投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 5月19日(木)08時16分17秒   通報
池田大作全集75巻より
第三回男子青年部幹部会・創価班、牙城会総会 (1990年12月9日)

■言論は永遠、権力は無常

「真実」は不滅である。ゆえに「真実」に生きる時、人もまた不滅となる。
「信念」は永遠である。ゆえに「信念」に生きる時、若人は″永遠の青春″を生きる。

一方、「権威」は無常である。ゆえに「権威」「権力」に酔う時、人は幻の人生を生きることになる。
「真実の人」と「権威の人」――その対立と勝敗の姿を、今に伝える史実がある。

二千五百年以上昔のこと。中国の春秋時代に
斉(せい)という国があった。その国の王は荘公(そうこう)。

ある時、荘公は、臣下の崔抒(さいちょ)に謀殺されてしまう。

主君を殺した悪臣・崔抒は、主君の弟を名目上の王に立て、自分は宰相(総理大臣)となる。こうして天下を取り、実質的な最高権力者となった。

崔抒は内心″すべてうまくいった″と、ほくそえんでいたであろう。しかし、ここに権威、権力を恐れない一人の大史がいた。大史とは史官(歴史記録官)の長である。今でいえば言論人といってよい。

歴史家、すなわち言論にたずさわる者は、つねに″本当のこと″を書くべきである――彼はそう信じて疑わなかった。

彼は書いた。「崔抒、その君を弑(しい)す」(弑すとは、主君や父を殺すこと)と。
これを見て、大臣の崔抒は激怒した。その大史をただちに処刑した。

これで、事は収まったか。そうはならなかつた。殺された大史の弟が、兄の職を継いだ。弟はすぐに兄と同じことをした。「今の大臣は、主君を殺した」(崔抒、その君を弑す)と記録したのである。そう書けば、自分がどうなるかを承知のうえであった。

大臣は、この弟も処刑した。″これで俺の権力の怖さが、わかっただろう″――そう彼は思ったかもしれない。しかし、すぐにそれが間違いであることがわかった。さらにその弟が同じことを繰り返したのである。また処刑――。

そして殺された三人の兄の後を継いで、もう一人の弟が就任し、四たび同じことを書いた。「大臣は、主君殺しの反逆者であり、三人の大史をも殺した」と。

ここにいたって、ついに大臣は断念した。「彼らを黙らせることはできない」「きりがない」と。

この間、地方在住の他の史官は、大史が次々に殺されたと聞き、都にやってきていた。彼らは、手に記録板を持っていた(=当時は、紙がないので、竹や木の板に書いた)。何が起ころうとも「すべての真実を書こう」との使命感である。

もしも、大臣が四人目の弟の大史を殺したとしても、彼らが″本当のこと″を記録するであろう。その全員を処刑しても、後を継ぐ者が現れるであろう。ついに大臣は屈服せざるをえなかった。地方の史官たちは、大臣が弾圧をあきらめ、真実が守られたことを知って、初めて地方に帰っていった。

――以上が『春秋左氏伝』(小倉芳彦訳、岩波書店、参昭)が伝える史実である。

こうして反逆者・崔抒は、「真実」を抹殺することはできなかった。そればかりか、二千五百年たった今もこうして語られているように、言論を弾圧した自分の罪を、千載に残すことになった。

同じように、悪意の中傷を千万言連ねようと、正法流布に生きる学会の真実は消えない。かえって「こんなにひどいウソを書いたのか」という証拠を歴史に残していくだけである。

一方、史官たちは勝った。殺された三人の兄弟も、万世に不朽の名を残した。処刑された時ですら、彼らの瞳は真実を叫びきった誇りに輝いていたにちがいない。だれの目に敗北と見えようと、彼らは「魂の勝利者」であった。やがて事実は後継の同志の手で見事に証明された。「真実の人」が「権威の人」に勝ったのである。

私どもも断じて勝たねばならない。大聖人の真実の門下らしく「信心の勝利者」の一生を飾らねばならない。(拍手)

「権威」「権力」はいわば″酒″である。人を酔わせ、狂わせる美酒であり、魔酒である。また権力者は、つねに不安であり、それゆえに自分を酔わせてくれる魔酒を飲む。「真実」が怖くて、飲まずにいられない――ヒトラーやスターリンなど、独裁者は皆そうであった。

だが、それがどれほどはかないことか。四十五年前の日本軍事政権の崩壊や、昨年の東欧旧体制の消滅を見ても、一つの権力が永続すると思うのは、幻想にすぎない。だまされてはならない。

「権威」「権力」に生きる人は、幻を追い、幻の霧に迷う人である。最後は苦しみの淵へと転落していく。強き「真実の人」「正義の人」に、権力の魔酒はいらない。自分の正しさを知っているゆえに、いつも心は晴れている。幸福である。