投稿者:無冠 投稿日:2016年 9月28日(水)23時14分49秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2009-5-3 【5・3記念代表者会議②】
● 「大きな崩壊は小さな原因から」
一、有名な御聖訓には、「師子王は前三後一といって、蟻を取ろうとする時にも、また、猛々しいものを取ろうとする時も、全力で飛びかかることは、まったく同じである」(御書1124ページ、通解)と仰せである。
どんな小さなことにも手を抜かず、油断しない。全魂を込めて勝ち抜いていく。ここに、師子王の師子王たる所以があるのだ。
戸田先生が、まさにそうであられた。
その先生が逝去されると、最高幹部の多くが、茫然自失していた。そのなかにあって私は、一日一日、会員のため、学会のために、峻厳なまでに責任を果たしていった。
会員の皆さんが一歩前進していけるように、迅速に手を打つことだ。それが広布のリーダーの責務である。
「小さな原因から、しばしば大きな崩壊が生じる」とは、レオナルド・ダ・ヴィンチの戒めである一(セルジュ・ブランリ著、五十嵐見鳥訳『レオナルド・ダ・ヴィンチ』平凡社)。
私の心の奥には、常に、この厳しい言葉が響いている。

● 渾身の「設営」
一。戸田先生が霊山へ旅立たれて1カ月後の昭和33年の5月3日。
思い出深き墨田区両国の旧国技館(後の日大講堂)で、第18回の春季総会が開催された。
その前日、私は準備のために、会場へ足を運んだ。真剣に設営に当たってくださる同志を、私は心からねぎらい、励ましていった。
会場の外に掲げる「春季総会」との大看板も、用意されていた。一つの文字が、
畳2畳分もあろうかという大看板である。しかし、残念ながら筆勢が弱々しかった。
恩師亡き後、学会の未来を決しゆく最重要の総会である。同志の悲しみを吹き払い、前進の気迫あふれる会合とせねばならない。私は心を鬼にして、書き直しをお願いした。
「文字が死んでいます。この看板の文字を見た人が皆、躍動し吸い寄せられるような思いで、明日は集っていただきたいのです。歓喜の人々の集いにしたいのです」
担当した同志の皆さんは、即座に私の心を理解してくださった。
そして、祈りを込めて、勢いみなざる見事な文字の大看板に作り替えてくださった。

◆ 恐れるな!戦って強くなれ!

私が、7年ごとの前進を期す「七つの鐘」の未来構想を発表したのは、この総会であった。希望の大光を、わが同志の胸に注ぎ、勇気の灸を点火していったのである。
今、私の心を心として、我らの広宣流布の歴史の舞台を、一回また一回、深き一念で荘厳してくれる友がいる。親友がいる。同志がいる。
栄光会、創匠会、鉄人会、炎の会、章駄天グループ、虹の会、達人会、暁会、鉄拳会、正義会、城将会、創城会、王城会、徹人会、砦会、巖会など、各地の設営グループの皆様!
さらに、男子部の白鳳会、女子部のデザイングループ、婦人部の創峯会をはじめ各種行事のデザインに携わってくださる皆様!
こうした気高き匠の友どちに、この席をお借りして、心より私は感謝の念を捧げたい。いつも本当にありがとう!(大拍手)
仏法の因果の理法に照らして、皆様の生命が生々世々、荘厳されることは、絶対に間違いありません。

● 「虚言」は罪悪
一、(ニュートンと)同じイギリスの知性である、作家オーウェルも、断固として、正義の言論の矢を放った。
社会に流布された虚偽の報道に対し、自分の目で見てきた事実に照らして、「この話は絶対に嘘です」と断言する。
その際、自らの情念を、こう記した。
「言論界では中傷されている人々のために正義を求めるのです」
〈塩沢由典訳「レイモンド・モーテイマヘの手紙」、『オーウェル著作集1』所収、平凡社さらに、ドイツの哲学者カントは指摘する。
虚言は「他人の権利の毀損」となる。それは、虚言を弄する者自身の「人格に対して罪を犯すこと」であり、人間を軽蔑すべきものに貶める「恥ずべき行為」である、と(白井成允・小倉貞秀訳『道徳哲学』岩波文庫)。
嘘がはびこる社会では、人権が、人間の尊厳が踏みにじられる。
だからこそ、正義は沈黙してはいけない。
後世の人々の希望となり、鑑となる歴史を残すためにも、断じて正義を勝ち栄えさせていくことだ。
いわんや、広宣流布は最高の正義の拡大である。
「創価学会は、正義の中の正義の団体である。ゆえに、絶対に勝たねばならない」
これが、戸田先生の厳命であった。

