2016年9月9日 投稿者:無冠 投稿日:2016年 9月 9日(金)21時30分50秒 通報 全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。 2008-6-7 【広布第2幕第9回青年部幹部会 全国学生部幹部会】 ■ 一、ともあれ、明るい明るい、牧口先生の生誕記念日の翌日に、牧口先生の名を冠した殿堂に、真実の創価学会の後継者が集まったことは、まことに深い意味がある。 大切なのは青年だ。後継者だ。偉くなり、年を取ると、威張ったり、堕落したりする人間がいる。どんな団体でも同じである。 未来は青年で決まる。きょうは学会の宝である青年が集った。 皆さん方をはじめ青年部の中から、牧口先生の精神を受け継ぐ世界的に偉大な大指導者・大教育者が、必ず出るだろう。日本の政財界において、重要な役職を持って大活躍する人も、何人も出るだろう。 社会でも力を持ちながら、本当に学会を愛し、大事にする。わが身をいとわず、広宣流布のため、学会のために戦う──そういう人が集まってくださった。 広布の歴史に、誉れの名を残しゆく皆さんである。 こう思って私は、青年部幹部会に力を入れているのである。 ●「師匠は正しい」との大確信で! 一、私は、戸田先生をお護りするために、一切をなげうった。 戸田先生は、戦時中、軍部政府の弾圧で一緒に牢獄に入った牧口先生について、”牧口先生の慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださった”とまで語っておられた。 こんな方は、ほかにいない。私は、こうした戸田先生の言葉を聞いて「本当にすごい師弟だ」「これが仏法だ」と直感した。 私もまた、師匠のためにすべてをなげうって戦おうと決めた。 事業が破綻した時、先生は絶体絶命の状況だった。先生を支えるために、私は夜学も断念した。 先生が窮地に陥るや、手のひらを返したように先生を罵る人間も出た。「戸田君」と呼んで下に見て、威張る人間もいた。多くの弟子が去っていった。私は、どこに行っても悪口を言われた。 何もかもが大変だった。本当に地獄の苦しみのような、悪戦苦闘の日々であった。 しかし、私は確信していた。「私の師匠は正しい!」「仏法は正しい!」と。 そして、苦闘の中から立ち上がった。師弟で、一切を勝ち越えてきた。だからこそ、今日の学会がある。 このことを、若き皆さんは深く心に刻んでいただきたい。 今は、学会には立派な会館もある。人も多い。組織もできあがっている。 昔に比べれば、恵まれた環境であろう。しかし、あまりに恵まれていると本当の人材が育たない場合がある。 ゆえに青年は、自ら苦労を求めていくことだ。苦闘を乗り越え、勝ち越えていくことだ。 ■ 一、私が入信したのは昭和22年(1947年)。その当時、創価学会の会員数は実質、わずか500人から600人ほどであった。 昭和26年(1951年)、戸田先生の会長推戴の名簿に著名した会員は、約3000人。 それを、若き日の私が陣頭に立って、大拡大へと転じたのである。 蒲田支部の2月闘争もそうだ。当時、「A級支部」でも、折伏は「1カ月で100世帯前後」が限界とされていた中で、200世帯を突破した。 毎月の折伏成果が発表される。 遅々として進まない状況をご覧になった戸田先生は「このままでは、広宣流布は5万年もかかってしまう」と嘆かれた。 その壁を、私が破ってきたのである。 男子部の第1部隊では、1年で3倍以上へと、青年の連帯を拡大した(大拍手)。 文京支部も、最下位クラスから第一級の支部へと変えた(大拍手)。 北海道・札幌の夏季折伏においては、毎日、同志と御書を拝し、折伏精神を燃え上がらせ、日本一の弘教を達成したのである(大拍手)。 山口での開拓闘争も誇り高い。山口の重要性を深く知る戸田先生が「大作、手を打ってくれないか」と私を派遣された。わずかな期間で10倍の拡大を成し遂げた。 大阪支部では、1カ月の折伏で1万1111世帯である。東京も、他の地域も、太刀打ちできない。不可思議なる、永遠の金字塔を打ち立て、恩師にお応えしたのである。 関西の、この結果に、日本中が驚いた。焼きもちを焼く人間もいた。 しかし戸田先生は、私のことを、いつも気にかけ、「大作は、どこに行った」「今、どこにいるのだ」と言われていた。弟子がかわいくて、かわいくて、仕方がない。それが本当の師弟である。 先生に、私は弟子として徹底してお仕えした。人はどうあれ、どこまで もまっすぐに師弟の道に生き抜いてきた。 戸田先生が立ち上がって掲げられた、75万世帯の願業達成への突破口を開いた。 さらに、先生の後を継ぎ、第3代会長に就任して10年で、悠々と750万世帯を完遂した。 御本尊に、そして戸田先生に、「完遂いたしました!」と胸を張ってご報告できる。私は先生の本弟子である。 創価学会も今や、世界192カ国・地域に広がる大陣列となった(大拍手)。 後は青年部である。青年部に全力を挙げたい。 青年部が成長し、後を継ぐ以外にない。青年部に、新たな拡大の歴史をつくってもらいたい! それこそが、ただ一つの私の願いである。 頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉 〈宗門に対しても、名誉会長は、外護の赤誠を尽くしてきた。