投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 9月26日(月)17時53分34秒   通報 編集済
■「人間として」偉くなれ

―― たしかに、道徳の本とかを読んでも、それだけで人間革命できる人は、ほとんどいないと思います。

池田 道徳の本なら何千年も昔から無数にある。自己啓発の本などもあるが、言葉だけで人間革命でき、宿命を変えられるならば、苦労はない。
創価学会は抽象論ではなく、一貫して現実の人間革命を追求している。心を変革し、最高善の方向へもっていく。生きていく。行動していく。
その人間革命は、根本的には、仏の生命と一体の中で、できる。仏と境智冥合することによって、「自分を変える」力が、自分の中からわいてくるのです。

―― 自分の中にある「自分を変える力」――それが仏界ですね。
これは北陸の男子高等部長から聞いた、あるメンバーの体験です。
彼には三人の親友がいて、よく一緒に話したり、マンガを読んだり、という仲だったそうです。夏休みのある日、たまたま今の社会への不満や「運命とは」という話題になった。人生観についての話が何時間も尽きなかったそうです。その後、池田先生の著作を友人が「貸してくれ。うちで読むから」と持っていった。「青春対話」も読み合うようになった。学校の授業で、いちばんふざけていた四人は今、いちばん真剣に授業を聞くようになったというのです。
人間、だれでも、「成長したい」「変わりたい」と心の底では思っているのではないでしょうか。だから、ちょっとした、きっかけで変わることがあります。

池田 人間だけが「向上しよう」「成長しよう」と思うことができる。ただ流されて生きているだけではなく、もう一歩深い、人間としての方向転換をしようと思うことができる。
いわゆる「偉くなる」というのは、社会の機構上の話です。人間革命するとは、もっと深い、自分の内面のことです。永遠性のものです。社会的な偉さよりも、はるかに偉いことなのです。
人間は人間です。人間以上のものになれるわけではない。だから「人間として」の自分を変えていくことがいちばん、大事なのです。名声で自分を飾り、地位で自分を飾り、学歴で飾り、知識で飾り、お金で飾っても、本体の自分自身が貧しければ、貧しく、空虚な人生です。
すべてをはぎ取った、いわば「裸一貫」の自分自身がどうなのか。生命それ自体を変えていくのが人間革命です。釈尊も王子であったが、一切を捨てて、裸一貫の自分になって修行した。人間革命です。日蓮大聖人も、その当時、社会的には最低の存在とされた「旃陀羅が子」であると堂々と宣言されている。

―― たしかに、いわゆる″偉い人″が、名もない庶民よりも、人間としては、ずっと劣っていることは珍しくありません。
それどころか庶民は皆、平和を望み、幸福を願っているのに、社会の指導者が人間革命していないために、皆を戦争に引っ張っていったり、不幸の方向へ導いていくということがあります。

池田 二十世紀は二回も世界大戦を起こしてしまった。何億という人たちが地獄の苦しみを味わった。その原因は何なのか――それを考えた結論が、「人間自身が慈悲の存在に変わらなければいけない」ということなのです。