投稿者:無冠 投稿日:2016年 9月20日(火)07時25分9秒   通報

全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2008-12-26 【各部代表者会議】(2008年末最終のスピーチです)

■ 一、全同志の皆様の1年間の尊い健闘を、心から讃えたい。
 私は妻とともに、愛する友の幸福と健康を、毎日、真剣に祈っている。
 皆様方のおかげで、創価学会は大前進できた。すべてに大勝利であった。広宣流布のため、本当によく戦ってくださった。
 来年も、断固、勝利しよう!(大拍手)

■ 一、この1年を、わが学会は「人材・拡大の年」と定めた。
 私自身、年頭に「八十にして、青年と共に未来を開く」と申し上げた。
 その通りに、妻と二人して「新たな人材よ、出でよ! 未来への新しき拡大の道よ、開け!」と祈り抜き、手を打ち続けてきた。
 昨年以来、12回に及ぶ全国青年部幹部会にも、すべて出席した。
 うれしいことに、わが青年部も立派に応えて成長してくれている。青年部幹部会の結集では、16万5千人の増加も達成した。各地の主張大会なども、結集の新記録である。地域社会に、創価の青年への信頼が大きく広がっている。
 いよいよ青年部の時代である。女子部の時代である。
 そして、その陰に、偉大な婦人部の方々の祈りと励ましがあったことは、申し上げるまでもない。あらゆる点で、婦人部の功績は計り知れない。「婦人部ありがとう!」「婦人部万歳!」と申し上げたい(大拍手)。

■ 一、学会本部が信濃町に移転して55周年。
 今年、学会本部には、じつに160万人を超す方々が、喜々としてお越しくださった。まざしく“千客万来”の賑わいである。
 「学会は、人材をもって城となすのだ。断じて、人材の城を築くのだ!」とは、わが師・戸田城聖先生の叫びであられた。
 今、一切が激しく揺れ動く社会にあって、盤石なる創価の「人材の大城」ができ上がってきた。私どもに寄せられる期待は、いよいよ大きく、いよいよ深い。
 この創価の大城は、戸田先生と私が、命をかけて築き上げた城である。
 私は、19歳で先生の弟子となり、青春をなげうって、全身全霊で、最大の苦境にあった先生をお護りした。
 病弱だった。先生の事業を支えるため、夜学も断念せざるを得なかった。給料さえ、ないこともあった。
 多くの同志が先生を侮り、罵り、去っていった。
 しかし、私の心は晴れ晴れとしていた。
 先生と出会い、先生の弟子として、死力を尽くして闘った青春の日々。それは、私の永遠の誇りである。
 戸田先生は、牧口先生をお護りした。
 私は戸田先生をお護りし、大恩ある師匠を全世界に宣揚した。
 「世界一の師弟の道を歩み抜いた!」と、御本尊の前で、胸を張って言うことができる。
 偉大な先生であった。厳しい先生であった。師子王の威厳と風格の先生であられた。
 先生は、私という弟子を見つけ、離さなかった。「大作一人いればいい」と言ってくださった。
 その師匠のために、肺病の無名の青年が一人立ち上がり、今日の学会を築き上げたのである(大拍手)。
 私の心の中には、いつも戸田先生がおられる。だから、どんな迫害にも負けなかった。
 師弟とは、人間の究極の道である。命がけの決心でなければ、継ぐことはできない。
 勇気があるのか、正義が燃えているのか、分からない──そんな中途半端な姿ではいけない。
 観念ではない。明確な「行動」がなければならない。
 小さな自分をなげうって、人生の最後の瞬間まで、師匠の正義を叫び、大恩に報いていく──これが弟子の道である。
 今、新しい創価学会を築く時である。
 後継のリーダーは「師弟なくして仏法はない」という一点を、わが生命に刻みつけていただきたい。

