投稿者:無冠 投稿日:2016年 9月29日(木)23時05分37秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2009-5-3 【5・3記念代表者会議③】

● 立つ時は今!
一、このたび、アメリカのアラバマ州バーミングハム市より、SGI(創価学会インタナショナル)の、人権を護る正義の闘争を讃えて、意義深き顕彰が贈られた。
バーミングハム市といえば、公民権運動の指導者キング博士が、青年とともに戦い、歴史的な勝利を勝ち取ったった人権闘争の象徴の地として、あまりにも有名である。
そのパーミングハム市の市議会が、キング博士の非暴力闘争と、創価の三代にわたる人権闘争に敬意を表し、4月16日から25日までを、全人類のための創価の正義」慶讃期間とする、と宣言してくださったのである(大拍手)。
顕彰状には、キング博士が同市で逮捕され、牢獄から送った、名高い手紙の一節が紹介介されている。
それは「ある場所の不正義は、あらゆる場所の正義にとっての脅威である」(梶原寿著『マーティン・L・キング』清水書院)という、強い強い信念の叫びであった。
悪は絶対に放置してはならないことを、キング博士は誰よりも知悉していた。一つの悪を、リーダーが真剣勝負で徹底して打ち破ることが、全軍の大きな勝利につながっていくのである。
博士は、その断固たる深遠をもって、人種差別の激しいパーミングハムの街に乗り込み、闘いを開始した。
今から46年前のことである。

● 全米を動かした青年たちの闘争
一、やがてキング博士は投獄された。しかし、博士の叫びに呼応した青年たちが先頭に立ち、敢然と闘いを続けていった。
その闘争が熾烈を極めたのが、同年の5日8日から5日にかけて行われたデモ行進であったといわれる。
しかし、青年たちは怯まなかった。あくまでも非暴力の信念を貫いた。

◆激しい変化=現代は「智慧の戦い」「心の宝」「知性の宝」を磨け

苛酷な弾圧の模様が各種メディアによって報道されると、反響は全米に広がり、やがて大きな波動となって政府をも動かしていった。
闘争が最も厳しい場所での、庶民の一歩、一歩の前進。そして勇気ある一声、一声の叫び。民衆の行動が、巨大な不正義の壁を、ついに乗り越えていったのである。
キング博士は語っている。
「正義というゴールへのステップは、どれも犠牲や苦悩や闘争がつきものである。
つまり、献身的な個人の、疲れをいとわぬ骨折りや熱意が不可欠である」(C・Sキング編、梶原寿・石井美恵子訳『キング牧師の言葉』日本基督教団出版局)
今、このバーミングハムの天地でも、多くのSGIの友が、平和のために、そして価値ある人生のために、生き生きと活躍しておられる。
地域に大きな信頼と友情の光を広げるなかで、SGIへの深い理解と共感が寄せられ、今回の輝かしい顕彰となったのである。
世界の各地から相次いで寄せられる顕彰は、すべて、世界広布の偉大な前進の象徴であり、それぞれの地域の目覚ましい発展の証しである。
「良き市民として、良き国民として、地域に貢献し活躍される全世界の同志の皆様方、万歳!」と、大声で、私は叫びたい(大拍手)。

■ 一、正義の人には、嵐が起こる。しかし、心は晴れやかだ。
フランスの文豪ユゴーは、権力者を糾弾し、亡命を余儀なくされた。信念の論陣を張った息子たちも、相次いで投獄された。
追放された年の暮れ、ユゴーは妻への手紙に、こう記した。
「私達にとって苦難の年であった今年も、今日で終わりだ。二人の息子は牢獄にいるし、私は流刑の身だ。
辛かったけど、しかし、よかったよ。
少し霜が降ったほうが収穫もよくなるものだ。なぜなら歓喜は、苦悩の大木に実る果実だよ」
この気概!
この確信!
この不屈で、ユーゴーは生き抜いた。
亡命は19年にも及んだ。49歳から68歳までの問、一度も祖国に帰るごとばなかった。
振り返れば、創価の師弟も、権力の悪と戦い、正義を貫いた。私自身、無実の罪で牢に入れられ、法廷でも闘い抜いた。
「勝負は裁判だ。裁判長は、必ずわかるはずだ」ー戸田先生が遺言された通り、私は無罪を勝ち取った。
歴史上、多くの正義の關士が迫害されてきた。それを思えば、今は恵まれている。
環境に甘えて、いい気になったら、とんでもないことだ。革命児の気概を、絶対に 失ってはならない。
亡命先でなお、創造の炎を燃え上がらせたユゴーのごとく、不屈の師弟の勝利の劇を、晴れ晴れと綴ってまいりたい(大拍手)。

