投稿者:無冠 投稿日:2016年 9月13日(火)20時14分28秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2008-8-15 【全国代表協議会】

■ 一、暑い中、本当にご苦労さま!
 未来のために、きょうも語りたい。学会創立80周年の2010年に向かって、永遠の勝利の土台を、ともに築いてまいりたい。
 あれは、1951年(昭和26年)の年頭のことであった。
 師匠・戸田城聖先生の事業は、最悪の逆境が続いていた。一部の債権者からは厳しく追及されていた。
 死をも覚悟された、わが師に、二十三歳の私は、ただ一人、師子奮迅の力で、お仕えした。
 自らの病気とも闘いながら、阿修羅のごとく、一心不乱に奔走し、わが師をお護りする一日また一日であった。
 その悪戦苦闘の渦中である。
 朝早く出勤なされた先生は、「この本を君にあげよう」と言われ、一冊の本を私に手渡された。
 鮮やかな赤い布の装丁であった。
 その一書こそ、イギリスの作家ホール・ケインの革命小説『永遠の都』であった。
 小説の舞台は、西暦1900年のイタリアの都ローマ。
 若き革命児たちが、あらゆる試練を乗り越え、勝ち越えて、「民衆勝利」「青年勝利」の新時代を開き切っていく、壮大な物語である。
 この書は、1901年(明治34年)に書き上げられた。
 日本では、翻訳が1930年(昭和5年)の7月20日に改造社から発刊された(戸川秋骨訳)。創価教育学会の創立の直前である。
 師と仰ぐ牧口常三郎先生を、若き戸田先生が厳然と支えて、学会創建の奮闘を重ねている時であった。
 わが生命に刻まれた一書を、戸田先生は愛弟子の私に、後継の記別のごとくに託されたのである。
 先生は言われた。
 ──君が選んだ同志に、この本を読ませてあげてよい。
 みんなが読み終わったら、感想の発表会をもとうよ──
 私は電光石火、13人の同志を選び、表紙の裏に名前を言いて、一人2、3日ずつで読了し、回し読みをした。
 そして、本を手渡されてから1カ月余の2月8日には、戸田先生を囲んで、この書を通して、皆で誓いを語り合ったのである。
 これが「水滸会」の淵源となった。
 さらにまた、青年部の結成への出発も、ここにあった。

● 民衆とともに民衆のために
 一、「政治」の権力と「宗教」の権威──この二重の圧制に苦しむ民衆を断じて救わねばならないと立ち上がったのが、主人公の青年、デイビッド・ロッシィである。
 青年ロッシィは、
 「人間の共和」という理想の旗を高らかに掲げ、勇敢に独裁者に立ち向かった。
 彼は、民衆を愛し、民衆とともに、民衆のために行動しゆくリーダーであった。
 その瞳は、理想に輝き、全身には大情熱がみなぎっていた。
 小説には、こう描写されている。
 「それは燃えつきてやまない偉大な心を持った人間の表情であり、その人聞性に対する共感は炎となって燃えさかるものだった。
そして世を救おうとする熱情は燎原の火にちがいなかった」(新庄哲夫訳『永遠の都』潮文庫。以下の引用も)
 諸法は実相である。
 広布の指導者は、まさしく妙法蓮華経の当体として、生き生きと若々しく、わが生命を光り輝かせていくことだ。

