投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 5月 5日(木)10時46分13秒   通報
池田大作全集(100巻)
最高協議会 (2006年3月17日)より①

■闘争なくして善の勝利はない

広宣流布の新しい前進のために、きょうも語り合いたい。

リーダーが「心をい一致させていこう」「同じ責任をもっていこう」――そうやって連携を密にすることが、大きな力になる。「異体同心」を貫くならば、今の何倍も広布は進む。

命がけの非暴力闘争を貫いた、アメリカのキング博士は述べている。
「人間の歴史は善と悪との闘争の物語だといえる」(『汝の敵を愛せよ』蓮見博昭訳、新教出版社)
闘争なくして、善の勝利はありえない。「仏法は勝負」――日蓮大聖人の仰せは正しい。

■「勝利への祈り」「徽密な作戦」を

正義を叫べば、必ず、反発がある。それを、どう打ち返し、攻勢に転じていくか。

そのために私は、祈りに祈り、思索して、人知れず手を打ってきた。

偉大な勝利の作戦は、『三国志』の英雄・諸葛孔明のごとく、緻密でなければならない。迅速でなければならない。それができないのは、官僚主義に陥っている証拠だ。

中国の王維の詩に、「総大将たるもの、まず敵の謀略をくだくが最上という兵法は、あくまで御存知でいらっしゃる」(『王維詩集』小川環樹・都留春雄・入谷仙介選訳、岩波文庫)との一節があった。

負ける側には、必ず原因がある。油断がある。死力を尽くしていないのである。
近代インドの大思想家ヴィヴェカーナンダは叫んだ。
「臆病者はけっして勝利を収めることはない」(大野純一編訳『普遍宗教への階梯』コスモ・ライブラリー)

大聖人は「不惜身命」との法華経の文を何度も引いておられる。

臆病になるな! ずるい人間になるな! そう厳しく教えられているのである。

いじめられている民衆がいる。迫害されている「正義の人」がいる。それを見ながら、何一つ、声をあげない。これほど卑怯なことはない。