投稿者:無冠 投稿日:2016年 9月12日(月)21時22分36秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2008-8-5 【創大・学園合同研修会】

■ 一、創価大学と創価学園の合同研修会、大変にご苦労さま!
 きょうは日本全国、そして全世界の教育界・学術界に光を送りゆく、創価大学、創価学園の首脳が集われた。
 教育者は、全世界の父であり、母である。ゆえに教育は、人間を創り、平和を創り、文化を創る力である。
 今、創価教育に対して世界から大きな関心と賞讃が寄せられているのは、皆様がご存じの通りである。
 各地では、創価同窓の友の活躍も光っている。また、未来を担う若き後継者の育成に尽力する皆様にも、この場をお借りして、深く感謝申し上げたい(大拍手)。

■ 私の青年時代は苦闘の連続だった。事業に失敗した戸田先生を支えるために、私は夜学を断念せねばならなかった。
 本当に大変な毎日だった。華やかな青春など、なかった。
 その私に対して、先生は毎朝のように個人教授を行い、万般の学問を授けてくださった。「私が教えてやるからな」と言われ、世界に通用する実力をつけてくださった。
 ありがたい先生であった。世界一の師匠であった。この先生の薫陶があったからこそ、今の私がある。
 先生は語っておられた。
 「教育は、知識を教えるのみではない。長い人生を、生き生きと生き抜いていく力を育むことが大切である」
 知識だけでは駄目だ。人間としての力、豊かな人生を生きるための智慧をどう育んでいくか。
 ここに教育の眼目がある。
 また、先生は、こうも述べておられた。
 「日本の教育の普及は、明治以降、急速に進んだ。
 戦後、大学も増大した。しかし、それが人間の幸せに本当にはつながっていない。
 大学生の数は増えても、人格も、智慧も、見識も乏しい人間が増え、学歴自体が目的になってしまった」
 本当に鋭い先生であられた。
 学歴至上主義は、人間を狂わせてしまう。
 「いい大学を出たから、私は偉い」。そうやって庶民を見下すような人間を生み出すだけならば、何のための教育か、わからない。
 大学は、大学に行けなかった人たちのためにある──私は、この信念でやってきた。庶民に尽くす指導者を育てるのが、真実の大学なのである。

●牧口・戸田先生の悲願を実現
 一、中国・華僑大学の呉承業(ごしょうぎょう)学長は昨年、創価大学で語られた。
 「大学の理念は大学の魂です。理念を持たない大学は魂のない肉体のようなものです。
 強い理念を持った大学は、学生だけでなく、その理念を持った民族を育てることができます」
 私立大学の「魂」は何か──。
 それは「建学の精神」である。「創立の原点」である。
 「創価教育の父」である牧口先生、そして戸田先生は、命を賭けて軍国主義と戦われた。ともに牢獄にまで行かれた。
 私も、戸田先生に命がけでお仕えしてきた。そして、牧口先生、戸田先生の悲願であった創価教育の学舎を創立したのである。
 世界の平和に貢献し、民衆の幸福に尽くす指導者を育成する。これが創価学園、創価大学の理念である。

■ ともあれ、創価学園をつくり、創価大学をつくる。それが、どれほどの難事業であったか。どれほどの障害があったか。
 しかし、私は「師弟の道」に徹し抜いてきたがゆえに、すべてに打ち勝ってきた。あらゆる苦闘を越えて、世界に広がる創価教育の大城を築いてきた。
 この「師弟」の闘争こそが、創価教育の大勝利を成し遂げた力なのである。
 皆様は、教育者である。師弟の重要性を、だれよりも知るべき方々である。どうか、この「師弟」という一点を深く心に刻んでいただきたい。

● 教職員が先頭に
 一、私はこれまで、創立者として、人間としての「一番、大事な道」を多くの人々に語ってきた。何より、自分自身が、その道を歩み抜いてきた。
 戸田先生は語っておられた。
 「教育は、どこか特別な場所にあるのではない。身近な振る舞いの中にある」
 口でどんなに偉そうなことを言っても、行動が伴わなければ教育者として失格である。学生や生徒も、教員の振る舞いを厳しく見ているものだ。
 例えば、自分がお世話になった恩人、自分にとって大切な人に対して、どのような姿勢をとっていくのか。
 大きな恩を受けておきながら、自分の力だけで偉くなったかのように思い、傲慢になる。偉ぶる。
 悪に対して、見て見ぬふりをする。ずる賢く立ち回り、本気で戦わない。それでは、本当の人間教育など、できるわけがない。
 また、アメリカの教育哲学者デューイ博士は述べている。
 「教育者は、他のどのような職業の人よりも、遠き未来を展望することを重視している」
 未来を創るのは教育だ。人間を育てることが、輝く未来を築くことになるのだ。
 創価大学、そして創価学園でも、新たな校舎などの建設計画が進んでいる。
 創価教育の発展は、いよいよ、これからである。皆がさらに心を合わせ、団結していけば、学園も、大学も、もっともっと伸びていける。
 どうか皆さんが先頭に立ち、新しい時代を切り開いていっていただきたい(大拍手)。

