投稿者:虹と創価家族 投稿日:2016年 5月17日(火)09時37分39秒   通報 編集済
■学会第一期の目標「七つの鐘」終了に当たって
池田会長 所感

浅学非才な私を、陰に陽に、守り支えて下さり、広布のために走りに走って下さった妙法の勇者の皆様方に重ねてここに謹んで感謝致します。この貴重な足跡は永遠の生命の宝となることを確信していただきたいのであります。

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おはようございます。

自分は、54年問題を知りません。
だから、当時を知る方に率直なお話を聞き、自分ならどのように感じるか当時の聖教新聞を読み思索します。
これはあくまで、個人的な今の所感です。

5月24日、朝。
「七つの鐘」第一期を大勝利し、池田先生と共に第二期を戦える喜びと希望、そして情熱に溢れていた自分が見えます。

24日朝に届いた聖教新聞にある、先生からの感謝の言葉を読み、自分ならこのように思いました。

「とんでもありません池田先生!池田先生のおかげで今の自分があるのです。先生に巡り合い、大聖人の仏法を知らなければ、貧乏で病弱な自分は早死にしていました。こんな学のない、病気持ちの貧乏人が、仕事を持ち家庭を築き、丈夫な体になれたのは全て池田先生のお陰です。これからも先生のために、「七つの鐘」第二期の先駆を走ります!」

きっと、朝の勤行で新たな決意に燃え上がり、出勤前に妻に決意発表していたに違いありません。

しかしお昼過ぎでしょうか、当時を知る方々の話を聞くと、テレビのニュースで池田先生の会長辞任を知るのです。

「なぜ先生が会長を辞められるのか?」
朝の決意を打ち砕かれ、言葉では表せない暗い気持ちに自分はなると思います。

義母は、当時をこう語ります。

「当時、念願の夢だった配達員にようやくなれて、いよいよ池田先生のお手伝いができると、希望で胸を膨らませ張り切っていました。しかし、最初に運ぶ聖教新聞が先生ご勇退の記事で、どうにもやりきれない悲しい気持ちでいっぱいでした。」と。
自分が54年問題を知ったのは「嵐の4・24」です。
そして、この先生の言葉が54年当時の幹部を見る基準です。

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戸田会長は、遺言された。
「第3代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ! そうすれば、必ず広宣流布できる」と。
この恩師の精神を、学会幹部は忘れてしまったのか。なんと哀れな敗北者の姿よ。
ただ状況に押し流されてしまうのなら、一体、学会精神は、どこにあるのか!
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この言葉が池田先生からの目線であり、当時の最高幹部を見る基準です。
北条会長、秋谷会長、原田会長は「哀れな敗北者」なのです。

そのうえで、当時の幹部について語るなら問題はありません。
色々な著作から、当時の幹部を知るのは良いことだと思います。
54年問題に肉迫できるからです。

北条会長、秋谷会長、原田会長にお世話になった方は、この3人を悪くは言いません。
それは、残された諸作の中でも同様です。

当時の最高幹部が多くの現場会員を悲しませ、先生と奥様に想像を越えたご心労をおかけしたのは事実です。
なによりも信心の大恩は池田先生にあることを、絶対に忘れてはならないと思います。