投稿者:無冠 投稿日:2016年 9月 9日(金)04時08分59秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2008-5-27 【全国代表者会議】

■ 「ご苦労さま!
皆、お元気そうで何よりだ。
一生懸命に戦っている人は、輝いている。
皆さん一人一人をねぎらい、賞讃しながら、「すべての勝利、万歳!」と叫んで、ともどもに前進したい。
未来のために、きょうもスピーチを残させていただきたい(大拍手)。

● 一青年の決心
一、青年部の皆さんは、若き日に、見事なる広宣流布の大闘争をしていただきたい。
私は、青年時代、あらゆる場所で、勝利の歴史を打ち立ててきた。
あの「大阪の戦い」でも、不可能を可能にして勝った。
大阪は敗色濃厚であった。あまりにも厳しい戦いだった。その激戦地に、戸田先生は、私を派遣されたのである。
幹部のなかには、私が負けることを望む、嫉妬の人間もいた。異体同心の団結を阻む、師子身中の虫であった。
しかし、私は、師の命を受け、勇気百倍であった。戸田先生に「分かりました。大丈夫です。勝ってみせます」と申し上げ、一青年として、決然と戦いに挑んだ。
そして、その誓いの通りに、師匠に勝利をご報告したのである。
かつて、戸田先生は言われた。
「各組織の報告を見ても、リーダーの熱と確信が、いかに活動の発展に響くかは明瞭である」
最後の勝負は、環境で決まるものではない。戦つ一念があるかどうか。師匠に応える、との一念があるかどうかで決まるのだ。

一、何度も確認していることであるが、学会は、永遠に、どこよりも女性が輝く団体として進んでまいりたい。
女性を軽んじたり、下に見たりするような人間に、リーダーの資格はない。
健気に広宣流布を進めてくださっている女性に、心から感謝し、敬意を表しながら進む。そして、女性を守り、先頭に立って戦う。
男性は、そうした紳士でありたい。
「女性を大事に」──これが学会の伝統である。

■ 一、徳川家康は、鎌倉幕府の歴史を通して、次のように語ったという。
「鎌倉を亡ぼす者は鎌倉である。おごりの弊害はこのようであるから、戒めないではおれない」(岡谷繁実著、江崎俊平訳編『名将言行録』社会思想社)
滅亡の原因は、外側ではなく、内側の慢心にあるというのだ。歴史の教訓として、学会も心しなければならない言葉だ。
これからの学会を支える、本当に立派な弟子が出てくることを、私は祈っている。
私は戸田先生の弟子として、働きに働いた。マスコミなどからの無理解な非難中傷とも、すべて戦った。
会長時代には、小林町(東京・大田区)の自宅の安全を、心配してくださる方もおられた。
しかし私は、同志を守るためには、わが身をなげうつ覚悟であった。
そして峻厳に公私の別を貫いた。

● 折伏精神を忘れるな!
一、作家の山岡荘八氏は、『徳川家康』などの小説でよく知られている。戸田先生のもとで少年雑誌の編集長をしていた時、私も原稿依頼のためにお会いし、語り合ったことがある。ほかにも、多くの方々と出会いを刻んできた。
戸田先生が自ら、作家に対して、「これから大作を行かせますから、一番いいものを書いてやってください」と連絡を入れてくださったことも、懐かしく思い出す。
ともあれ、皆も、会っていくことだ。折伏精神で会っていくのだ。
戸田先生は、「世の中に、恩人はいろいろあるが、御本尊を持たせてくれた恩は三世の幸せにつながる。恩返しの最高の法は、折伏することだ」と言われた。
「折伏しよう」と思わない人は、広宣流布を進めよう、人間革命しようとしていない人であり、ゆえに伸びない。成長しない。
山岡氏の小説『徳川家康』には、「この乱世に一国をひきいて立とうとする者は、それに価するだけの強さを鍛え出さねばならぬ。その強さこそが指導力になってゆくのだ」(講談社)という言葉があった。
人は鍛えるから強くなる。戸田先生は私を、徹して鍛えられた。「広宣流布のために戦って、実績をあげるからこそ、幹部である」とおっしゃっていた。

