投稿者:JACK 投稿日:2016年 5月19日(木)21時11分7秒   通報 編集済
今度の言論問題を通じて、さまざまな問題が浮かび上がってきましたが、ここに将来のためにも、はっきりさせておかねばならないのは、創価学会と公明党の関係であります。

私としては、公明党結成のことを発表した昭和三十九年の本部総会の講演でも、創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体である、とはっきり政教分離の出発を目指しておきました。

私自身、公明党の会合には一度も出ておりません。三十九年の結党大会にも出ていません。

また四十年七月に「宗教政党」という理念を述べましたが、ここでも「理念においては一体であるが、体制・機能においては別である」むねを前提として、そう申し上げたのであります。

これは、学会と公明党は「一体不二」であるという言葉を使ったので、一部に誤解した受け取り方をされておりますが、よく読んでいただければわかるように、民衆の幸福と平和を願う理念・理想が同じであるという意味であって、体制・機能の面までも「一体不二」ということは決していっておりません。

また、その後「公明党のビジョン」を発表したときも「学会員一人一人の政党支持は自由である」と明言しておきました。

むしろ創価学会は宗教団体として、信仰・布教に専念し、公明党は公党として、立派に社会に貢献し、大衆福祉のために戦ってほしいということが、私の一貫した願いであったのであります。

《党はひとり立ちし健全な発展を》

もとより、公明党誕生の母体は、創価学会であることは間違いない。
しかし、いくら母体といっても、いつまでも、それに依存するようであっては、党の健全な発展はない。
たとえていえば、賢明な母は、子がひとり立ちできることを願うものであります。
いつまでも自己の支配下におこうとして、かえって成長を妨げてしまうのは、愚かな母親であります。

子は、いつまでも幼児ではない。体の成長にともなって、精神的にも、一人前の社会人として、活躍できるようにならなくてはなりません。

今までは、創価学会と公明党は、この母と子の関係にあると見られてもやむをえなかった。

それにしても、我々は、愚かな母親であってはならない。
この愚かさは、結局、重荷となって自らにおおいかぶさってくるでありましょうし、子供も社会に貢献できない大きい赤ん坊として社会の笑い者になってしまうでありましょう。

我々は、これまで、公明党を一生懸命応援し、守り育ててまいりました。

だが第三党にもなれば、すでに立派なおとなであります。

それでもなおかつ、これまでのように面倒をみなければならないとしたら、それは不合理というものであり、社会の批判をうけるのも当然の理でありましょう。

そこで、これは提案になりますが、創価学会と公明党の関係は、あくまでも、制度のうえで、明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。

もちろん、理念においては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては、それぞれの目的に向かって将来も進むことは、当然であります。
これは、特に党幹部からの強い要望もあり、学会でも当然のこととして、理事会で決定したことでありますので、皆さん方のご賛成をいただきたいのであります。
(賛成挙手)

今後、たとえ票が減ろうと、議員数が減ろうと、それが世論の要望であり、本来のあり方であるならば、近代政党として、当然の道であります。
具体的には、議員で、学会の役職を兼任している場合、党の仕事に専念していただくために、学会の役職は段階的にはずす方向にしていきたい。
党の要望もあり、できれば、二、三年のあいだに安定をみる方向に、党も学会も話し合っていきたいと思っております。
ただ、本人の意思も、民主主義の建て前から、当然、尊重しなければなりませんし、当分は過渡期のため重複する場合もあるかもしれませんが、それはご了承ください。