投稿者:生涯広布(正義の師子同盟)メール 投稿日:2016年 5月 2日(月)06時44分39秒   通報
昭和62年9月15日 各部合同代表者研修 池田大作全集69より

非常に長いので、全文をお読みになりたい方は全集を・

インド仏教滅亡の歴史的教訓から抜粋・・

このように釈尊の在世に於いては、いかなる権力、武力による難も、仏教を滅亡させる事は出来なかった。
それどころか仏教興隆の糧とさえなった。その仏教が・釈尊入滅後、やがてインドで滅亡してしまった理由
は何か。ここに重大な歴史の教訓がある。

中略

何故仏教が、イスラム教徒侵攻という大難の前に敗れ去ってしまったのか。その根本の原因は何か、という点である。
すなわち、1203年は、一つの重大な歴史の区切りではあった。しかし、それ以前から、内部的要因により、すでに

仏教はその本来の精神を失い、解体しかかっていた。堕落し、弱体化して、久しく衰亡への坂を転げ落ちていた現実の
姿であった。その端的な表れとして、仏教の密教化があげられる。

インド仏教は、その最終期において、特に七、八世紀頃から、急速に密教化していった。その背景には、当時のヒンドウー教
の興隆がある。ヒンドウー教は、古代からの伝統宗教であるバラモン教を母胎としている。アショーカ王の出たマウリア王朝

の時代に、種々の民間信仰を吸収しながら、徐々に民衆に根ざした信仰を作りあげていった。
仏教は、カムシカ王で有名なクシャーン王朝等を中心に、大乗の教えが隆盛となり、その高度な教理、哲学は、諸宗教、諸哲学

学問、文化にも大きな影響を与えたものの、4世紀に興ったグブダ朝では、ヒンドー教が興隆し、仏教勢力は次第に押され気味に
なってきた。というのも、グブダ朝では、強力な中央集権国家を作るために、その精神的中核として、古いバラモン教の伝統を

復活させ、ヒンドー教を国教とする政策をとったのである。そこで仏教は、時代の趨勢に押し流されるように、みずからインド
土着の民間信仰を取り入れ、急激に密教化していったのである。

密教化で失われた仏教本来の精神
密教についても、いずれ詳しく論じたいと思っているが、加持祈祷等の呪法や、荘厳めかした神秘的儀礼などに、ヒンドー教の
影響が見られる。こうしたヒンドー教との妥協は、仏教を形は延命させたように見えて、その実、釈尊の”魂”を殺してしまうものであった。

歴史上、宗教学者が自らの保身のため、時の権力と結びついた支配的宗教と妥協して、堕落していった例は多い。
日蓮正宗に於いても、戦時中、軍部と結んだ国家神道の威光を恐れ、自ら神本仏迹論なる邪義を唱える僧がいた。

事もあろうに”神が本、仏が迹”なる本末転倒の論を展開した。また,明治以降、仏教界においては、神道との混淆(こんこう)を
行う傾向が一段と強くなった。いかなる時代がきても、他宗教への安易な妥協は絶対に許されない。どこまでも日蓮大聖人の

清流を堅持し、弘教に進んでいく以外にない。また,峻厳なる根本の学会精神は、いささかも変わってはならない。
ともあれ、二度と歴史の同じ轍を踏んではならない。戸田先生も、痛烈にその思いを抱かれていたことを、私はよく知って入る。

ちなみに、日本で古くからの民族的信仰に基づいて成立したのが”神道”である。インドでこれに当たるのがヒンドー教である。
神道は、日本の国家主義的傾向の進展とともに栄えた。それと同じく、インドにおけるヒンドー教興隆の背景にも、中央集権

的な国家体制では、万人の平等を重んじる世界宗教としての仏教よりも、保守的、階級的、民族主義的なヒンドー教のほうが、
当時の権力者にとって好都合であったという事情がある。まさに、期を一にした歴史の展開である。

・・・転載終わり・・続く・・