● 真の人間になれ
一、現在、私は、キング博士の盟友としてアメリカの公民権運動をともに闘った。、著名な歴史学者のビンセソト・ハーディング博士と対談を進めている。
キング博士の思い出や秘話をはじめ、幅広いテーマで語り合っていく予定である。
博士は、語らいのなかで、社会に貢献する人間のあり方についても述べておられた。
「私たちは、人間に生まれたというだけで、真の人間になれるわけではありません。
人間となることを目指し続けてこそ、真の人間となれるのです。
そのために大切なのは、人のために貢献し続けることなのです」と。まさに、その通りである。
世界の中で生きる自分を見つめ、行動しながら思索し、思案しながら行動するのだ。
スペインの哲学者オルテガは、「人間の運命は、まずもって行動である」と述べている(佐々木孝、A・マタイス訳『オルテガ著作5』白水社)。
人々の幸福を願い、貢献しゆく創価の人生は、最も崇高な実像がある。人間として最高に満足で、充実した人生の正道なのである。

● 原点に立ち返れ
一、ハーディング博士は、とりわけ、宗教の重要性を強調しておられた。
宗教のあり方について、次のようにも述べられている。
「私たちが、宗教を正しく実践するためには、常に、その原点に立ち返ることが不可欠です」と。そして、その原点とは、「始祖の振る舞い」にあるとおっしゃっていた。
私たちににとって、根源の始祖とは、日通大聖人であり、師子王のその御姿こそ、永遠の原点である。
また大聖人は「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)と仰せである。宗教の真の価値ーそれは、人間の行動によって輝きわたるのである。
さらに博士は、こうも語っておられた。
「信仰は、人と人の間、社会の中にこそ、伝えられていくものです。そして、その信仰が、果たして、人間の中で、また社会の中で、力を発揮しているかどうかを、私たちは常に問いかけていく勇気を持たなければなりません」
全くその通りだ。
宗教は、人間の幸福のためにある。
ゆえに、その宗教をもつことが、人間を強くするのか、弱くするのか、善くするのか悪くするのか、さらには、賢くするのか愚かにするのかを、検証していかねばならないであろう。
〈博士は、こうも述べている。「池田SGI会長は、私たちに、一切の差異を乗り越え、平和と共感は築けるのだ、ということを身をもつて示してくださっております。そのSGI会長の指導力によって、創価学会は堅固な砦を築かれました。しかしその砦は、他を寄せつけない〃孤塁〃ではなく、世界へと平和を広げていく〃跳躍台〃なのだ、との感銘を深くしております」「SGIのような正義と真実のために戦う、世界の人々の善意を今こそ結集すべきです」〉
ここで、キング博愛士の不滅の言葉を、わが友に贈りたい。
「われわれはすべての行動において団結しなければならない」
「いま最も必要なことは団結です。もしわれわれが団結するならば、われわれは単に望んでいるものだけでなく、正当に受けるべきものをも多く獲得することができます」(ともにクレイポーン・カーソン編や梶原寿訳『マーテイン・ルーサー・キング自伝』日本基督教団出版局)

● 「勇者は、必ず敵に打ち勝つ」
一、「師弟不二」の道は、あまりにも峻厳である。
日蓮大聖人が御入滅された弘安5年(1282年)のその時、日興上人は数えで三十七歳。
それから、実に五十年以上にわたって、日興上人は、後継の広宣流布の指揮を執り続けていかれた。
ただ一人、師匠の定義を、護って護って護り抜かれた生涯であられた。
本来であれば、大聖人が「本弟子」として定められた「六老僧」の仲間が、日興上人を支え、お護りしなければならなかった。
しかし、彼らは「本弟子」の座から転落していった。人間の心はわからない。
彼らは、権力に屈して「天台沙門(天台の一門)」と名乗って天台宗の祈祷を行ってしまったのである。
そこには、「日蓮が如く」との魂は、全く感じられなかった。
その重大な違背は、一つには、弘安8年(1285年)―大聖人の滅後、わずか4年目のことであった。
日興上人は、そうした実態を、後にこうされている。
「日蓮大聖人の御弟子六人の中で、五人は一同に、大聖人の御名前を改めて天台の弟子と号し、自らの住坊を破却されようとする時、天台宗を行じて祈祷をするという申状を捧げることによって、破却の難を免れたのである」
難を逃れるために、「日蓮大聖人の弟子」との誇りある名乗りを捨て去ったのである。
その濁流に抗して、日興上人は、決然と、一人立たれた。
ただただ、師匠の戦われた如くに戦う。それが日興上人の心情であられた。
日興上人の諫暁の書である「申状」を開いても、大聖人の御諫暁と全く変わらない。
例えば、大聖人滅後8年目にあたる正応2年(1289年)には.武家への申状を認められている。
大聖人の滅後の世相は、3度目の蒙古襲来におびえ、国内は乱れ、世情も不安定であった。
日興上人は、「今の状況は、全く師匠である日蓮大聖人が予言されだ「立正安国論」の通りではないか。本来であれば、国を挙げて、わが師匠である日蓮大聖人を賞すべきではないか」と叫ばれたのである。〈「今国体を見るに併せて彼の勘文にに符合す争か之を賞せられざらんや」〉
この堂々たる師子吼こそが、弟子の実践の真髄である。
どこまでも、どこまでも、命を賭して、師匠を宣揚せんとの魂が脈打っておられる。
「日蓮上人の弟子東長沼腰重ねて申す」―東長沼腰聖人は、威風も堂々と、「私は日蓮大聖人の弟子である」との一点から諫暁を重ねておられた。
「伝教大師が弘めた法華経は迹門であり、先師・大聖人の弘めた法華経は本門である」と、師匠の正法正義を、一点の曇りもなく、訴え抜いていかれたのである。
「天台沙門」などと名乗る五壱僧との相違は、あまりにも明らかであった。
たとえ師が偉大であっても、その精神を継ぐ真正の弟子がいなければ、結局、何も残らない。
半世紀にわたって、大聖人と同じ心で戦い抜かれた日興上人の大闘争のゆえに、「師弟不二の大道」が万年の未来へ厳然と開かれたのである。
この大聖人と日興上人に連なる、創価の三代の師弟もまた、師の偉大さ、師の正義を、叫んで叫んで叫び抜いてきた。
ここに、創価の永遠の栄光があることを知らねばならない。
中央アジア・カザフ民族の英知の格言に、こうあった。
「勇者は、必ず敵に 打ち勝つ」
大聖人の烈々たる御確信にも通じる言葉だ。
臆病は悪である。
恐れなく、勇気をもって戦おう!「ハイ!」と返事が〉