● 新しい声から新しい前進が
 一、非暴力を掲げるロッシィの最大の武器は何か。
 それは「言論」であった。
 勇み集った民衆に、彼は声も高らかに叫んだ。
 「今夜、われわれがここに集まったのは、およそこの世で最も強力なものに──いかなる軍隊よりも、いかなる下院よりも強力なものに、いかなる国王よりも絶対的な力を持つものに──つまり、世の道徳的な支持と全世界の世論に訴えるためであります」
 誠実に語る正しき道理が、人間の心を打たないはずがない。
 命を賭した信念の正論が、民衆の生命に響かないはずがない。
 ロッシィは、「声」を力にして、叫び戦った。戦い叫んだ。
 対話の波で、一人また一人、友をつくり、味方を広げた。
 弁論の剣で、敵を責め、邪悪を倒した。
 そして、同志もまた「声」をあげて戦えるように励まし、勇気と確信と執念を贈っていったのである。
 彼は訴えている。
 「勇敢であれ。自信を持て。忍耐強くあれ」
 「諸君の叫び声は世界の果てまでとどろきわたるだろう」
 仏法では「声仏事を為す」(御書708ページ)と説く。この「声」は仏様の呼吸であり、音声である。「声」によって仏様の仕事を為すことができるのである。
 ゆえに、リーダーは「声」を惜しんではならない。「声」の限りを尽くして、語りまくり、しやべりまくっていくことだ。
 蓮祖大聖人は、あの重書「諸法実相抄」を「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(同1361ページ)と結ばれている。
 「新しい前進」──それは特別なことではない。「新しい息吹」で、「新しい声」を発するところから始まるのだ。
 いよいよ各地で、勢いよくスタートを切る会合が行われる。
 出発が肝心である。リーダーは、よく打ち合わせをして、来てくださった方が元気になるように、いい話をすることだ。全力をあげていただきたい。

● 雄弁は勝利の力
 一、「師匠」の声に応えて、「弟子」も声を上げていく。そこに師子吼がある。
 師弟不二の叫びこそが「師子吼」なのだ。
 この声に勝る力は絶対にないのである。
 〈御義口伝には「師子吼とは仏の説なり」「師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(御書748ページ)とある〉
 戸田先生は、よく言われた。
 「ひとたび戸田の弟子となったならば、その日から、いかなる邪論、暴論にも屈してはならぬ。負けるような意気地無しは、戸田の弟子ではない。断じて破折し、打ち破っていくのだ」
 その通りに師子吼を貫き通してきたのが、私の青春であった。
 ともあれ、雄弁こそ「勝利の力」である。

■ 一、わが創価学園は、校訓の一つに、「自分の信条を堂々と述べ、正義のためには、勇気をもって実行する」と掲げている。
 うれしいことに創価学園は、弁論においても”日本一の名門校”と輝いている。
 先日も、創価中学校の「創価雄弁会」が見事、全国優勝を果たした(大拍手)。
 〈第十三回「全国中学・高校ディベート選手権」(主催=読売新聞社、全国教室ディベート連盟)で〉
 若き”二十一世紀の創価のロッシィ″が、はつらつと育っている。
 これほど、うれしく頼もしいことはない。
 一、正義の戦いを起こすならば、断じて勝つことだ。異体同心で進むことである。
 我らの目的は広宣流布即世界平和である。
 創価学会は、大聖人の仏法を奉持した仏意仏勅の団体である。
 我らの前進は、どこまでも信仰を根幹に、全民衆を幸福にしていくのである。
 民衆を利用し、民衆を苦しめる動きは、断じて許さない。
 今、時代は大きく変わってきている。
 まじめな庶民が馬鹿を見ない社会。
 一番、苦しんできた人が、一番、幸福になる世界。
 それを築くための戦いだ。
 戸田先生は、社会のだれからも見捨てられ、いじめ抜かれた人たちをも抱きかかえて、「本当にかわいそうだ。必ず救ってあげたい」と立ち上がられた。
 私は感動した。大慈悲の先生であった。その心を心として、きょうまで走ってきたのである。これが学会精神である。
 100年先まで考え、よく判断し、幸福と勝利の道をつくるのだ。賢明なる指揮をお願いしたい。
 民衆が栄える「永遠の都」を、ともどもに築いてまいりたい(大拍手)。

