投稿者:無冠 投稿日:2016年 9月10日(土)15時42分14秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2008-6-24 【各部合同協議会】

■ 一、ご苦労さま!
最初に、女子部の皆さんに「希望」「聡明」、男子部の諸君には「正義」「後継」との指針を、色紙にしるして贈りたい(大拍手)。
きょうも少々、スピーチをさせていただきたい。全国、全世界の友が待っているからだ。
また、後世のために語り残したい。どうか、楽になって聞いていただきたい。

● 賢明なる指揮を
一、皆様の団結の力で、創価学会は見事な発展を続けている。今や世界的な学会になった。
これからも、油断することなく前進をしてまいりたい。
ともあれ、同じ人生を生きるのであれば、勝ったほうがいい。胸を張って、偉大な境涯で、悠々たる人生を歩んでいったほうが得である。
他人に対してヤキモチを焼いたり、陰でコソコソするような、卑屈な、悲しい、敗北の人生であってはいけない。
御書には「邪悪の者にそめられぬれば必ず地獄にをつ、法華経にそめられ奉れば必ず仏になる」(1474ページ)と仰せである。
妙法を唱え、広宣流布に生き抜いていくならば、仏の大生命力を湧き出していくことができる。私たちは、成仏という最高の幸福への軌道を歩んでいるのだ。
その大確信に立って、最後まで、戦いきってもらいたい。すべてに勝利していただきたい。
また、同志の皆さんが、一人ももれなく、健康で、心広々と、新たな勝利への力を蓄えていけるよう、リーダーは、賢明なる指揮をお願いしたい。
一、最高幹部は、学会の新たな発展の歴史をつくるのだとの気迫を持たねばならない。
学会が発展し、勝つためには、自分は何でもします。だから、皆様とともに大きな歴史をつくらせてください──そう最敬礼して、全同志にお願いしていくのだ。
また、御書には何度も、「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」(236ページ等)との釈が引かれている。
悪を打ち破る強さを持たねばならない。
徹して正義を叫び抜いていくのだ。

●だれもやったことのない戦い
一、私は青年時代、学会の初代の渉外部長を務めた。〈1954年(昭和29年)12月に就任〉
戸田先生から任命された役職であった。私に対して、先生は絶対の信頼を寄せてくださった。
それまで、だれもやったことのない、またできなかった戦いである。しかし私は「やります! 断じて戦います!」と、決然と申し上げ、戦いを開始した。
マスコミで誤報が流れれば、すぐさま関係者に会い、直接、誤りを正した。悪意の中傷をする者がいれば、厳重に抗議した。真実を明らかにするため、論陣も張った。
ある時、地方の新聞に、学会を批判する記事が出た。事実無根のデマによるものであった。
私は即座に、その新聞社に飛んでいき、抗議した。誠実に、そして明確に、真実を訴えた。
応対した担当者は、最後は非を認め、訂正を約した。
いかなる団体も、広報、渉外で勝つところが栄える。人間外交で光る皆さんであっていただきたい。

一、私と戸田先生は、いつも一緒であった。絶対の信頼で結ばれた師弟であった。
牧口先生と戸田先生もそうであられた。
戸田先生は、牢獄にまで、牧口先生のお供をされた。そのことを後に戸田先生は、心から感謝されていた。
私は感動した。そして、師弟の道を生き抜くことを、深く決意したのである。

■ 一、仏法は、生命の法則を説いている。社会を照らす大哲学である。世間の法よりも次元が深い、最高の法である。
自信をもって「宣伝」していこう!
フランスの文豪ロマン・ロランは、インド独立の英雄マハトマ・ガンジーに送った手紙の中で、次のように述べている。
「私はあなたのお役に立ったこと、あなたの思想を世界にひろめたことを私の生涯の名誉とみなしています」(宮本正清・波多野茂弥訳「インド──日記一九一五─一九四三年」、『ロマン・ロラン全集31』所収、みすず書房)
戸田先生も、厳然と言われていた。
──俺は、牧口先生の偉大さを、全世界へ宣伝してみせる、と。
私も、戸田先生のことを、世界へ宣揚し続けてきた。そのために、書きに書き、語りに語ってきた。
ともあれ、いかなる団体も、「宣伝力」の強いところが、乱世を勝ち抜いていくことができる。
私たちは、堂々と、確信をもって、正義を叫び抜いていきたい。