● 邪悪への攻撃精神をもて!
一、あの熱原の法難の渦中、日蓮大聖人は日興上人をはじめ門下に仰せになられた。
「あなた方は、恐れてはならない。いよいよ強く進んでいくならば、必ず、正しい経緯が明らかになると思います」(御書1455ページ、通解)
この法難は、幕府の強大な権力者・平左衛門尉による大聖人門下への、狂いに狂った迫害であった。日興上人等とともに熱原の農民の弟子たちは、讒言や謀略などに一歩も退かず立ち向かって、戦い抜いた。
大聖人は、本抄だけでなく、常に、門下たちに「少しも恐れてはならない。強く強く戦い抜け!そうすれは必ず仏になる。正邪は明らかになる」と打ち込んでいかれたのである。
この何ものをも恐れない「師子王の心」に、寸分違わず行動されたのが、創価の父。牧口先生であり、戸田先生であられた。
牧口先生は言われた。「戦えば戦うほど、こちらが強くなればなるほど、仏法勝負の実証は早く出てくる」
戸田先生も、繰り返し叫ばれた。
「折伏精神以外に信心はないと、覚悟することだ」
「折伏の『折る』というのは、悪い心を折る。そして折伏の『伏する』ということは、善い心に伏せしめるということだ」
さらにまた、戸田先生は、次のように徹して教えていかれた。
「悪に対する反撃の根性を持て!」
「信心とは、邪悪への攻撃精神である」
この攻撃精神で戦い抜いてきたゆえに、学会は、世法や国法においても、そして仏法の上でも、正義の勝利を燦然と刻んできたのである(大拍手)。

一、学会発展の大きな原動力は何か。
それは、偉大なる婦人部の皆様の活躍である。婦人部の真剣で誠実な、地道な活動の積み重ねである。
もちろん、男性も頑張っている(笑い)。
しかし、女性に比べると、男性は、ややもすると要領や策に定ってしまう。見栄を張り、自分のことばかり考えて、エゴに陥ってしまいがちであるーこうした厳しい指摘もある。
婦人部の皆様が、学会の大発展を支えてくださっていることは厳然たる事実だ。
どんな権威や権力も恐れない。強き祈りと師弟を根本に、堂々と実を叫び切っていく。悩める友を救っていく。勇気の行動で勝利を開いていくーそれが創価の婦人部だ。
女性の時代である。
男性の幹部に対しても婦人部は正しい意見は、どんどん言っていくことだ。ともに、よりよい学会をつくっていくのだ。
これからも、私たちは〃創価の太陽〃である婦人部の意見を最大に尊重し、その活躍を讃えながら、朗らかに前進してまいりたい(大拍手)。

● 利己主義者には感謝も恩もない
一、20世紀を代表する先妻トーマス・マンは語った。
「感謝出来る、感受性の強い性質ー普通は欠陥の多い人生から可能なものを創り出すために、これ以上よいものがあり得るでしようか」森川俊夫訳『トーマ
ス・マン 日記 1937ー1989』紀伊國屋書店)
「感謝の心というのはしかしながら受動的なものではなく、創造的な特貴であります」(同)
真に創造的、建設的な人は、恩を知り、感謝を知る。一方、破壊的な卑劣な輩は、恩を知らず、感謝もできない。皆様方がご存じの通りだ。
文豪ゲーテは『ファウスト』の中で綴っている。「ただわが身が可愛いというのが、いつでも利己主義者の信条だ。感謝も恩義も、義務も名誉もないのだ」
(大山定一訳『ゲーテ全集第2巻』人文書院)
「畜生すら猶 恩をほうず 何に況や大聖をや」(御書204ページ)とは、「開目抄」の一節である。
仏法は、人間にとって一番大事な「恩」を教えている。
法華経の重恩に報いようとしない人間を、日蓮大聖人は「不知恩の畜生」(同ページ)と厳しく断じられた。
知恩・報恩の道を最大に重んずる仏法の世界にあって、忘恩、背恩の悪行は、あまりにも罪が深い。

