投稿者:一人のSGI 投稿日:2016年 9月 2日(金)07時16分44秒   通報
これを、解りやすい様に、水精の玉に例えられた、私たちの生命の層を2つのレベルに分けてみました。

(1)生命の実相、真如の妙理

(2)個々の生命、諸法

a. 個々の生命は十界の境涯を生きているがその一念の中に「染浄の二法」がある。
b. 第8識と大聖人の仏法における宿業転換の法理

では、その詳細を説明しますね

(1)生命の実相、真如の妙理(法性の理、中諦、九識)
- 全ての生命に普遍な、生命の構成、機能、可能性、

我々のひとつひとつの生命は、不変の「法」に則って構成されています。
それは、十界、十界互具、十如是、三世間、又、九識論等で表わされる三千世界の表現の可能性であり、其の生命に脈打っている
因果の法則であり環境に縁して現象を起こす縁起の法則であり、生命は変化を続けながらも永遠であるという生死不二の法則などです。
このレベルの生命の世界では、全ての生命現象の可能性が、一切の差別なく(差という価値観発生以前の全くの自然状態、
全てをあるがままに受け入れ、何も切り捨てない。)同等に存在している生命の実相、南無妙法蓮華経の世界です。

御書にはこうあります。

この御本尊全く余処(よそ)に求むる事なかれ、只、我ら衆生の法華経を保ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の
肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都くしきしんのうしんにょのみやこ)とは申すなり
日如御前御返事 p1244

妙法蓮華経は九識なり十界は八識以下なり - 御義口伝 p714

又、法華経の智慧にはこうあります。( )内は私の私見です

遠 藤;”諸法にはいろいろな差別(違い)があるが、その実相は平等に妙法の当体である’という事なのですね。
名誉会長;そう、実相とは、無明(むみょう)を克服した仏の悟りから見た生命の真実の姿です。
名誉会長;そこでは一切が平等であり、主体と客体、自分と他人、心と物など一切の差異。差別を超えている。
始めもなければ終わりもない。10界の差別も超えている(これは10界がないという意味ではなく、
その差を差別することが無い、、という意味だと思われます。)広大な広がりを持った「永遠の生命」
の世界なのです。
生命であるという事は、躍動であり、智慧であり、慈悲であり、不二の生死であり、法則であり、
大宇宙に広がっても大宇宙が広すぎるという事もない。素粒子に宿っても素粒子が狭くて困る(笑い)
ということもない。
言葉も思考も超えて、まさに不可思議であり、「妙法」としか言いようがない、そういう世界です。

以上 引用終わり

但し、一つだけ大切なことは、九識といっても、八識以下を離れては存在しないし、南無妙法蓮華経といっても、
現実の生命の脈動の場である、個々の生命を離れては、存在しません。