投稿者:無冠 投稿日:2016年 9月 4日(日)07時28分45秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2008-3-10 【3.16 五十周年記念協議会】

■ 一、春の喜びの詩を、尊き皆様に贈りたい。

春だ! 桜だ! 満開だ! 春が来た! 春風とともに
輝く希望を胸に 春風に吹かれながら 私たちの春が来た!
春は希望だ。 春は青春だ。 春は栄光だ。 春が来ると
桜の花が満開となる。
人々の心も 明るく明るく 無数の希望が 花となっていく。
春が来た! 友と友との笑顔が たくましい。
友と友との握手が 勝利の花と 開いていくようだ。
春だ! 大きな勝利の 自分自身の春が やってきたのだ。
希望の歌を歌おう! 青春の歌を歌おう! 勝利と栄光の  合唱をしよう。
君も私も青春だ。 若干、老いた人々も
“いや、我々だって 心は青春だ”と叫ぶ。 その通りだ。
皆の春だ! 春の光に照らされた
広布の戦人(いくさびと)の顔(かんばせ)も皆
少々、年をとっても 若々しく 光ってみせる。
多少、年をとられた ご婦人方も ますます若く
瞳が光りて美しい。
春、万歳! 学会は常に春だ。
人生の春だ 法戦の春だ 完勝の春だ。 握手と握手の春だ。
春風は 残酷な苦悩も 皆、吹き飛ばしていく。
春が来た! 厳しき寒風を 乗り越えて 桜とともに 春が来た!
我らの大きな希望にも 一段と明るく 春が来た!

●世界の本陣!
一、3・16「広宣流布記念の日」50周年を祝賀する協議会の開催、まことに、おめでとう!(大拍手)
師弟誓願の日である「3・16」の集いを、師弟勝利の殿堂である、ここ東京牧口記念会館で開催することができ、本当にうれしい。役員の皆様には、大変にお世話になります(大拍手)。
今、全世界の友が、尊き求道の心を燃やして、第2総東京へ、第2総東京へと、喜び勇んで集ってくる時代が開かれた。
まさしく、世界の本陣の広宣城が、わが第2総東京に厳然と築かれたことを心から喜び合いたい(大拍手)。
一、思えば、30年前、私は、立川文化会館で、指揮を執り始めた。
「東京の23区地域は、ひとまず仕上がった。これからは、立川、八王子はじめ、第2総東京が大事だ!」と焦点を定めたのである。
御聖訓には、法華経の菩薩が続々と集う光景を「むさしの(武蔵野)のすすき(芒)のごとく」(御書1245ページ)とも記されている。
日蓮大聖人に有縁の武蔵野の天地、すなわち第2総東京に、広宣流布の正義の大陣列を築き上げることが、どれほど重要であるか。
牧口先生も、戸田先生も、ここ第2総東京に光を当てておられた。
その歴史性、自然の豊かさ、未来性等々の上から、この地を人材育成の要衝と定め、この地に創価の「文化」と「教育」の都の建設をと願われたのである。
そのお心のままに、私は、この第2総東京に創価学園、創価大学、創価女子短期大学を創立し、さらに東京富士美術館を設立した。
喜ばしいことに、今日では、創価大学の地元である八王子市も、創価学園の地元である小平市、国分寺市も、目覚ましい大発展である。
創価教育の学舎とともに、愛する地域が希望に満ちて栄えていることを、多くの地元の方々も喜んでくださっている。

■ 一、東京牧口記念会館は、オープンから今年で15周年。
護り支えてくださっている「共栄会」の皆様方にも、重ねて御礼を申し上げたい。
地元の「加住(かすみ)菊友会」の方々も、毎年、素晴らしい大輪の菊花で飾ってくださり、感謝に尽きない。
懐かしい立川文化会館も、開館から30年を超えた。地域友好の深い信頼の拡大も、全国の模範と光っている。
30年前、立川文化会館を本陣として指揮を執る私の心を知る人は、皆無に等しかったといってよい。
しかし、今や、そのとき蒔いた種が、一つ一つ大きく育って、人材満開の第2総東京となったのである(大拍手)。

