投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 5月 6日(金)12時41分25秒   通報
池田大作全集(100巻)
最高協議会 (2006年3月17日)より②

■″目覚めた一人″の力は偉大

マハトマ・ガンジーの令孫、アルン・ガンジー博士は訴えた。「一人の力は偉大です。『目覚めた一人の出現』こそ、社会変革の出発点なのです」(「聖教新聞」二〇〇二年十月八日付)

まずリーダーが目覚めることだ。幹部から革命する以外ない。

だから私は、先頭に立って、新しい人材への訓練を開始している。私は甘ったれの幹部を残したくない。命をかけて築いてきた学会が、万が一にも傷つけられるようなことがあれば、これほどの損失はないからだ。青年は気取りを捨てることだ。

今、戦わなかったら、いつ戦うのか。そう決意して立ち上がってもらいたい。

草創の青年部は単身、法論に乗り込み、敢然と相手を打ち破った。今は恵まれている。時には幹部に車を用意してくれたり、靴をそろえてくれたり、お茶を出してくれることもあるかもしれない。しかし、勘違いしてはならない。同志の真心を当たり前と思って、ふんぞり返る者がいたら、まるで「殿様」だ。これほど愚劣な姿はない。それは、「師弟」を忘れた姿だ。

作家の下村湖人は「偉そうな顔ほど偉くない顔はない」(『下村湖人金集』7、国土社)とつづっている。

■報恩とそ最高の人間の道

広宣流布の戦闘は師匠とともに進む。ここに勝利の道がある。

第二代会長の戸田先生が、牧口初代会長に、お仕えする姿は、それはそれは厳粛であった。豪放語落なあの戸田先生が、牧口先生の前に行くと、ひれ伏しておられた。

それを目にした人が、「これほどまでに師弟は峻厳なものか」と襟を正していた。

日蓮大聖人は仰せである。
「恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一とする」(御書四九一ページ、通解)
思を知るのが人間の道であり、なかんずく仏法者の道である。

私は今日まで、戸田先生、牧口先生に、最大にご恩返しをしてきたつもりである。

「開目抄」には、仏弟子であるならば、必ず恩を知り、思に報いるべきであると述べられている(御書一九二ページ)。恩知らずには、仏弟子を名乗る資格はない。

師は叫ぶ。
邪悪と戦い三類の強敵と戦い、三障四魔を引き受けて、広宣流布へ戦おうではないか!
それと「不二の心」で弟子も立つのだ。

大聖人は、凡夫そのままの姿で、「凡夫即仏」の極理を示された。一面から言えば、凡夫の姿であるゆえに、人々からさげすまれ、大難にもあわれた。増上慢になり、小生意気になって、反逆した愚かな弟子もいた。しかし、真実の門下は大難のときこそ、大聖人をお守りしようと、喜び勇んで戦った。

私も、打ち続く苦難のなかで、断じて戸田先生を守りぬくのだと、猛然と阿修羅のごとく戦った。ここに、学会の世界的発展の因がある。この師弟の闘争こそ、永遠の創価の魂である。