■ 一、今年も、来日された中国・胡錦濤国家主席との会見をはじめ、世界の要人、識者との対話が相次いだ。
 光栄にも、皆様方を代表して、世界から多くの栄誉も拝受した。
 すべて、不二の同志である皆様方のご一家に、子孫末代まで流れ伝わる栄冠である(大拍手)。
 〈本年1月には、アメリカの首都ワシントンDCの連邦議会議事堂で、名誉会長の傘寿を祝賀して掲揚された「星条旗」が名誉会長に贈られた。
 ロシアからは「友好勲章」が贈られ、名誉会長に授与された国家勲章はこれで「27」となる。
 名誉学術称号は「246」。名誉市民称号も、アメリカ・ハノーバーパーク市から贈られた「名誉市民証」(今月18日)、台湾・外埔郷(がいほきょう)から贈られた「名誉郷民証」(同19日)、台湾・沙鹿鎮(さろくちん)から贈られた「名誉鎮民証」(同21日)を含め、本年1年間で「50」を数え、累計で「608」となる)

● 全員が「青年」に
 一、さあ、「青年・勝利の年」の開幕である。
 妙法は「不老」、すなわち生命力が老いることのない法である。
 また妙法は「蘇生」、すなわち「よみがえる」力の源泉である。(御書947ページ)
 妙法を朗々と唱えながら、全員が生き生きと「青年」に若返る年だ。
 そして青年を育て、青年と共に、いまだかつてない「勝利」また「勝利」の黄金の歴史を飾ってまいりたい。
 青年部の諸君は今、私が綴ってきた「創価の師弟の劇」を、魂に刻みつけていただきたい。
 私が命をかけてつくりあげてきた、戸田先生の魂の脈打つ創価学会である。心ある方から“現代の奇跡”とまで言われた、SGIの発展である。絶対に邪悪な者に破られてはならない。

● 笑顔の役者に!
 一、ルネサンスの知性アルベルティには、「思い上がり」を戒めた寓話もある。
 ──ある傲慢な星が「じぶんの光が、まわりの星よりも、もっともっとすばらしい」(前掲渡辺訳)と考えて、他の星たちを見下して、馬鹿にした。
 「こんな星たちと、いっしょになんか、いられないわ。遠くへとんでいって、あたしの光が、どんなにかがやくか、見せてやるわ」(同)
 そして、その傲慢な星は、一人、流れ星になって、仲間から離れていった。
 ところが、一層輝くどころか、いつの間にか、真っ暗な夜空に吸い込まれるように、誰からも見えなくなってしまった、というのである。傲慢な人生の、哀れな末路そのものといってよい。
 仏に等しい尊極の学会の同志を軽んじた反逆者の転落の行く末が、どれほど侘しいか。皆様がご存じの通りだ。

■ 一、学会は、平等大慧の妙法に則った、異体同心の和合僧である。誰が上とか下とかではない。皆が同じく広宣流布に戦う同志である。皆が等しく尊い存在なのである。
 そのうえで、広布のリーダーは、宝の同志に深く頭を下げて、「毎日、ご苦労さまです!」「ありがとうございます!」と感謝し、讃えていくのだ。
 もちろん、誰人にも、辛いことや悲しいことはある。だからこそ、信心で立つのだ。
 自己の悲哀を敢然と乗り越え、「笑顔の役者」となって、朗らかに友を包み、友を照らし、希望の方向へ、幸福の方向へと、全軍を引っ張っていくのである。そこに自分自身の幸福もある。
 我ら創価の励ましのスクラムは、いかなる暗き混迷の世においても、一人一人が自分らしく輝き、皆が麗しく光を放ちゆく、勝利の人材の大銀河なのである。

■ 後輩を大事に! 人材を伸ばせ!
 一、迫害の嵐の中にあった昭和54年(1979年)。嫉妬うず巻く日本を去って、外国に行ったほうがいいのではないか──そういう声もあった。
 しかし、妻は、微笑んで言った。「あなたには、学園生がいます。学園生は、どうするのですか。きっと寂しがりますよ」
 そうだ。学園生がいる。未来の生命たる青年たちがいる。その若き友のために、私は戦おう──こう心に決めたことを思い出す。
 きょうは、青年部の代表も参加している。
 戸田先生は、私をはじめ青年部の中核が集う「水滸会」で、厳しく言われた。
 「忘恩の人間には、何も任せられない。任せても何もできない」
 青年よ、「報恩」の二字を忘れるな!─これが恩師の遺言である。わが生命に深く刻んでいただきたい。
 悪を放置してはならない。絶対に許してはならない。