● 皆で声を出せ!
一、「声仏事を為す」(御書708ページ)である。私たちの「声」が、魔軍を打ち破っていくのである。
罪なき仏子を苦しめる人間。正しい人を陥れる嫉妬と謀略の人間。学会を食い物にしようと狙っている私利私欲の人間。
こうした悪い人間が出たならば、放置してはいけない。早く糾すことだ。
声が「仏」の仕事をする。真実をありのままに叫ばなければならない。
悪に対して何も言わない。破折しない。それでは、魔をかばうことになる。己心の魔に負けているのだ。
一人一人が臆病になってはいけない。難を避け、自分だけいい子になり、うまく立ち回る。そんなずるい人間になってはならない。
皆で一緒に「声」を出せばいい。
団結するのだ。そして、どんどん口に出すことだ。具体的に言うほど、魔は倒せる。
いざというときに勇気が出せない男性ではいけない。強くならなければいけない。
強いのは婦人部である。賢明なる婦人部の皆さんが、一致団結して、叫びに叫び、創価の幸福の城を、断じて守り抜いていただきたい。
勇気をもって真実を叫ぶ人間。そうした新しい人間を、青年部からつくっていかなければいけない。本当の「正義の革命」「人材の革命」をしていきたい。

● 障魔と戦う師を護れ!
一、思えば、この東村山をはじめ第2総東京は、蓮祖大聖人が、寒風吹きき荒(すさ)ぶ中、鎌倉街道を歩まれて、佐渡に向かわれた天地でもある。
大聖人は、生きては帰れぬと言われていた、あまりにも過酷な佐渡流罪を、2年5カ月にわたって勝ち越えられた。
そして、春の第2総東京の天地を凱旋され、広宣流布の大法戦のため、再び鎌倉へ打ち入られたのである。
御聖訓には、厳然と仰せである。
「大難がなければ法華経の行者ではない」(同1448ページ、通解)
「この法門を説くと、必ず魔が現れるのである。魔が競い起こらなかったならば、その法が正法であるとはいえない」(同1087ページ、通解)
広宣流布に戦い抜けば、必ず、大難にあい、大きな障魔が競い起こる。
さらに大聖人は仰せである。
「法華経の行者がいれば、必ず三類の強敵がある。三類の強敵は、すでにいる。法華経の行者は一体、だれであろうか。探し求めて師とすべきである。あたかも一眼の亀が浮木にあうようなものである」(同230ページ、通解)
広宣流布のゆえに、大難を受けている人、三障四魔と戦い、三類の強敵と戦っている人──その人をこそ、師匠と仰ぎ、護り、支えていくべきである。
法華経の定理は、まことに明快である。
改めて申し上げるまでもなく、日蓮大聖人の御生涯は、「少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり」(同200ページ)であられた。
「大事の難・四度なり」──松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、小松原の法難、そして竜の口の法難・佐渡流罪と、命に及ぶ法難が打ち続いた。

■ 「少少の難は・かずしらず」──ありとあらゆる三類の強敵、三障四魔の嵐が、絶え間なく競い起こった。
「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし」(同202ページ)と、「開目抄」に仰せの通りである。

一、御聖訓には、こうも記されている。
「32歳の(立宗の)時から今年54歳になるまでの二十余年の間、ある時は寺を追い出され、ある時は住処を追い出され、ある時は親類を苦しめられ、ある時は夜討ちにあい、ある時は合戦にあい、あるいは悪口を数知れず言われ、ある時は打たれ、ある時は傷を負い、ある時は弟子を殺され、ある時は首を切られようとし、あるいは2度も流罪に処せられた。この二十余年の間は、一時片時も心安らかなことはなかったのである」(同1514ページ、通解)
大聖人を傷つけんとする、卑劣な「悪口罵詈」「猶多怨嫉」の難は、あとを絶たなかった。
“日蓮は邪見の者である”との悪名が、世間に流布した。まるで”日本一の悪人”のように言い立てられた。
御書には、こうも記されている。
「日蓮は、ただ法華経を弘めようとすることを失とされて、妻子を持たずして『犯僧』の名が国中に満ち、ケラやアリさえも殺さないのに、悪名が天下にはびこっている」(同936ページ、通解)と。正義の大聖人を貶める、あまりにも非道な中傷であった。

