投稿者:一人のSGI 投稿日:2016年 9月 2日(金)07時18分16秒   通報
(2)個々の生命、諸法、10界の生命、(空諦(くうたい)、仮諦(けたい)、五,六,七識を内包した
第八識の宿業の世界)
- (1)の生命の法理が、個の生命レベルで活性化していく

この諸法のレベルを解りやすく説明する為に、aとbの2つに分けました。
a. 諸法(個々の生命)には、一瞬一瞬、10界のどれかの境涯をあらわして生きているが、
本性の不思議な理として、一念(10界の生命)に「染浄(せんじょう)の二法」がある

私達の生命は、一瞬一瞬、外縁に感化されたり、又、環境に巻き込まれながらも、自分の生命の
傾向性や、過去の宿業により、10界の生命境涯の内のどれかの因果を刻み、宿業を創っていきます。
そして、その働きの差に、染(せん)と浄(じょう)の二法があるとおっしゃっています。

「諸法」は即ち是れ染浄の二法、「実相」は即ち是れ真如の妙理なり。
当体義抄文段  日寛上人

一念には染浄(せんじょう)の二法がある。その一つは、汚れた生命で、煩悩(ぼんのう)・業・苦に
左右される迷いの法である。
これを染法という。
いま一つは、清浄な法で、煩悩・業・苦に左右されない悟りの法である。これを浄法という。
十界の上からこれをみれば、染法とは九界であり、浄法とは仏界である。また染法は無明であり、
浄法は法性である。
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1426410.html
当体義抄講義

又、上記の御書の当体義抄にはこうあります。

「染法は熏(くん)じて迷(まよい)と成り浄法は熏じて悟と成る悟は即ち仏界なり迷は即ち衆生なり、」

これらをまとめると、この様になります。

染法 - 汚れた生命で、煩悩・業・苦に左右される迷いの法、生命の無明の側面であり、衆生(9界)に代表される
悪業を積む事に繋がる
浄法 - 清浄な法で、煩悩・業・苦に左右されない悟りの法、生命の法性の側面であり、仏界である南無妙法連蓮華経
に即した生命であり、善業を積む事につながる、悪業の宿命転換、変毒為薬(へんどくいやく)、
転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)などの功徳

爾前教(にぜんきょう - 法華経が説かれる以前の教え)では、仏界と九界は完全に分かれており、
修行を積んで仏界に至るには、九界を捨てる(厭離断九おんりだんく)ことが必定だと考えられてきました。
しかし、法華経にきて初めて、10界互具が説かれ、生命の真実は、低く悪の性質が強い生命境涯にさえも、
仏界の境涯が内包されていることがあきらかになりました。

このことにどういう意義があるのかというと、生命の真実では、染法に染まって悪業をつんだ
低い生命境涯にも、実は 「浄法」の境涯である仏界が、時を待つことなく、すでに内包されているということになります。
結論していえば、私達は誰でも、凡夫の境涯の今のままで、仏の生命の境涯を拓くことが可能だという事です。