投稿者:一人のSGI 投稿日:2016年 9月 2日(金)07時20分4秒   通報
b. 第8識の世界 - この第8識の世界こそ、諸法、つまり上記の a. の個々の生命が10界の生命境涯を
行き来しながら、一瞬も留まることなく変化していく生命の展開の場だと思います。

この8識は、私達の個の生命の住所だと私は思っています。
又、この心識では、3世に渡るあらゆる宿業が収められていることによって、個の独自性が確立されて
いるので、ここを基調にして独自の第5、6、7識が生み出され、統制されており、又ここでは他の生命
との交流があります。
更にこの心識は「無没」といって、どんな変化があっても無くならず、過去、現在、未来へと永遠に続いて
いきます。
先の文から[浄法]という意味を推し量ると、これはまさしく、(1)の「真如の妙理」「第9識」の生命の様相です。
そして逆に「染法」とは(1)の「真如の妙理」「第9識」から遊離した生命境涯、それを別名で「無明」と言い、
これが苦しみの原因となる悪業を形成する悪因になります。

おしなべて、通常の因果の理法を信じる宗教においての宿業についての考え方は、生命には過去からの生命活動における
全ての身、口、意の三業の足跡が記されているので、良い宿業はそれでいいのですが、悪業に紛動された不幸な人生を、
良い方に転換するのには、ひとつ一つ良い宿業を積み上げ、それによって過去の悪業を滅していかなければならないと考えられています。
しかし、この修行法では、目的を達成するのに、気の遠くなるような時間が必要だということになります。

この様な宿業のあり方を「常の因果」又、原因と結果の間には当然時間差があるので「因果異時」といいます。
これも当然正しい真理ではありますが、しかし、この方法だけに留まっている宗教には残念ながら現実を大きく変革する力はほとんどなく、
出口のないような大きな問題を前にして人は絶望の淵に立たされて希望を失う事もあります。

ある宗教では、厳しい戒律で煩悩を制御したり、又、数多くの宗教では、最終的に自分という個の生命の消失を以て、宿業のサイクルを止め
苦しみから脱却するということを目指す思想が生まれました。
しかし、こういう思想は、永い修行の途中において、悪縁の多い現実の中で挫折することの方が多い修行であり、不幸な現況を短期間内に
変革する力は持ち合わせていません。

又、宿業のサイクルを止めるという思想は、生命の実相を無視した、現実性のない教えであり、これも又、精神の混乱を招く事になり、
仏界を拓いて悟りの世界に陶酔するという目的は達成されません。