■ 一、『永遠の都』では、民主主義の理念がわかりやすく述べられている。
 「本来議会は人民の良心となり、政府はその良心の下僕となるべきであります」(戸川秋骨訳、改造社)
 「民衆こそ真の主権者であり、その民衆を抑圧する階層こそ唯一の反逆者なのであります」(新庄哲夫訳、潮出版社)
 この基本中の基本が、いつしか見失われてしまうところに、権力の魔性があり、毒気がある。
 「この世にあっては、世論こそ最高に強力な武器である。いかなる悪も、その面前で生きながらえることはできません」(同)
 創価の言論を強め、深めていくことは、民衆の幸福、社会の正義、そして世界の平和の確立に直結している。その自負と責任を、決して忘れてはならない。

 一、日興上人は教えられた。
 「ただ題目の五字を唱え、たとえ三類の強敵による難を受けても、諸師の邪義を責めるべきである。
 このことは、法華経の勧持品第13や常不軽菩薩品第20に明確に説かれていることであり、上行菩薩の再誕として出現され弘教された日蓮大聖人が、身をもって証明されたことである」(御書1614ページ、通解)
 法華経の敵を責めなければ、どれだけ知識を得ようと、社会的地位を得ようと、成仏とは関係ない。 邪義を責めなければ、大聖人の仏法ではないのである。

● 人間性をおとしめる輩を見破れ
 一、”内なる悪”と闘わなければ、”外なる悪”と闘うことはできない。
 『永遠の都』には、卑しい裏切り者の姿も厳しく描かれている。
 彼は、自らの野望から権力者の暗殺計画を立て、当初、ロッシィに取り入ろうとした。しかし、その意の本性を鋭く見破られ、追い出されてしまう。
 すると今度は、それを逆恨みして、権力側に立って、ロッシィたちに数々の陰謀を仕掛けてくるのだ。
 御書には「大慢のものは敵に随う」(287ページ)という歴史の通弊が喝破されている。
 結局、この卑劣漢は権力者からも見放され、逮捕され、惨めな敗北の末路をたどっていくのである。
 また、『永遠の都』では、真の指導者が依って立つべき正しき王座とは、「民衆の敬愛という広い基盤」(前掲の新庄訳)であると示されている。
 自らの野心から民衆を利用し、人間性をおとしめる輩は、必ず断罪される日が来る、と論じているのだ。

● 「艱難を受け止める覚悟」
 一、幹部は、役職が高ければ高いほど、同志に尽くさねばならない。青年ロッシィは繰り返し、厳しく自分を戒めた。
 「民衆のために一身をささげよう。自分と、人の世のために尽くすという仕事とのあいだには──たとえどんなことであれ割り込んでくる余地はないのだ」(前掲の新庄訳)
 「わが身に課した使命をつらぬくにあたって、いつふりかかってくるやもしれぬ艱難を受け止める覚悟ができていなくてはなりません」(同)
 「民衆の苦しみをわが苦しみとすることによって、われわれは『人間共和』の市民、召使として献身することを誓う」(同)
 また、次のようにも綴られている。
 「われわれは理想のために生きるべきだ。理想というのは、この世でたったひとつの生き甲斐あるものだし、もしそのために一命を賭すような羽目になったとしても、われわれは男らしく死ぬぺきだ」(同)
 この書を青年に読ませた、戸田先生の心の深さが、あらためて偲ばれる。
 師匠が師子ならば、弟子も師子とならなければならない。それでこそ、師子王の学会をより強くしていけるのだ。
 『永遠の都』で描かれた、民衆指導者の鑑の姿を、創価の革命児は厳然と示し、留めていただきたい(大拍手)。

● 勝つために師弟がある
 一、弟子として、私は、一心不乱に、戸田先生を護り、宣揚してきた。今も戸田先生にお仕えする心で生きている。
 師匠に何かをしてもらおう。そう思って待っているだけでは、成長はない。
 弟子が師匠のために何ができるかだ。
 師匠に喜んでいただける戦いをしよう。これが本当の弟子だ。
 その心に徹し抜いたからこそ、私は、熾烈な広宣流布の戦いを厳然と勝ち開くことができたのである。
 仏法は勝負だ。勝たねばならない。
 使命ある皆さんは、悔いなき人生を歩んでいただきたい。絶対に勝っていただきたい。
 そのために、師弟があるのだ。見栄とか飾りのためではない。
 仏法の師弟に生き抜く人生ほど、強いものはないのである。