■ 一、城といえば、江戸城は、「近世築城法の始祖」と仰がれた武将。太田道灌資長)が中心となって築かれたとされる。
地勢を生かした江戸城は、攻守ともに優れていたという。
たとえ敵に攻められても、二重、三重の守りで防ぎ、反撃に転じられる備えがあったと推定されている。
ただし道灌は、守城の戦いはしなかった。
むしろ、打って出た。
攻撃精神へ反撃精神ありてこそ、城は難攻不落となる。
戦野を駆ける道灌の騎馬像が、懐かしき東京・荒川区の日暮里駅前に立っている。
関八州を舞台として走りに走り、戦って戦って戦い抜いた。30回以上の合戦に、勝って 勝って勝ちまくった。
その常勝の強さは、どこからきたのか。
さまざまな点から研究されている。
自らが先頭に立ち、各地の戦乱を治めた道灌は、名将中の名将と讃えられた。
多くの場合、要の江戸城は信頼する者に託し、将たる自分は、最も困難な最前線に飛び込んで戦った。
広宣流布の方程式も同じである。
その通りに、三代の師弟が先頭に立って戦い抜いたからこそ、今日の勝利があることを、確信をもって申し上げておきたい。
戸田先生は常々、中心者が大事であると言明されていた。
そして、「三代で決まる。三代が大事だ」
「第三代会長を守れば、広宣流布は必ずできる」と語られた。戸田先生の遺言である。
その言葉のままに、私は、同志とともに、完壁なる世界広布の基盤を築き上げたのである(大拍手)。
「道灌の強さの秘訣は、電光石火のスピードにもあった。
時を待ち、機が熟したと見るや、たたみかけるように攻めて攻め抜いた。鍛えに鍛えた
精鋭の勢いある機動力が、戦を決した。
そして道灌は「最前線の心を知る」名将でもあった。絶妙な言葉をもって、最前線の味方を激励し、勇気と力を引き出すことができたと伝えられている。
いずれも、勝利に不可欠の要件といってよい。(大田道灌については編渠部でまとめる際へ前島康彦著『太田道灌』太田道灌公事績顕彰会、勝守すみ著『太田道灌』人物往来社、『大田道真と道灌』幹書房等を参照した〉

● わが激戦の心に勝利の青空を!
一、結びに、童話王アンデルセンの言葉を重ねて贈りたい。
「自分の値打ちがわかっていれば、どんな嵐にもめげずに胸を張っていられるんだよ」
(デンマーク王立国語国文学会編集・鉛木徹郎訳『アンデルセン小説・紀行文学生集1』東京書籍)
わが同志は、偉大なる妙法のために行動する、世界第一の尊き方々である。その最高の誇りをもって、強気で戦い抜くことだ。
さらにー「精神の富には祝福が宿っており、人に分かち与えることができればできるほど豊かなものに膨らんでゆく」(「同全集9」)
喜びや感動を友に語れば語るほど、わが精神も豊かになる。生命が不滅の福運に包まれることは間違いない。
そしてー「信仰の清らかな光は太陽のようなものだ・暗黒の日々を経て、ついには暗闇を突き破って輝き、そのとき暗雲は消え去ってしまうんだ!」(同)
太陽の仏法は、無敵の兵法である。
苦難の闇、邪悪の暗黒を打ち破れないわけがない。
敬愛する同志の皆様に、和歌を贈りたい。

天も晴れ 心も躍る
創価の日 元初の誓いは
いやまし光りぬ

わが友が
嵐を越えて むかえたる
五月三日の 晴れの姿よ

勝ちにけり
断固と我らは 勝ちにけり
万歳叫ばむ 仏の生命で

わが激戦の心に「5月の勝利の青空」を晴れ晴れと広げ、一段と全同志が健康の生命を輝かせてまいりたい。
そして明年、創立80周年の「5月3日」ヘ向かって、朗らかに、ー勇気凛々と、異体同心の大前進を決意し合って、記念のスピーチとしたい。
また、元気にお会、しよう!(大拍手)