学会が寄進した寺は356カ寺を数える。広大な土地も寄進してきた。また学会が本山を護るために行った登山会には、のベ7000万人が参加した。 こうした大恩にもかかわらず、金がたまったのをいいことに、問答無用で学会を切り捨て、裏切ったのが極悪の日顕宗である。 狂いに狂った日顧宗は、800万人の真心で建立した正本堂までも破壊した。これほどの不知恩の暴挙が許されるはずがない。御書に照らし仏罰は間違いない〉 ● 恩人には真心で悪人には峻厳に 一、主人公ダンテスは、14年間の投獄に耐え抜いて、やがて、「モンテ・クリスト伯」となって社交界に現れる。 そして、お世話になった善良な恩人たちには、真心からの恩返しを果たしていった。 その一方、残忍な悪人たちには、峻厳に仇討ちをし、懲らしめていくのである。 戸田先生ご自身が、執念の「巌窟王」であられた。しばしば、先生は、「広宣流布の巌窟王でいかねばならない。私もその決心だ」と弟子に語られた。 また先生は、次のように厳しく叫ばれた。 「無実の罪の牧口先生を苦しめ、正義の牧口先生を牢獄で殺したものに、私は、血がたぎるような憤りを覚える。 私は、較窟王となって、必ず、牧口先生の仇を討つ! しかし、それは血を流す復讐などではない。必ず広宣流布をすることである」と。 戸田先生は、全身に怒りをたぎらせて、師匠の牧口先生の仇討ちを固く固く誓われた。 ただし、仇討ちといっても、個人的な仕返しのようなものではない。血を流す復讐でもない。 それは、戦時中、正義の師匠を迫害し、獄死させ、多くの人々を不幸のどん底に落としていった権力の魔性と戦うことであった。 そしてまた、虐げられてきた民衆を目覚めさせ、民衆に力を与え、手と手を結び合って、真実の平和と幸福の社会を築いていくことであった。 すべては、我らの広宣流布の運動に含まれているのである。 私も、青春のすべてを広宣流布に捧げ、初代、2代の仇を討ってきた。 諸君も、青年ならば、正義の仇を討っていくのだ。広宣流布の巌窟王となって、創価の真実を語りに語り、信頼と友情の連帯を大きく広げながら、「平和と人道の世紀」を、「民衆の勝利の世紀」を、ともどもに築いていただきたいのである(大拍手)。 ●陰謀を見抜け! 一、『巌窟王』には、こうもある。 「このわたしは、陰謀の全部をちゃんと見ぬいているのですから。だいじょうぶ。いったんそれを見ぬいた以上、こっちの勝にきまっています」(同) 一切の悪人の陰謀を見抜くのだ。そして、粘り強く信心を貫いていくのだ。そこに勝利の要諦がある。 『巌窟王』の物語の最後の言葉は何であったか? 「待て、しかして希望せよ!」(同)である。 どんなことがあっても、「希望」を忘れてはならない。 どんな思うようにいかぬ苦境にあっても、忍耐強く、祈りまた祈り、未来への大道を切り開くのだ。これが『巌窟王』の精神である。 若き皆さん、希望を持って、勝利を勝ち取ろう!(大拍手) ●南条時光の如く 一、日蓮大聖人は、広布に戦う青年・南条時光が22歳のころ、次のような御文を贈っている。 「しばらく苦しみが続いたとしても、最後には必ず楽しい境涯になる。たとえば、国王のたった一人の王子のようなものである。どうして国王の位につかないことがあるだろうかと、確信していきなさい」(御書1565ページ、通解) 若きあなたは、信心を持った青年は、絶対に偉大になる。勝利者になる。そうならないはずがない──力強い励ましが胸に迫ってくる。 法難の中で、卑劣な裏切りもあった。 正しき信仰ゆえに、時光は、権力者から圧迫を受ける。経済も困窮する。 そして弟の突然の死去。また後には、自身も大病に襲われた。 “信心をして、どうしてこうなるのか”──そう周囲の人の目には映ったかもしれない。 しかし、そうしたすべてを勝ち越えて、大聖人の若き弟子として、「勝利の王者の証し」を打ち立てたのが、南条時光の姿なのである。 戸田先生もよく、「南条時光を見習っていけ」と言われていた。 皆さん一人一人が、「新世紀の南条時光」になって、何があろうと、強き信心を貫いていただきたい。 ■一、ルソーは、こうも述べている。 「傲慢さの生む錯覚は現代の最大の悪の源泉である」(樋口謹一訳「エミール(下)」、『ルソー全集第7巻』所収、白水社) 傲慢な人間は、すぐに”自分は偉くなった”と勘違いする。これまで反逆していった人間は皆、そうだった。 「彼らはわたしの生命をうばうことはできるが、わたしの自由をうばうことはできない。彼らがどんなことをしようと、彼らの束縛、彼らの牢獄のなかでも、わたしは自由を保持するだろう」(前掲『ルソー』) どんな状況にあっても私の心は自由だ!──これが、ルソーの大確信であった。 私がお会いし、親交を結んだロシアの文豪ショーロホフ氏は、「民衆は征服することはできない」(横田瑞穂訳『静かなドン』岩波文庫)と結論した。 民衆が一番強い。どんな権力者も、民衆にはかなわない。 この民衆を育てたのが、仏法であり、日蓮大聖人である。仏意仏勅の創価学会なのだ。 戦おう! 偉ぶり威張る人間を、見おろして生きよう!〈「ハイ!」と力強い返事が〉 きょうは長時間、ありがとう!(大拍手) ※編集部として、名誉会長の了承のもと、時間の都合で省略された内容を加えて掲載しました。 Tweet