●  勇敢な信心たれ
 一、日蓮大聖人は、「末法の御本仏」であられる。
 ありとあらゆる三障四魔や三類の強敵が襲いかかってきても、御本仏の赫々たる御生命を破ることなどできなかった。
 ありがたいことに、妙法を信受し、大聖人の仰せの通りに、広宣流布に生き抜く私たちは、末法の御本仏の師子王の大生命を、そのまま、わが身に涌現することができる。
 「此の曼茶羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の和し・いかなる病さは(障)りをなすべきや」(御書1124ページ)とは、あまりにも有名な一節である。
 師子吼の題目を唱える人は、絶対に行き詰まることはない。
 師子王が吼えれば、百獣は恐れおののく。そのように、あらゆる魔性を披ることができる。病魔も破ることができる。
 全宇宙の諸天善神が私たちの味方となるのだ。何も心配はいらない。何も恐れる必要はない。
 薪を加えるほど火が盛んになるように、難に遭うほど、旺盛な大生命力をわきたたせていける。仏の境涯を開いていける。それを大聖人は、身をもって教えてくださった。
 偉大なる仏の力がみなぎれば、障魔に負けるわけがない。
 その大宇宙のような広大な境涯を涌現していく、ただ一つの条件がある。
 それは「信」である。「但し御信心によるべし」「能く能く信ぜさせ給うべし」(同ページ)と仰せの通りである。
 どんなに鋭い剣があっても、それを使う人が臆病であれは、何の役にも立たない。
 大聖人は「法華経の剣は信心のけなげ(勇)なる人こそ用る事なれ」(同ページ)と仰せになられた。
 苦難に襲われたその時に、「勇敢な信心」「潔い信心」「勇猛な信心」「強盛な信心」があるかどうかだ。
 「心こそ大切」(同1192ページ)である。大聖人は、幾度も「信ぜさせ給へ」等と強調されている。
 今、時代は、乱気流の中に突入している。どんなに社会が動揺しても、いな、社会が動揺している時だからこそ、自らの信心だけは微動だにさせてはならない。
信心さえ揺るがなければ、いかなる状況も、必ず打開できる。最後は必ず勝利する。
 「わざはひ(禍)も転じて幸となる」(同1124ページ)のが妙法の力であるからだ。
 御聖訓に「心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか」(同ページ、通解)と仰せの通り、どこまでも、祈り切ることだ。祈り抜くことだ。
 大悪をも大善に変えていくのが、日蓮大聖人の仏法である。私たちの信心である。
 苦難こそ、信心の無量の力を引き出していく最大の転機だ。御本尊の絶対の功力を証明する絶好の時である。
 諸天善神が間違いなく動きに動き、私たちを護りに護る。今まで以上に、思ってもみなかった力が発揮できる。そうでなければ、御書も法華経も、全部、虚妄になってしまうではないか──。
 この大確信で、いよいよ勇み、立ち上がっていただきたい。
 私たち学会員の信心が一段と深まり、人々に妙法の功力を示しきっていく時が来た!今こそ人間革命できるのだ!──そう深く心に決めて進んでまいりたい(大拍手)。

● 御書の翻訳は師弟の聖業
 一、本日の会議には、教学部の若き俊英も参加している。
 「師弟直結の教学」「広宣流布の教学」「破邪顕正の教学」「人材育成の教学」そして「仏法勝負の教学」を先頭に立って実践しゆく皆様の奮闘は、誠に頼もしい。
 いつもご苦労さま!
 昭和27年(1952年)4月、日蓮大聖人の御書全集が創価学会の手によって発刊された時、発願者である戸田先生は「発刊の辞」で明快に宣言された。
 「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事をひたすら祈念して止まぬものである」と。
 この「仏法西還」そして「一閻浮提(世界)広宣流布」は、大聖人が誓願され、日興上人が受け継がれた聖業である。
 御書には、こう仰せである。
 「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(588ページ)
 さらに、日興上人は「日蓮大聖人の御書も、広宣流布の時には、また仮名交じり文(日本語)を外国語に翻訳して、広く世界に伝えるべきである」(御書1613ページ、趣意)と展望されていた。
 見栄っ張りの五老僧らは、かな文字で庶民にわかりやすく書かれた御書を軽んじた。
 しかし日興上人は、その大聖人の御書が、必ず全世界に向けて翻訳される時代が来ると断言された。
 戸田先生は、この大願を果たされるために、正しい御書を残された。そして、世界への翻訳を、後継に託されたのである。
 戸田先生のご構想を実現するため、私自身、教学部の代表として御書再版の校正作業に携わった。輝かしい青春の思い出である。
 世界広布の伸展とともに、私は御書の翻訳事業にも着手した。
 今や御書の翻訳・出版は英語、中国語、スペイン語、韓国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語、オランダ語、デンマーク語などに及んでいる。現代の鳩摩羅什ともいうべき、最優秀の翻訳陣・通訳陣の方々に、この席をお借りして、最大に御礼を申し上げたい。
 その福徳は、広大無辺である。本当にありがとう!(大拍手)