● 讒言ゆえの流罪
「女人成仏を宣言した法華経の行者として、「女性の幸福」のために戦われた大聖人は、女性にとって最大の恩人のはずである。
しかし、悪坊主どもが大聖人への誹謗を繰り返すや、権力者の女房たちは、愚かにも大聖人に対する迫害に加担していった。
彼女たちは、次のように騒ぎ立てた。
「天下第一の大事である。日蓮は、日本国を滅ぼそうと呪詛する法師である。故・最明寺殿(北条時頼)、極楽寺殿(北条重時)を無間地獄に堕ちたと言っている法師である。何も取り調べるまでもない。ただ即刻、首を切るべきである。弟子たちも首を切り、あるいは遠島流罪にし、あるいは牢に入れよ」(同322ページ、通解)
さらにまた御聖訓には、こうも記されている。「一切の女性を救おうとしている日蓮を、かえって大怨敵と思われるゆえに、女性たちが、こぞって国主に讒言をして、伊豆の国に流罪したうえ、また佐渡の国にも流罪したのである」(同1312ページ、通解)

■ 一、御書には仰せである。
「もし『恩』を知り、心ある人々であるならば、(大聖人が)2回、杖で打たれるならば、そのうち1回は代わって受けるべきではないだろうか。それもしないどころか、反対に、(大恩ある大聖人に)怨をなそうなどとされるのは、まったく、どうしたわけであろうか」(同1450ページ、通解)
また、こうも仰せである。
「日蓮を信ずるようであった者どもが、日蓮がこのような大難(佐渡流罪)にあうと、疑いを起こして法華経を捨てるだけでなく、かえって日蓮を教訓して、自分のはうが賢いと思っている。このような歪んだ心の者たちが、念仏者よりも長く阿鼻地獄に堕ちたままになることは、不憫としか言いようがない」(同960ページ、通解)
こともあろうに、師とともに難を受け、自らが盾となって師をお護りすべき弟子たちの中からも、大聖人を誹謗する輩が出たのである。
いざという時に師匠を裏切り、師匠より自分のほうが偉いと思い上がる。とんでもないことである。

● 愚人にほめられるのは第一の恥
一、大聖人は、こうも仰せである。
「日蓮が末法の初めの五百年に生を日本に受け、如来の予言のとおり、三類の強敵による迫害を受け、種々の災難にあって身命を惜しまずに南無妙法蓮華経と唱えているのは、正師であるか邪師であるか、よくよくお考えいただきたい」(同1341ページ、通解)
この大聖人に直結し、現代において、三類の強敵と戦い抜いて、広宣流布を成し遂げてきたのは、だれか。
初代・牧口先生であり、2代二戸田先生であられる。3代の私である。
この三代の師弟がなければ、学会の発展はなかった。大聖人の仰せ通りの世界広布の実現は、なかったのである。
ともあれ、「開目抄」にはこう記されている。
「教主釈尊は、一切の外道から大悪人であると、ののしられた。
天台大師は、南三北七の十派から怨嫉され、日本の法相宗の僧・得一からも、『三寸に足らない舌をもって(仏説を誹謗し)五尺の仏身を断つものである』と中傷された。
また伝教大師も、奈良の諸宗の人々から.『最澄は、いまだ唐の都を見ていない(だから大したことはない)』と悪口を言われた。
これらは皆、法華経のゆえであるから、恥ではない。(それよりも)愚人にほめられることこそ第一の恥である」(同237ページ、通解)
これは、牧口先生、戸田先生がよく拝された御金言である。
この御精神の通りに、学会は戦い抜いてきた。ゆえに勝ったのである。これからも永遠に戦い続ける。そして、永遠に勝ち栄えていく。
これが、創価の三代の魂である。
わが第2総東京こそ、この「師弟の魂」が輝く、偉大なる勝利の電源地であると申し上げたい(大拍手)。