■ 皆に希望を!
一、皆に喜んでもらいたい。皆に希望を送りたい──私はいつも、この一点に心を砕いている。
どうか、リーダーの皆さんは、わが同志を大事にし、守り抜いていただきたい。そして、皆で明るく、楽しく前進をしていきたい。
そのために、幹部は、だれよりも祈り、だれよりも苦労して、あらゆる魔軍を打ち破るのだ。
「仏法は勝負」である。仏と魔の戦いは、真剣勝負でなければ、勝つことはできない。
リーダーは、気取りを捨てることである。勝利への執念をもつことである。
同志に対しては笑顔で、皆の声に真摯に耳を傾け、慈愛をもって尽くし抜くことだ。そして、リーダーは、颯爽と、生き生きと前進していただきたい。
「あの人は立派だな」「はきはきした、いい声だな」「話の内容も素晴らしい」──このように多くの人から慕われる、模範の存在であっていただきたい。
覇気のない、独りよがりの冷たい人間には、だれもついてこないものだ。

一、青年部は王者のごとくあれ! 花の若武者のごとく進め!──これが戸田先生の大宣言であった。
「創価学会は、宗教界の王者である。何も恐れるものなどない。
青年部の諸君は、その後継者であるとの自覚を忘れるな!
広宣流布の誉れの法戦に、花の若武者として勇敢に戦い進んでもらいたい!」
このように強く語られたのである。
私もまた、「青年部よ、立ち上がれ!」と申し上げたい。

● 善人よ叫べ!連帯せよ!
一、創価の父である牧口先生は綴られた。
“善人は、古今、必ず強大な迫害を受ける。他の善人たちは、内心は同情を寄せるが、なんら実力がないとして、傍観するために、善人は負けることになる”と。
目の前で、他の善人が迫害されるのを見ても、知らぬ顔をしている。
それでは、いつまでたっても、時代を変えることはできない。
善の人が勇気を持つのだ。声を上げるのだ。勝利のために連帯するのだ。
そこに、時代変革の重要な鍵がある。

一、また戸田先生は、おっしゃった。
「戸田は、師匠に対しては、絶対に従順なる牧口門下である。そして、第一位の存在の親子であり、師弟である。牧口先生との関係は、この戸田以上のものはない」
戸田先生の師匠を求める一念は、本当にすさまじいほどであった。まさに親子以上の深い関係であった。
しばしば、「私は牧口門下だ!」と声を大にして叫ばれた。
あの剛毅かつ自由奔放な戸田先生が、師匠の牧口先生の前では、粛然と襟を正し、緊張し、かしこまっておられたと、うかがっている。
そして、「牧口先生のご用とあれば、戸田は何なりといたします」「牧口先生、ご心配なく。どんな問題も、無事におさめますから、ご安心ください」と、すべてをなげうって牧口先生にお仕えしていかれたのである。

■ 今の皆さんには、想像もできないであろうが、戸田先生とともに素晴らしい毎日を過ごすことができた。世界一、幸福な弟子であった。
さまざまなことがあったが、私は、直系の弟子として、一点の後悔もなく、心晴れ晴れと、戸田先生にお仕えし抜いてきた。そう御本尊に誓って断言できる。
学会の師弟が、どれほど崇高であり、厳粛であるか。
この「師弟不二の心」こそ広宣流布の力であり、人間革命の力であり、絶対勝利の力である。まさに「心こそ大切」(御書11192ページ)である。

● 心を直結せよ!
一、牧口先生と戸田先生、そして戸田先生と私──この三代の師弟は、まったく何もないところから、学会をつくってきた。師弟で語り、師弟で戦い、師弟で築いてきた学会である。
現在は、組織も大きくなった。立派な会館も、全国、全世界にたくさんある。
それゆえに、師弟不二の「建設の死闘」を知らない幹部が、学歴や肩書におごり、増上慢になって、組織の上にあぐらをかいたりするならば、学会の将来は危うい。
破壊は一瞬だ。
御聖訓には、「弟子と師匠とが心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなものであり、叶うわけがない」(同1151ページ、通解)と厳しく仰せである。
仏法の「師弟の精神」を軽く見たり、傷をつけることは、断じてあってはならない。
いかにして、この厳粛な師弟を護り、継承していくのか。
そのために、私は今、繰り返し、繰り返し、語っているのである。師匠と心が直結した一人一人をつくっていくしか道はないのだ。
幹部は、絶対に増上慢になってはならない。

■ 一、時間の許す限り、若き皆さんのために語りたい。
さらに、戸田先生の折々の話から学びたい。
「いま、こうして(第2代)会長をしていることは、初代会長の恩をこうむっているのはいうまでもないが、私は、(牧口)先生を、親子として、弟子として、一生涯、自分の生きているあいだは大事にしていく決心であります」
この麗しい絆があったからこそ、学会は強かった。
戸田先生を迫害する者を、私は絶対に許さなかった。いかなる戦いも、同志のために「必ず勝ちます」と先生に申し上げ、そして実際に結果を出してきた。
この覚悟があるかどうか。それが重要である。

