敵というのは内にこそある。城者の裏切りが城を破るのだ。五老僧を見給え。五老僧は過去の話ではない」

戸田先生 師弟の宝冠VOL.1より
「自分で威張るつもりはなくても、自然に威張るようにさせてしまうことが、怖いのだ。学会も、幹部になれば、
周囲が、自分を何か偉い存在のように作ってしまう。それに乗ったら恐ろしいぞ。くれぐれも気をつけよ!」

日本人は多数派に流れる傾向にあります。しかし、多数派が正しいとは限らず、仏法においては尚更です。自分が確立していない人ほど、組織に依存してしまい、組織の判断を第一に考えてしまう。それを烏合の衆とも言います。組織の悪しき体質をつくったのは、「おかしい」と思っても何もしない、声をあげなかった幹部ならびに会員ということになりましょう。そして、いざ声をあげようものなら非難され、除名までされる組織にまで落ちぶれていたとは、予想以上の堕落ぶり。大聖人がこれを知ったのなら、きっと「世も末である」と答えるでしょう。

ティニー様が、命を削って戦った火種は消えることはありません。必ず受け継がれていますし、また、私も受け継ぎました。三世永遠の福運を積みましたこと、まことにおめでとうございます。惜しみない拍手を送りたいと思います(大拍手)