■ 私との対談のなかで、〃戦争の廃絶〃という「人類が近い将来に到達しなければならない目標」の一つを達成するために、「最も重要な要素」とされていたのも、「女性の美徳」であった。
今、崩れざる平和と幸福の世界を築きゆく、広宣流布という大目標の達成にあって、最も重要な、実質的な貢献をなされているのも、健気な婦人部、女子部の皆様方である。ちょうど(5月3日に)東京・信濃町の創価女子会館では、女子部歌「青春桜」の歌碑の除幕式が、清々しく行われた。
今、世界に響き渡る「青春桜の詩が、昭和53年、第2総東京の立川文化会館で指揮を執るなかで誕生したことも、思い出深き歴史である。
世界中の「池田華陽会」の溌刺たる連帯を、私は妻と共に、何よりもうれしく見守っている。
それは美しい、健気な乙女たちの平和への前進だ。文化と平和の使者である、美しき瞳の〃華陽会〃の方々が、深い愛情と信仰をもって進みゆく尊い姿を、いつの日か人類は、そして歴史は、心から讃嘆しゆくことであろう。

一、さて、トインビー博士が語る「感謝」は、実に、こまやかであられた。
その対象には、博士が乳母車に乗せられていた幼少のころから、博士の心を大陸や四足獣、また詩人や画家、彫刻家、哲学者、科学者への興味で満たしてくれた施設や博物館も含まれている。
なお、先の「大三国志展」をはじめ、東京富士美術館にも、多くの青年や少年少女が訪れてくれている。こうした展示が、未来を担う若き友の心の宝となり、糧になれば、私にとってこれ以上の喜びはない。
また、東京富士美術館の国際性豊かな、質の高い展示の数々に対しては、世界中の方々から、喜びと感銘の声が寄せられていることも報告しておきたい(大拍手)。

●活字文化を復興
一、トインビー博士は、「原文で読むことのできない」イスラム文学や中国文学の古典を教えてくれた翻訳者にも感謝されていた。
私は、この機会に、あらためて、「創価の鳩摩羅什」と讃えるべき、日本をはじめ、世界各国の最優秀の翻訳陣・通訳陣に心から感謝を捧げたい。
私が、皆様の大恩を忘れることは、絶対にありません。皆皆様方の心血を注ぐ戦いあればこそ、一閻浮提の広宣流布は、たゆみなく進み、光り輝いていくのだ。
その大功徳は、計り知れません。その功績は、何ものにも、かえがたいものであります(大拍手)。

一、さらにトインビー博士は、常に大切にし、自身の〃伴侶“としてきた「歴史地図」や、「月光に照らされた瀬戸内海」「サンフランシスコの金門橋の彼方に沈む夕日」「中国、万里の長城」の光景を見たことなど、多種多様な物事から受けた恩恵についても記しておられる。
そして、トルストイの『戦争と平和』や、ヴィクトル・ユゴーの『九十三年』など、優れた歴史小説については、その「恩恵に感謝の意を表さなかったら、私は恩知らずになるであろう」とまで綴っておられる。

一、活字文化の力は、まことに大きい。
私は、この活字文化を担い立たれる方々から、真心あふれる顕彰を授与していただいている。
先日(4月28日)も、縁深き地の立川書籍商共同組合から「活字文化に対する貢献賞」を拝受した。この席をお借りして、重ねて御礼申し上げたい。
とともに、世界的に活字文化の衰退が憂慮されるなかで、崇高な努力を懸命に続けておられるご関係の皆様方に、心からの尊敬の念を表したい(大拍手)。

■ 一、5月3日は、アメリカ創価大学の開学記念日でもある。
〈2001年の5月3日に開学〉
この5月2日には、地元のオレンジ郡、アリソビエホ市の名士の方々、近隣の方々も大勢、集われて、インターナショナル・フエステイバルが明るく、にきゃかに行われた。堂々たる「講堂」「新・教室棟」の建設も進んでいる。
また、創価大学では、2011年の開学40周年を目指して、希望イの建設の槌音が力強く響いている。創立の精神のもと、心一つに前進している。
この春には、新たな玄関口として「創大門」「創大シルクロード」が、そして「総合体育館」が、壮麗に完成した。
さらに「大教室棟」「タゴール広場」「新総合教育棟」と、人間教育の最高学府としての環境が、一段と整備されていく予定である(大拍手)。
学生の進路、就職を応援するキャリアセンターも充実してきた。
通信教育部の大発展にも注目が集まっている。
創価同窓の友は、一人一人が私の宝の中の宝である。
すべての関係者の皆様方に、深く感謝するとともに、今後も、ありとあらゆる機会を通して、心からの激励を贈っていくつもりである。