一、私が第3代会長に就任した日、家に帰ると妻は、「きょうから、わが家には主人はいなくなったと思っています。きょうは池田家のお葬式です」と言って私を迎えてくれた。
広宣流布のため、学会の勝利のため、全力を尽くせるように──そういう決心であり、姿勢であったのだと思う。
それまでも激務に次ぐ激務であり、きょうぐらいはお赤飯でも炊いて、お祝いを、と思っても不思議ではない。しかし、妻は美しい心で待っていた。御本尊の前で決然としていた。その心がけに、私は今も感謝している。

● さあ行きましよう! 心は一つ!
一、これまで、学会が非難中傷を浴びたとき、自らの保身しか考えない人間もいた。
傑出した仕事をする人に焼きもちを焼く。そういう人間が幅をきかせる、嫌な時代もあった。
戸田先生は言い残されている。
「わが学会は、宇宙最極の和楽の世界である。決して、魔に崩されてはならない。
厳然と、わが崇高なる学会に、一人たりとも魔を寄せ付けるな!」
「恩知らずが、組織の中にのさばると、妙法の功徳は、毒に汚される。功徳が消えるだけでなくして、魔物が動き始める」
「裏切り者、不知恩の者と戦うのが、仏法の慈悲だ」「恩を受けながら、感謝のない人間に福運はない」
私のこれまでの体験からいって、いずれの指導も、まったくその通りである。
「希有の大哲人でありながら、国賊の汚名を着せられ、闇から闇へ葬り去られようとした牧口先生を、いつの日か必ずや、全世界に宣揚してみせる!」──こう決意され、実行された戸田先生であられた。私もまた、この恩師の言葉通りの結果を残してきた。

● 「何でも率直に語り合いましょう」
一、私は、ゴルバチョフ大統領と初めての会談の折、開口一番、こう切り出した。
「きょうは、大統領と”けんか”をしに来ました!
火花を散らしながら、何でも率直に語り合いましょう。人類のため、日ソのために!」
“けんか”と聞いて、通訳も驚いた(笑い)。
しかし、私の思いは、しっかりと伝わった。
大統領は、「私も率直な対話が好きです」と満面の笑顔で応えてくださった。さまざまな課題をめぐって、対話がはずんだ。
そして、私との会見の席上、ゴルバチョフ大統領は、ソ連の最高指導者として初となる訪日を、翌春に実現すると明言したのである(大拍手)。
〈名誉会長と会う2日前、大統領は日本の議員団と会見。しかし、交渉は行き詰まり、大統領は訪日の再考まで口にした。非常に厳しい状況の中で行われた名誉会長との会見は、各界の注目を集めていた〉
このように私は、一民間人として、世界の指導者とお会いし、誠実に対話を重ねてきた。
アメリカとの間で緊張が高まっていたキューバを訪れた。
ソ連と中国の橋渡し役にもなった。
“世界が、よりよくなればいい”──ただそれだけを願い、平和への急所を見つめて、行動してきたつもりである。
今、創価の対話は、人類の希望と輝いているのである(大拍手)。
〈ゴルバチョフ大統領は語っている。
「池田会長は、民間外交の第一人者です。それゆえ、私たちも、すぐに信頼関係を築き、心を開いて対話することができました。すくに、分かり合えることができたのです。池田会長は、開かれた対話の精神を持たれ、その貢献には、絶大なるものがあります」〉

平和の種を!友情の花を! 地域から世界を変えていけ

● 庶民こそ英雄
一、いざという時に、果敢に戦うのは、いつも名もなき庶民である。
嵐にも屈せぬ最前線の同志のおかげで、今日の学会は築かれた。
信心の世界は、学歴や肩書で推し量ることなど絶対にできない。
地位や立場ではない。
その人が本当に立派であるかは、多くの大切な会員のために尽くしたかどうかで決まる。

● 「朗らか長者」に「信頼の長者」に
一、平和は「地域」から始まる。
「地域」こそ「世界」を変えゆく現場である。
これが、私が世界の知性と語り合ってきた、一つの結論である。
最も身近な地域で、最も地道な貢献を重ねゆく人こそ、どんな有名人よりも尊い。
とくに、わが創価の「地域部」「団地部」の方々は、来る日も来る日も、地域のため、近隣の方々のために、誠実に行動されている。
例えば、町会、自治会、商店会、老人会、PTA等の役員、また民生委員や保護司、消防団、さらにはボランティア活動など、誠心誠意の努力を尽くされている方は多い。
地域でも、団地でも、どれほど大切な存在であるか──。