● 日々、御書を拝せ
 一、私の妻は、幼き日、自宅の座談会で、特高警察の監視の中、御書を拝して師子吼される牧口先生のお姿を生命に刻みつけた。
 そして戸田先生のもと、「女子部は教学で立て!」と薫陶を受けた。ゆえに、どんな時でも、御書を真剣に拝読し続けてきた。
 婦人部となってからも、時には台所の片隅で、寸暇を惜しんで御書を拝していた。
 いわゆる言論問題の嵐の渦中、ある新聞記者が、取材のため、私のもとに来た。そこで偶然、妻が黙々と御書を研鑽している姿を目の当たりにした。
 その記者は”こんな時にも、仏法の教えを学んでいるのか”と驚いたという。
 だから、妻は負けなかった。婦人部は揺るがなかった。大難の中にも泰然自若として、微笑みながら、同志を励ましていった。
 その勝利の源泉こそ、「唱題」であり、「御書」なのである。

 一、戸田先生は、御書研鎖の姿勢について「一行一行、拝しながら、『その通りだ。まったく、その通りだ』と深く拝読していくべきだ」と教えられた。
 御書の一節だけでもよい。日々、拝読しながら、実践していくことが大切だ。
 全国各地で、男女青年部の教学部長も立ち上がっている。
 「青年・勝利の年」は「行学・勝利の年」でもある。どうか、大いに学び、大いに実践して、仏法勝負の金字塔を堂々と打ち立てていっていただきたい。

● 歓喜に燃えて
 一、御義口伝には仰せである。
 「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(同788ページ)
 私たちの生命には最高に強く、尊い仏の生命が厳然と具わっている。胸中にこの仏界が輝く時、いかなる魔性も、私たちを苦しめることはできない。
 嘆いてばかりの仏はいない。宿命に負けてしまう仏などいないのである。
 真実の幸福を築くための仏法だ。
 「衆生所遊楽」のための信心である。
 天人が満ちあふれ、常に妙なる音楽が奏でられており、天空からは、めでたい曼陀羅華が降り、仏やその他の衆生の頭上にそそいでいる──法華経寿量品には、衆生が遊楽する仏国土について、このように記されている。
 強き信心で生き抜く私たちの境涯は、常に喜びに満ちている。和楽が広がっている。これが、創価の世界なのである。

● 晴れやかな新年のスター卜を
 一、結びに、権力悪と戦った、文豪トルストイの若き直弟子グーセフの信念の叫びを、わが後継の青年部に贈り、私の本年最後のスリピーチとさせていただきたい。
 彼は綴っている。
 「人生を砂上ではなく、岩盤に築くべきである。雨や嵐がより強いところで揺るがぬ人生を生きていくべきだ」
 1年間、本当にありがとう!
 「勝って兜の緒を締めよ」で、明年もまた、勝利、勝利の1年としてまいりたい。
 皆、風邪をひかないように!
 金同志の健康とご多幸を、妻とともに祈りに祈ります。
 世界192カ国・地域の同志とともに、最高に素晴らしい新年をお迎えください。
 そして、新年勤行会から、「青年・勝利の年」の晴れやかなスタートを切りましょう。
 役員の皆様には、大変にお世話になりますが、一切無事故で、全同志が喜び勇んで出発できるよう、よろしくお願いいたします。
 きょうは長時間、本当にありがとう! また、お会いしましょう!(大拍手)