投稿者:モンブラン 投稿日:2016年 9月 2日(金)14時51分25秒   通報
人は、他人を批判するとき、他人にことよせて自己を語る、という。

池田先生の批判記事を、週刊誌が、立て続けに連載していた頃、私は、その内容のひどさに呆れていた。あたかも、池田先生に、金銭問題・女性問題があるような書きっぷりだった。しかも、妙にリアル。

この掲示板で、秋谷達反逆者の仕業であることを知り、納得した。酒・女・金の問題をおこした自分たちのことを、週刊誌に書かせていたとすると、頷ける。最近、また某週刊誌に、創価学会を悪くしたのは、池田先生である、との記事を書かせている。またしても、同じ手口だ、学会を悪くしている自分達のことを、載せているのではないか。

自分自身を、たいしたものだ、と思い込んでいる幹部は、媚び諂わない会員を忌み嫌う傾向があると思う。組織の課題に向かって、一緒に解決のため努力すべく報告をすると、幹部が、機嫌を損ねてしまう。幹部を批判しているわけではないのに。ひどい幹部にいたっては、組織の課題・問題点を指摘した側を、問題視する始末。

組織の現場で、問題を起こし、嫌われぬいている人物の中に、幹部に取り入ることだけは、すぐれているものがいる。その人物に対し、人を見抜けない、いばった幹部が、現場と真逆の評価を下すパターンをよくみる。結果として、いばっている幹部は、ますます、現場から嫌われることになる。幹部は、なぜ自分のような、すごい信心をしている人間を、現場の会員は、崇め奉らないのだろうか、と不満を常に抱いている。

池田先生の御指導のもと、原田執行部が、指揮をとっている、という会員の大きな誤解が、執行部の権力の根拠だと思う。権力は、あくまで「かり」の力。池田先生と違って、実力ではない。

始終池田先生から、厳しく指導を受けた上で反逆している執行部の面々。会員から多少の抗議を受けたところで、痛くも痒くもないだろう。が、本質は、臆病者の集団。

フィリピンの指導者や民衆が、「勇気」を合言葉に、権力に打ち勝った歴史は、銘記すべきであろう。人を脅して従わせることしかなかったアーミテージ氏は、フィリピンの指導者に、ノーを突き付けられて、絶句したという。

ある幹部に、この掲示板を教えた。常日頃、池田先生の弟子であることを、会合で、話していた人物である。私が、「今こそ、池田門下の力を示すときではないか」というと、相手は無言。

私にいやがらせをした人物にも、この掲示板を教えた。その後、その人物は、あせりまくっていた。

池田先生が、会合で繰り返し、「信心は勇気」「何も恐れるものはない」といっておられた。脅しに屈しない会員が一定数をこえれば、査問・役職解任・除名など、何の意味もなさなくなる。

仏は、一番病の重い提婆達多に慈悲を注がれた。現執行部とその仲間達を、池田先生は、一番心配されているのではないか、と私は思う。一人の犠牲者もださない、とジョーカー様が書いておられた。祈りぬいて、現執行部とその仲間達の生命を、一日も早く、学会から叩き出すことが急務と思っている。

信濃町の人々様  書きたいことは山のようにありますが、何分にも文才がないもので、少しずつ書かせていただきます。よろしくお願いします。