■ 一、日蓮大聖人が佐渡に流罪された折、中興次郎入道という”地域の名士”がいた。
この人は年配であり、心は賢明、身も壮健で、佐渡の人々から人格者として慕われ、尊敬されていた。
佐渡には大聖人を憎む人が多かったが、この人が「日蓮という方は、何かいわれのある人にちがいない」と毅然と語ったようである。
そこから周囲の人々の認識も大きく変わり、危害を加えられることはなかった。
そのように御書に述べられている(1333ページ)。
《1333ページ原文=『島にて・あだむ者は多かりしかども中興の次郎入道と申せし老人ありき、彼の人は年ふりたる上心かしこく身もたのしくて国の人にも人と・をもはれたりし人の・此の御房は・ゆへある人にやと申しけるかのゆへに・子息等もいたうもにくまず、其の已下の者ども・たいし彼等の人人の下人にてありしかば内内あやまつ事もなく』 管理人》
〈中興次郎入道は、流罪中の大聖人に会い、法華経に帰依した。子息の中興入道も、夫婦で純真な信心に励んだ〉
ともあれ、「信心即行動」「仏法即社会」である。一人一人が「地域の灯台一となって光っていくことが、広宣流布の実像なのである。
「朗らか長者」「信頼の長者」として、一人一人を味方にし、仲間を広げながら、わが人生を誇り高く飾っていっていただきたい。

● 正邪を正せ!
一、対話こそ力だ。
誤解があれば解き、無理解ならば教え、偏見があれば道理を尽くして正せばよい。
そして、悪意に満ちた一つの暴論には、十の正論で、断固、打ち返し、打ち破るべきである。
学会の悪口を言われても、何も言えない。何ひとつ反論できない。そんな、ずるい、無責任なリーダーであってはならない。
どんな相手に対しても、言うべきことば言い切っていくことだ。
「悪は悪」と明快に破折していくことだ。そうしなければ、会員が、あまりにも、かわいそうである。
また、相手にとっても、正邪をはっきりと伝えていくことは、結局、慈悲の行為となる。

● 「師弟」こそ根本の学会精神
一、「師弟」は仏法の根幹であり、根本の学会精神である。
戸田先生は、ご自身の小説『人間革命』に託して、次のような話を紹介しておられる。
──戦前、学会への寄付を、師匠に隠れて、横領しようとした連中がいた。
主人公の”巌さん”は激怒し、叱りつけた。
「君等は先生の偉大な目的を知らないのか」
「君等は先生の名において自分自身の事を計ろうとするのだろう」
計画が見破られた連中は「どうか先生には言わないでください」と懇願する。
“巌さん”は、絶対に許さなかった。
「私と先生とは師弟である。親子の情愛を持っている。
学会内に起こった事件を私に対して、先生にかくしておれという事は、私に先生の敵になれというのか、私が先生に学会の事をかくし事をしたならば、その日から私は弟子だという事が出来るものか、そんな考え方は私の境涯には無い」
わが身をなげうって、師に仕えているのか。
逆に、自分のために師を利用しているのか。
戸田先生は、弟子としての根本姿勢を教えられたのである。
「牧口先生が三笠小学校の校長時代、先生を陥れようとする人間がいた。牧口先生は、厳然と見破られ、戸田先生にあてた手紙のなかで、次のように綴られた。
──戸田君、あの男は警戒せよ! と。
〈1922年=大正11年2月20日付〉
牧口先生の戸田先生に対する信頼は絶大であった。
初代会長の牧口先生を第2代会長の戸田先生が完璧に支えたから、学会は発展した。
その戸田先生を第3代の私が命がけで守ったから、今日の世界192カ国・地域に広がる”平和と友情の大連帯”となった。
学会が、ここまで大きくなるとは、だれも想像できなかったであろう。

● 今の千倍の力を
一、私は、全部、やりきった。折伏をはじめ、広宣流布の戦いをやりきり、全部、勝ちました。
師匠のため、同志のために、すべてを捧げる思いで、身を粉にして働き、世界的な学会をつくったのである。
これを見られたならば、戸田先生、牧口先生も、きっと満足され、「本当にすごいな」と、ほめてくださるにちがいない。そう私は確信している(大拍手)。
次は、皆さんである。青年部の諸君である。
皆さんが「不二」の師弟に徹すれば、学会は未来永劫に栄えていく。
「真剣」の二字で、本気になって、大聖人の仰せの通り、異体同心で進んでいただきたい。
がっちりと呼吸を合わせ」「全員が会長」「全員が広布の責任者」との自覚で、「世界一の創価学会」の建設を、よろしく頼みます!
断固、勝っていただきたい。形式や格好など、いらない。今の千倍の力を出すのだ。その力を出す根本は題目である。
「獅子の吼ゆるが如く」(御書764ページ)、朗々たる勤行・唱題で、一日一日を勝ち進んでいただきたい。
長時間ありがとう!
また再び、楽しく集い合おう!
「師弟不二」で勝ちまくろう!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
皆さん、どうか、お元気で!(大拍手)