● 光る女性の活躍
 一、さて、『永遠の都』では、美しく強き女性、ドンナ・ローマの活躍が、物語のクライマックスとなる。
 「人間性こそ、この世でもっとも神聖なものです」(新庄哲夫訳、潮出版社)とは、この物語の重大なテーマである。
 その「最も神聖な人間性」を最大に発揮していくのが、このドンナ・ローマである。
 戸田先生は、女子部に対して、「ドンナ・ローマの崇高な心から学んでいきなさい」と語りかけられた。
 物語では、ロッシィに代わって、一切の責任を担った彼女が、凛然たる姿を法廷で示し切っていく。その勇気に呼応して、全国の各州から、民衆が陸続と押し寄せる。そして、ついに革命は成就していったのだ。
 彼女は”政治家が百年かかって達成することを一日でやってのけた”とも評された。
 彼女は、勝利と幸福を得てまもなく、病で亡くなってしまった。しかし民衆は、彼女を「偉大な殉教者」と讃え、尊敬し、仰いでいったのである。

■ 一、ここで御聖訓を拝したい。
 日蓮大聖人は、ある女性門下(王日女)の真心の供養に心から感謝され、門下の信心を、次のように讃えておられる。
 「ある貧しい女性が(仏に灯を供養するために)自分の髪を剃って、(その髪を売って)油にしました。すると須弥山を吹き抜くほどの強い風も、その火を消すことはできませんでした。
 ですから、(あなたが真心から供養された)この二百文、三百文というお金は、日本国を治める人(最高権力者)が国を寄進し、七つの宝で飾られた塔を、?利天(=欲界の六っの天のうちの一つ。地上から八万由旬の高さ)に届くほど高く組み上げて供養するよりも、すぐれているのです」(御書1263ページ、通解)
 一人の女性の信心の真心ほど、強く尊いものはない。どんな権力も、どんな財宝も、絶対にかなわない。そう大聖人が御断言しておられるのである。

● 創価とは「正義の中の正義!」
 一、さらに『永遠の都』には記されている。
 「正義という永遠の精神が存在するのだ。諸君の子にそれを教えたければ、母親たちはそれを守らなければならぬ」(前掲の新庄訳)
 この一節の通り、正義の精神を体現して、日々、希望と幸福の連帯を拡大しておられるのが、わが創価の女性の皆様方である(大拍手)。
 戸田先生が、第2代会長に就任して、各部に先駆けて結成したのが婦人部であった意義は、あまりにも深い。
 「創価」とは、「正義の中の正義」である。
 この究極の「永遠の精神」を母から子へ、婦人部から未来部へ、厳として守り伝えていかねばならない。

● 「断じて同志を裏切るな!」
 一、インドの非暴力の闘士マハトマ・ガンジーは叫んだ。
 「魂は、良き同志なしでは枯渇する」と。
 その通りである。
 戸田先生が、『永遠の都』を通して、青年の生命に打ち込まれたことは、何か。
 それは二人の青年革命家ロッシィとブルーノが示した絶対の同志愛であった。
 断じて同志を裏切るな! 絶対に師匠を裏切るな!──この一点を、戸田先生は、青年の魂に刻みつけられたのである。
 清廉潔白の指導者ロッシィを、何とかして陥れようとする、数々の謀略の中で、逮捕された同志ブルーノ。
 しかし、ブルーノは、いかなる拷問を受けても、屈しなかった。
 陰険な虚偽の策略にも耐え抜いた。
 そして、ついに、指導者ロッシィの正義と真実を叫び切って死んでいったのだ。
 それは、戦時中、軍部権力の弾圧で投獄された牧口先生に、最大の感謝と喜びを込めてお供した戸田先生の真情と、深く響き合っていた。
 戸田先生は、獄中で”罪は自分一身に集まり、牧口先生は一日も早く帰られますように”と、祈り続けておられた。
 そして、牧口先生の獄死の知らせに、広宣流布の巌窟王となって、仇討ちに一人立ち上がられたのである。
 この峻厳なる「師弟不二」の結合の中にこそ、いかなる大難にも崩されぬ金剛不壊の正義の大域がある。
 ここにこそ、生死をも超えた、荘厳なる永遠不滅の生命の都が開かれるのだ。

