投稿者:生涯広布(正義の師子同盟)メール 投稿日:2016年 5月 2日(月)07時22分34秒   通報
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インドにおいて、釈尊の仏教が密教化して滅びたのと同様、中国、日本においても、密教化が仏法正統の流れを
次第に侵し、その本義を失わせる要因となっている。密教では、仏教の本来の教主である釈尊を捨てて、大日如来
を本尊と立てる。大日如来は、釈尊と異なり、歴史上の実在の人間に基づかないい架空の仏である。密教では、

こうした、超人間的な仏をきらびやかに説き、仏教本来の、どこまでも現実に根ざした教えよりも、なんとなく
立派そうな錯覚を起こさせる。民衆の宗教への無知に付け込み、荘厳さと神秘性に憧れを抱かせるのである。

しかし,このように、本来の主を倒すゆえに、一切が転倒し、ついには国を滅ぼすと、日蓮大聖人は破折された。
すなわち、御書の中で真言は国を滅ぼすP585 真言の悪法P173等と、厳しく破しておられる。

中略

衰亡の内因となった民衆との遊離
1199年、パーラ王朝は滅亡する。その四年後、イクテイヤール・ウッデイーン将軍率いるイスラム教徒の攻撃
によって、ビイクラマシーラ寺院は焼かれ、破壊された。多くの僧尼もも虐殺された。

この事件の詳細は、現在のところ、よくわかっていないが、カラン・シン博士も”同寺院は、人類史上最大の教育
施設に数えられる大僧院大学の一つであり、同寺院が破壊されたことは人類史上の最大の悲劇であると”指摘して

いる。これによって、インド仏教は、その息を止められ、社会の表面から姿を消してしまったことになるが、同
寺院の滅亡が、そのままインド仏教の滅亡を意味していたということ自体、当時における重要な位置が偲ばれる。

同寺は、城塞化され、国際的交流の力を持っていたにもかかわらず、あっけなく滅亡した。なぜか。その要因の
一つは、民衆との連携が弱かった点にあった。ここに、同寺のみならず、インド仏教全体の衰亡を探る手がかり
がある。

すなわち、インド仏教滅亡の原因は、様々に論じられるが、大別すれば、外的要因としての”イスラム教の侵入”
また、”ヒンドー教徒の妥協”が挙げられる。しかし、最も顕著にして重要なのは、内的要因としての”民衆との
遊離”である。これは、多くの学者の一致した見解である。

民衆ほど大切なものはないい。民衆の大地から離れて栄え続けたものもない。仏教も本来、民衆の幸福のために
民衆の中で説かれ、広がった。しかし、釈尊入滅後、仏教破しだいに民衆救済の精神から遠ざかっていった。
それは、いったいなぜか。

その表れとして、”解釈学の先行”をあげる研究者がいる。
釈尊自身は、その悟りを巧みな比喩などを使って、やさしく説いた。また、卓越した慈悲の人格によって、人々を
教化した。ゆえに、難解な仏教の法理を理解できない人々も、釈尊の、時に応じ、人に応じ、ところに応じた”自在
な説得力”と”偉大な人間性”によって、仏教に帰依することができた。

しかし、釈尊入滅後、仏教教団は、仏説の解釈や教理について、煩雑な議論を繰り返し、見解の相違から多くの部派
に分裂していった。いわゆる”部派仏教”の時代である。

・・続く・・