一、先生の事業が失敗した時、私はあらゆる局面で、先生と、先生を攻撃する人々との狭間に立って戦った。
先生の口調は、ときに痛烈で、豪放磊落な振る舞いもあった。常識をはるかに超えた、スケールの大きな先生だった。
私は「偉大な戸田先生に、必ず会長になっていただくのだ」との思いで奔走した。
その戸田先生に反対する人間が、学会内にもいたのである。彼らは結局、退転した。 悪は結託する。迫害の構図は、いつの時代も似ているものだ。
私は、先生を追い落とそうとする人間を打倒するために戦った。
また私は、先生にあらぬ中傷を加える人間に対し、勇気をもって抗議した。たとえ私一人であっても、出向いて行って、「戸田先生は、正しい人です」と、正々堂々と訴えてきた。最後には認識を改めさせた。
私は20代だった。肺病もかかえていた。その中で、師匠を守った戦いこそが、自分自身の大きな思い出になっている。
一、山岡氏の『徳川家康』から続けたい。
「不平はあらゆる場合に、停滞のもとであり分裂のもとであった」(同)
私には、不平を言う余裕などなかった。不平を言い立てる人が増えれば、学会も敗北の道をたどるであろう。皆の心がバラバラではダメだ。
柱となる指導者は、正邪を峻別する力を持たねばならない。

■ 一、戸田先生は、力強く青年に指導された。
「どのような状況にあっても、自分自身が深く偉大な信心に立てば、すべてを開いていける。
自分が変わり、自分が成長し、自分が責任を持てば、一切に勝利できるのだ。
要は自分だ。自分自身に生き抜くことだ」と。
この言葉を未来の広宣流布を担う青年部の友に贈りたい。

● 関西よ戦う魂を受け継げ!
一、さて、もう少し、ブラジルの英知の言葉に触れたい。
「権力を乱用するものは、早晩、それを失う」
かつて関西の地で、民衆の台頭を抑圧する権力悪と真っ向から戦い抜いた私には、この言葉の意味がよく分かる。
わが関西には、権力と戦う魂が脈打っている。
関西の友は、ピンと胸を張って、創価三代の不屈の闘争精神を受け継いでいただきたい。
さらにブラジルには、このような格言もある。
「繁栄のときに、逆境に備えよ」
学会も同じである。繁栄のときが危ないのだ。
もしも男性幹部が、わがままや傲慢になったときは、聡明な女性の皆さんが厳しく戒めていっていただきたい。
家庭でも、奥さんがビシっと言うべきことを言えるところは、だいたい安定している。
女性は、沈黙してはいけない。おかしいなと思ったら、うんと声を出して、しやべることだ。
そうであってこそ、皆が安心し、皆が幸福を実感できる組織となるのである。

● 私と一緒に!
一、また、リーダーは、気取りを捨て、決して偉ぶらないで、どこまでも「一兵卒の決意で生きよ!」──こう強く申し上げておきたい。
戦いがなければ、つまらない。喜びもない。
学会のため、広宣流布のため、会員のために、どれだけ働いたのか──この一点こそが、その人の偉さを決める。幹部だから偉いのではない。
アメリカの民衆詩人ホイットマンは喝破した。
「一般に、特権を備えた特別な地位を獲得するために大衆から抜きん出ようとする野心が存在する。しかし人生の真の巨匠は、大衆の単なる一部であることに偉大さと成功を見る」(トーマス・マン著、青木順三訳『講演集ドイツとドイツ人 他五篇』岩波文庫)
さあ、胸を張って、元気に進もう!
私と一緒に! 希望の歌を歌いながら!
戸田先生は「私と一緒に進めば、必ず幸せになる」と断言された。
仏法の根幹は「師弟」である。
「師弟相違せばなに事も成べからず」(御書900ページ)である。
人生の一番の思い出は何か。
広宣流布に戦うことである。
師匠とともに戦うことである。
これが学会の伝統であり、戸田先生に全生命を捧げた私の偽らざる実感である。
どこまでも師匠を求め抜くことだ。師から逃げてはいけない。師を避けてはいけない。
農家の方は、精魂こめた作物の状況を、ひと目見ればわかる。何十年間も、大勢の人を全力で育ててきた私は、一人一人の力も、課題も、勝利へのカギも、よくわかるつもりだ。
一人も残らず、勝利者になっていただきたい。
使命のない人など絶対にいない。堂々たる広布の大将軍になってもらいたい。何かでトップと光るのだ。わが使命の舞台で、完全勝利の名指揮をお願いします!
わが地域に、「団結の城」「人材の園」を大きく広げていただきたい。
一にも二にも団結して「いい人材をつくる」ことだ。「いい人材をつくる」ことが「いい組織をつくる」ことである。
一切は人で決まるからだ。いい人材を見つけ、育て、光る人材を伸ばし、広げていかなければ勝利はない。
ともどもに「創価の一本の道」「広宣流布の一本の道」を歩んでいきましょう!〈会場から「ハイ」と力強い返事が〉
長時間、ご苦労さま! 本当にありがとう!(大拍手)