● 常に師と共に!
 一、大聖人は、流罪の地・佐渡で、弟子の最蓮房に仰せになられた。
 「日蓮は、日本国の一切衆生に法華経を信じさせて、仏に成る血脈を継がせようとしているのに、かえって日蓮を種々の難に遭わせ、揚げ句の果ては、この島まで流罪した。
 ところが、あなた(最蓮房)は、日蓮の弟子となって付き従い、また難に遭われている。その心中が思いやられて、心を痛めています」(御書1337ページ、通解)
 「あなたは、過去の宿縁に運ばれて、このたび、日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦仏・多宝如来こそ、ご存じであると思われる。
 『いたるところの諸仏の国土に、常に師とともに生まれる』との経文は、決して嘘ではあるまい」(同1338ページ、通解)
 この御聖訓の真髄を身読なされたのが、戸田先生である。
 その戸田先生と不二の実践に徹し抜いたのが、私である。
 牧口先生と戸田先生、そして戸田先生と私が歩み抜いてきた、この「師弟不二の道」こそ、「絶対勝利の道」であり、「永遠勝利の道」なのである。

■ 一、今回、私は、デューイ協会のガリソン会長、ヒックマン前会長と、新たな対話を開始した。
 その中で、ガリソン会長が、ぜひとも語り合いたいと希望されていることがある。それは戸田先生と私の出会いに象徴される、師弟の「永遠性」である。
 師匠という大いなる存在と結びつくことによって、人は「永遠性」の次元に入っていくことができる。
 そしてまた、師弟一体で、未来の可能性を信じて行動していく中に、その「永遠性」を継続していく力があると、博士は洞察されているのである。
 世界の教育界の最高峰が、「創価の師弟」に人類の未来の希望を見いだしていることを、知っていただきたい(大拍手)。

 一、ともあれ、リーダーならば、大勝利の歴史をつくることだ。
 大きな会合で、人に号令するのではない。信心即行動で、小さな会合を回り、一軒一軒訪ね、一人一人と会い、信心の激励をして歩く。それが広布の大勝利の源泉である。勇気を奮い起こすのだ。
 「不可能とは、臆病者の言いわけである!」(『波瀾万丈のナポレオン』潮出版社)とは、常勝将軍ナポレオンのモットーであった。

● 立派な指導者に
 一、革命児ロッシィは、渾身の力で叫んだ。
 「知力を養え! 知力を養え! 団結せよ! 団結せよ! これがわれわれの合言葉であり、われわれの戦う武器なのであります」(前掲の新庄訳)と。
 師弟不二なれば、「随縁真和の智慧」は限りなく湧き出でる。
 師弟不二なれば、「異体同心の団結」は限りなく光り輝く。
 戸田先生は、「永遠の都」の建設を夢見て、一青年である私に託した。今、創価の永遠の都は、全世界に築かれた。
 イタリアにも、仏法は大きく広がり、師弟不二の青年たちが、ロッシィのごとく、ブルーノのごとく、ドンナ・ローマのごとく立ち上がっている。
 一人の青年が立てば、永遠の都は必ずできる。皆さんも、わが使命の天地で、歴史に残る広宣流布の指導者、創価学会の指導者になって、人生を飾っていただきたい。
 このことを誓いあって、記念のスピーチとしたい。長時間、ありがとう!
(大拍手)