● 陰の力に徹する
 一、教育は人間性を開花させる。その根幹に「師弟」がある。
 戸田先生は、創価教育の父である牧口先生に、弟子として仕え抜かれた。牧口先生が戦いやすいように、あらゆる手だてを尽くして支えられた。
 戸田先生は振り返っておられる。
 「私は、牧口先生の膝下に拾われた人間である。牧口先生は、私を、校長をしておられた小学校に引き取って、訓導(=教師)の任命の手続きを行ってくれたのである」
 この牧口先生の恩に、戸田先生は一生涯、報いていかれた。師を讃えることによって弟子が光る、その模範であられた。
 また、師である牧口先生は、戸田先生に全幅の信頼を置かれた。
 牧口先生の大著『創価教育学体系』は、戸田先生が編集から発刊まで労を尽くされた、いわば”師弟の合作”である。戸田先生は述べておられる。
 「涙ぐましい師弟の結びつきのおかげで、創価教育学体系が出版されたのである。
 陰の力であった私のことは、誰一人ほめなかったが、私は一人、笑顔であった」

● 師弟の道に生き抜いた人は幸福
 一、当時、校長職にあった牧口先生を怨嫉し、退職に追い込もうとする勢力と、戸田先生は戦い抜かれた。
 戸田先生の教え子であった青年たちも、牧口先生を守る戦いに連なった。
 彼らの姿を見て、戸田先生は述懐されている。
 「教えた子どもたちが、これほど私を慕ってくれてうれしい。また、これほど立派に育ったかと思うと、教壇に立ったわが身の幸福をつくづくありがたいと思う。私の教えが、このように深く、若い心の中に入ったのだと思うと、しみじみと、偉大な教育の力を感じたのである」
 私は、この先生のお気持ちがよくわかる。
 いつの時代にも、師弟の道に生き抜いた人は幸福である。
 創価教育の指導者は「創立の精神」「建学の精神」と一体でなければならない。
 創価教育さえ盤石ならば、未来は明るい。民衆の指導者を陸続と育てながら、さらに世界へと平和の大道を広げていける。

■ 一、永遠に、教育の城だけは、断じて守り抜かねばならない。
 将来、創立の魂を汚す人間が出てきても、だれ一人、抗議しない。声をあげない──そうなれば、もはや、そこに創価教育はない。悪い勢力に乗っ取られたも同然であり、心ある人たちが皆、不幸になる。私が創価学園・大学をつくった意味は、無くなってしまう。
 牧口先生は叫ばれた。
 「悪人の敵になり得る勇者でなければ善人の友とはなり得ぬ。
 利害の打算に目が暗んで、善意の識別の出来ないものに教育者の資格はない。
 その識別が出来て居ながら、其の実現力のないものは教育者の価値はない」
 格好ばかりの”同志”は必要ないのである。戦うべき時には、堂々と悪を弾劾するのだ。
 いざという時に戦えない、保身と増上慢の”才能ある畜生”になってはならない。
 皆、「いい人生」を送ってほしい。そして抽象論ではなく、具体的に「いい大学」「いい学園」の建設を、さらに一段と推し進めていこう!
 私と一緒に!(大拍手)

● 教育者は最も素晴らしい仕事
 一、デューイ博士は共著の中で論じた。
 「良心、道徳的な考えぶかさは、それが勇気からきりはなされるやいなや、われわれを臆病にしてしまう」(久野収訳「倫理学」、『世界大思想全集』所収、河出書房新社)
 勇気こそ、知性や良心を最大に力あらしめる柱である。真実の教育者は、真実の勇者でなければならない。
 デューイ博士は、こうも言った。
 「成長は片手間に仕上げられるようなものではない。それは絶え間なく未来に進んで行く過程なのである」(松野安男訳『民主主義と教育』岩波文庫)
 教育こそ、未来を創り、時代を創り、希望を創る力である。
 ゆえに、教育者こそ全世界で最も素晴らしい仕事である。
 そしてまた大学、短大、学園といった教育機関こそ、人間として最高に誇り高い、最重要の機関であると私は申し上げたい。
 ともどもに創価教育の「誓いの同志」として、心一つに進んでいこう! 長持間、ありがとう!(大拍手)