投稿者:虹と創価家族 投稿日:2016年 9月28日(水)07時57分50秒   通報 編集済
おはようございます。

よほど、真実の声を上げる会員が怖いのか、査問をした会員のご家族まで、査問まがいの粛清をしていますね。
県や圏の幹部が家庭訪問と言いながら、内容は査問と同じ論法で、家族を個別に粛清しています。

・先生のおそばにいる最高幹部を批判するのは信心が狂っているから心配。
・先生がお作りになった公明党を批判するのは忘恩だから心配。
・波田地氏を始めとする査問を受けた教宣部員と関わっているのは、信心に悪い影響を受けるから心配。

このように「心配」という言葉を巧みに使い、地元幹部の信仰心と良心を煽り「準査問」的な事をさせていますね。
そして根底には、「査問を受けた会員は波田地一派と関わる悪人であり、その家族まで悪い影響を受けている」とすり込んでいるいるのが見え見えです。

なぜ、池田先生の指導とブレた最高幹部を批判する事が、悪であり組織破壊になるのでしょうか?
池田先生は明確にこのように仰られているのです。
「創価学会に対しても、信仰についてもいくらでも批判しても結構です。」と。

あなたは現場会員を自分の保身のために犠牲にした、歴史に残る最悪の会長です。
明らかに池田先生の指導と逆のふるまいをしています。

池田先生の指導が、創価学会の基準です。
仏法を基調とした人間主義のふるまいが、仏法者としての原理原則です。

仏法者の原理原則を忘れた会長は、創価学会には必要ございません。
あなたに、先生の言葉と題目を送らさせて頂きます。
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【四季の励まし 2016年2月14日】

どんな人も見放さない。
決めつけない。切り捨てない。
信じ抜き、手を差し伸べて、
仏性を呼び起こす。
これが仏法の人間主義だ。

【創立者の語らい1 第一回 滝山祭】

そこで私が申しあげたいのは、創価大学に対しても、創立者に対しても、批判をしてはいけないということは一つもありません。いくらでも批判してけっこうです。
また、私はご存じのように創価学会の会長であります。創価学会に対しても、信仰についてもいくらでも批判しても結構です。
大学としても、学会としても、また私としても、反省すべきことは反省しなくてはならないし、改めるべき点はいさぎよく改めねばならない。諸君が創価大学に学んでいるのだから大学のことをはじめ、すべてに対して厳しい発言ができないなどという考えは、誤りである。
皆さんが真剣に物事を思索し、言いたいことがあれば、何を言ってもよいし、いかなることを論じてもよい。自由奔放であっていただきたい。これだけは、はっきりと申し上げておきます。

【全国合同協議会 2006年11月22日】

・もしも将来、原理原則を踏み外すような幹部が現れたならば、断じて許してはいけない。
異体同心の革命児の弟子たちが、猛然と戦い抜いて、三代の正しい軌道へと戻していくのだ。

・幹部が役職を笠に着て、威張る。大変なことは人にやらせて、自分は楽をする。そんな権威主義の学会になってしまったら、大変だ。一生懸命に戦ってくださる学会員に申し訳がない。
たとえ、会長であっても、特別な存在ではないのだ。
民衆の真っただ中で広布に戦う人が一番偉い。
広布のため、同志のため、だれよりも真剣に祈り、戦う人が会長なのである。
その意味で、全員が会長の自覚で進んでいけばいい。

・そして、広宣流布の敵とは、外だけにいるのではない。
いかなる組織も、大きくなり、根幹の精神を忘れると、いつしか、冷たい官僚主義、事なかれ主義がはびこっていく。要領よく、戦っている格好だけ見せる。派閥をつくって気に入らない人間をいじめる。陰でこそこそ悪事を働く ―― そういう人間が、のさばりだすものである。
少しでもこうした兆候があれば、それは、広布を破壊する魔の働きであると、鋭く見破っていかなければならない。幹部になるほど、十分に戒めていくべきである。

(スピーチ全文)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/29864