● 勇敢な心で
一、「今や、創価の師弟の真実を知る、わが直系の青年部が、いよいよ躍り出る時代が到来した。なかんずく第2総東京青年部、特に女子部が、見事なる模範の前進をしてくれている。
健気な後継の女子部の皆さんに、「若草物語」で有名なアメリカの女性作家オルコットの言葉を贈りたい。
「勇敢な心となんでもしようという手とたくさんの仕事をもっていれば、この世はどんなにたのしいところになるかみてごらんなさい」(吉田勝江訳『第四若草物語』角川書店)
環境ではない。自分で決まる。女子部よ、勇敢であれ!(大拍手)

● 悪事を見逃すな
一、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の民政局員として、「日本国憲法」の草案の作成に携わり、「男女平等」条項の誕生に貢献したベアテ・シロタ・ゴードンさんは、アメリカのニューヨーク文化会館に来訪されるなど、SGI(創価学会インタナショナル)とも交流されている。
ゴードンさんの言葉に、こうある。
「『どこかおかしい、変だ』と思ったら、面倒くさがらずに自分の気持ちを声に出して表明しなくてはだめです。発言する勇気が必要なのです」(『ベアテと語る「女性の幸福」と憲法』晶文社)
その通りだ。とくに、女性が勇気をもって発言することが大事である。
仏法を破壊する魔性の働きは、外部よりも、内部のほうが強い。心して警戒していくのだ。
師弟の道を乱す傲慢な輩に、麗しい創価の団結を壊されるようなことがあってはならない。
私は、どんな細かなことも見逃さない。19歳で戸田先生と出会って以来、苦労に苦労を重ねてきた私には、人間の心の奥がわかる。苦労しなければ、大事なことは何もわからない。
未来のために強く言っておきたい。正邪を鋭く見抜き、悪を打ち破っていくのだ。私は敵と戦った人間しか信じない。
女性の役割は重要である。松葉ケ谷の法難の際にも、いち早く危険を知らせて大聖人をお護りした女性の門下がいたのではないかとも推察される。
御書には、「十羅刹女の御計らいであろうか、日蓮はその難を脱れたのである」(御書1294ページ、通解)と仰せである。
戸田先生が、婦人部・女子部を大事にされた心情が私にはよくわかる。
私もまた、師弟の正義を護りゆく女性の存在に期待している。

■ 感謝の人は成長できる。恩を忘れた時から、人間の堕落が始まる。恩を知ることが人間の道だ。
「人間性を失った宗教は、人間がつくった最もおそまつなものである」──奴隷制度の廃止のために戦った、勇敢な米国の女性ソジャーナの言葉である。
一、第2総東京の堂々たる前進は、美しき虹のごとく、世界が見つめる「正義」と「文化」と「充実」の天地の上に輝きわたっている。
婦人部・女子部一体の前進においても、そして未来部の育成においても、全世界の模範と光っている。

● 太陽と共に!
一、世の中は変化の連続だ。曇りの日もあれば、雨の日もある。しかし、雲の向こうには、いつも太陽が輝いている。
朝、朗々たる勤行・唱題で、わが胸中に太陽を昇らせれば、きょう一日を勝っていける。
日蓮大聖人の「日」には、太陽の意味がある。
太陽の光は、全人類に、平等に、燦然と降り注いでいる。地位や肩書など関係ない。
太陽とともに生きる皆様が、不幸になるはずがない。絶対に幸せになれる。朝の太陽のごとく、強く、堂々と、すべてに勝利していけるのだ。
創価の太陽として、世紀を照らしゆく皆さま方が、ますますご健康で、ご長寿で、晴れ晴れと、創価の希望の声、前進の声、そして勝利の声を響かせていかれることを祈りたい。
戸田先生は言われた。
「”強気の存在”となれ! そうでなくては、人はついてこない」
最後に、青年部に御聖訓を贈りたい。
「師弟相違せばなに事も成べからず」(御書900ページ)
きょうはありがとう!
お元気で!(大拍手)