投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 9月16日(金)00時56分6秒   通報
【先生が何も語られないことに大きな意味がある。】

その通りです。弟子に一切を託されたのです。
私達が責任を持って池田先生の後継の道を歩むのです。

真理を決める主体は『民衆』である。
これが、池田先生の21世紀の宗教の結論です。

個人においても、団体においても、権威や権力、上からの命令や押し付けは、長続きはしない。

また、本物の信仰者になることは出来ない。本物が育つ土壌も出来ない。誓願とは押し付けられるものではない。あくまでも個人の中から湧いてくるもののはずです。
第一、オウムのように幹部がセーガン、セーガンと何かのキャンペーンのように指導していても何がなんだか良く分からない。

『深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む』

ここです。先生が待っているのです。
池田先生を後継する弟子の力によって、次の学会を守り切り開け。なのです。

民衆の心から湧きあがってくるものでなければ、新しい世紀を開く力ある宗教にはなり得ないのです。

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http://6027.teacup.com/situation/bbs/56270

>>池田先生の指導を読めば明確ではないか!これが人間主義です。
査問は権威主義であり組織主義である、非人道的な行為と断じます!
ならば、池田先生がご発言されないことが「了承した」とは成り立たなくなるのは明確です。<< >>さて、過去に安保法制の決議で「池田先生が何もご発言されていないから了承された」と言った幹部に問いたい。

はたして、池田先生がご発言されない事が「了承された」と言えるのでしょうか。
先生がご発言されない事を、組織に都合よく解釈していないだろうか。<< >>池田先生がご発言されない事に深い意味がある。
それは無言の指導として、会員一人ひとりが真摯に受け止めて行くべきです。<< ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~?【法華経の智慧より】 §信解品§?■ 信解 ?- 「信仰」と「智慧」のダイナミックな関係 斉藤: この座談会のサブテーマは「二十一世紀の宗教を語る」ですが、これに関連して、忘れられない池田先生の語らいがあります。それは二年前(1993年)の三月、ハーバード大学のサリバン博士と会談された時のことです。 須田: 私もよく覚えています。聖教新聞に大きく「二十一世紀の『人間と宗教』を語る」と掲げられていました。 遠藤: サリバン博士は、ハーバード大学の「世界宗教研究センター」の所長でしたね。 名誉会長: そう。その時、語り合ったことが、この「法華経の智慧」の一つの底流にもなっている。 斉藤: 語らい全体が素晴らしかったのですが、なかでも特に印象深かったのは、二十一世紀の宗教はどうあるべきかを論じられたところです。?宗教と宗教は「民衆に応える」という点で「自由競争」をすべきだと、先生は強調されました。そして、その平和的論争の基準ヒして、仏法は三証(文証・理証・現証)を説くこと、宗教にも寿命があり、死せる宗教に固執すべきではないこと、などを論じられています。先生の結論は意外でした。 ?「ともあれ何が真理かを決める主体は『民衆』です」と。?いえ、意外どころか、実はそこに感動したのです。“そうだったのか。仏法者の民衆観、宗教観とは、こういうものなのか”と。 遠藤: もし私なら、「日蓮大聖人の仏法しかありませんよ」と言いっ放しで終わったかもしれません(笑い)。 斉藤: 確かに、私たちは、ともすれば、そういう飛躍をしがちですね。?私が感動したのは、二十一世紀の宗教はどうあるべきかを決めるのは「民衆自身」であるということです。これは同時に、民衆が考え、民衆か賢くなり、民衆自身が選んだのでなければ、真の民衆宗教とは言えないということでもあります。 須田: 確かにそうですね。もし仮に、ある優秀な為政者がいて、「正しい宗教はこれだ」と考えたとします。それを国民のために国教にし、「正しいのだから、皆、これを信仰しなさい」と命じたとします。極端な例えかもしれませんが、これでは、宗教は民衆に根づかないでしょう。 ?正しいからといって、何かの力によって一方的に与えられたり、保護されたりしたのでは、「宗教の死」です。民衆の「精神の自由の死」につながってしまう。 名誉会長: そう。仏教にはもともと、権力を使って信仰を押し付けようという発想はない。アソカ大王も自身は熱心な仏教徒であったが、全宗教への寛容に徹しています。?日蓮大聖人は、佐渡流罪から戻られた時、寺を寄進しょうという幕府の申し出を断ったと伝えられている。幕府に保護してもらおうなどという発想は、微塵ももっておられなかったのでしょう。 遠藤: 「権力が主体」ではなく、「民衆が主体」ということですね。今の時代では、なおさらそうあるべきだと思います。 http://sgi-shiteifuni.com/?p=6762