● 教育者ゲーテ
一、思えば、ドイツの文豪ゲーテも、ワイマールにおける教育・文化の指導者として力を発揮している。
自ら発展させてきたイェーナ大学に、充実した施設をつくるため、心を尽くしていつた。とともに、教授の陣容にも心を砕いた。
「たいせつなのは、主として、教師なのだ」(ビーダーマン編、菊池栄一訳『ゲーテ対話録Ⅱ』白水社)と彼は強調している。
教育は、教育者で決まる。ゲーテ自身も、教育者として学生を激励していった。
ある時、ゲーテは、体操着を着たまま体操場から出てきたイェーナ大学の学生に、こう語りかけている。
「私は体操というものを重視している、それは若い身体を強壮新鮮にするだけでなく、たましいと特に勇気とカを与えて軟弱を防ぐ(同)と。
そしてその学生に、親のことや、何を学んでいるかについて語りかけ、握手を交わし、「ご勉強に最善の成功を!」と励ました。
ゲーテは、大学に、もっと幅広い分野のもっと活発な講座をつくるためにも奔走した。
ある時、ゲーテは知人に「学問のなかには、なんというすばらしい世界がひらけていることだろう」(同)と語っている。
学問の喜びを、真剣な探求が開く素晴らしい世界を、青年に伝えた。思う存分、若い精神を耕し、学びの青春を謳歌してもらいたい。これがゲーテの願いであったにちがいない。私も同じである。

● 傲慢を許すな
一、その一方で、ゲーテは述べた。
「何か意味深いものがあらわれると、すぐそれに対立して、反対が起るのだ」(ビーダーマン編、国松孝一訳『ゲーテ対話録Ⅲ』白水社)
彼が大学の発展のために努力すると、抵抗する教授も出てきた。
ゲーテは、大学を改善するために知恵をしぼり、戦っている。
教師が進歩しなければ、大学が頽廃する。
そう見抜き、行動するゲーテであった。
経済学の父アダム・スミスも、大学のために尽くした一人であった。私が名誉博士号を拝受した、英国の名門グラスゴー大学の総長を務めている。
アダム・スミスは、大学を貶め、大学の腐敗の原因となる教員の悪を許さなかった。
彼と親しかったある教授が、自分勝手に振る舞い、大学の決定を守らないことがあった。大学が傲慢なその教授を辞任させた時、アダム・スミスは大学の側に立っている。
スミスは、〃教授陣に自律する心がなければ、外部から不当な介入を招いてしまい、大学の自治を守れない〃と考えていた。〈浜林正夫・鈴木亮著『アダム・スミス』清水書院を参照〉
「貴大学の有益な一員になることを、私の一番の努力目標にいたします」(I.S・ロス著、篠原久・只腰親和・松原慶子訳『アダム・スミス伝』『シュブリンガー・フェアラーク東京)
これが、母彼グラスゴーー大学の教員としての、アダム・スミスの誓いであった。

● 師弟の魂を胸に
一、人間の世界には、感情もある。利害もある。厳しき宿命も襲いかかる。
しかし、日々、突き当たる今の試練を乗り越えるなかにこそ、常勝の幸福のスクラムが堂々と築かれるのだ。
わが使命を、誓いを、原点を、忘れない人は強い。屈しない。
16世紀フランスの思想家モンテーニュは綴っている。
「確固たる目的をもたない精神ほ自分を失う」(原二郎訳『エセー』岩波文庫)と。
人間が、野蛮な動物としてではなく、人間らしく生きるためには、何らかの目的が必要である。
一人一人が、わが人生の目的を見出すために、真の教育があるのだ。
牧口先生も、戸田先生も、偉大な教育者だった。
大いなる理想へ進む「戸田先生に仕えた私には、いわゆる華やかな青春時代はなかった。
しかし、苦境のなか、誉れの「戸田大学」に学んだ。きょうまで真つ直ぐに生きて、師弟の魂を護り、宣揚してきた。ゆえに、何の悔いもない。

一、3月16日、私は創価学園で、南米の名門ボリビア・アキーノ大学から、名誉博士号を拝受した。
同大学のサアベドラ総長は、学生に対してこう強調されている。
「他者に貢献するという思想のもとに、自分自身の人生を展望していただきたい」
「時代の変革がスピードアップした社会にあって、常に新たな知識を吸収すべきです」
変化の激しい現代社会は、〃智慧の戦い〃の場である。
すばやく学び、価値を創造できる智慧のある者が勝つ。
青年時代は、その基盤をつくる大切な時期である。
私は、混迷する社会に大きく貢献する、英知の人材を育てたい。
激動の社会で厳然と勝利していく、進取の気性を持つ、強いリーダーを送り出したい。

【5・3記念代表者会議③】に続く