2016年8月26日 投稿者:無冠 投稿日:2016年 8月26日(金)22時21分3秒 通報 全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。 2007・11・28 【広布第2幕 第3回全国青年部幹部会 各部合同協議会】 ■ 一、広宣流布の中核の人材が集う会合は、戸田先生の時代からの伝統である。活動の源泉となる、最も根幹の行事である。 仏法の眼から見れば、本陣に勇んで集い、戦う皆様は、広宣流布の英雄であり、女王である。その功徳は永遠であり、子孫末代に流れ通っていくことは間違いない。 どうか、頑張っていただきたい!〈「ハイ」と決意の声〉 ●師匠の栄冠は弟子の福徳に 一、こうした栄誉の一つ一つが、どれほどの重みをもったものであるか──。 ドイツの大詩人ヘルダーリンはうたっている。「汚されぬ叡知の旗幟(きし)には栄光を/心の正しい者らには名誉と凱歌を!」(高岡和夫訳「調和の女神に寄せる讃歌」、『ヘルダーリン全集1』所収、河出書房新社) 私は、外国の有名な詩人の作品は、青春時代から、あらかた読破してきた。自宅の本棚にも、ずらりと並んでいたし、どこに行っても傍らに本を置いていた。 そのほとんどは、創価大学や学園に寄贈させていただいている。東京・大田の小林町(当時)に自宅があった時、訪ねて来られた方に、ほかに贈るものもなく、差し上げた本も多い。懐かしい思い出である。 ともあれ、ヘルダーリンの叫びのごとく、名誉学術称号とは、その大学の威信をかけて「英知」と「正義」の人格を讃える栄誉である。 ”この人こそ人類の模範なり。青年よ、この人に学べ!”との厳粛なる宣言ともいわれる。 「創価学会の名誉会長」として、私は、世界で第一の数となる栄誉をお受けした。 私自身は、それを誇ったり、自分のことを「偉い」と思う気持ちは全くない。 ともに教育者であった牧口初代会長、戸田第2代会長のお二人が喜んでくださっているに違いない──そのことが、うれしいのである。 牧口先生も戸田先生も、誹謗中傷を浴びせられ、国家によって投獄され、正当な評価を受けることなく亡くなられた。 私は、名誉学術称号をお受けするたびに、両先生にご報告申し上げる。 「先生の仇を討ちました」「また一つ、先生の偉業を後世に残すための、礎をつくることができました」と。 これが、本当の師弟である。 そして、師弟は不二であるがゆえに、師匠の栄冠は、青年部の皆さんに、すべて受け継がれていく。 妙法は不思議である。不可思議の法である。 思うように学校に行けなかった人も、少しも嘆く必要はない。皆さんも、皆さん方のご一家も、永遠に最高の知性と福徳に包まれていく。そのことを確信して、堂々と進んでいただきたい!(大拍手) ●本物よ出でよ 一、今や、世界の心ある知性の人々が、創価学会を正しく評価し、讃え、守ってくださる時代になった。 しかし、この麗しき民衆の団結を見下し、嫉妬の中傷を浴びせる人間もいる。増上慢の反逆の輩も出た。 そうした人間とは、断じて戦うことだ。 先ほど、男子部の諸君に、師子の像をお贈りした。 「青年よ、師子となれ!」 こう私は申し上げたい。 本物の師子は今、いったいどこにいるのか。 戸田先生は言われていた。 「師子になれ。本物の師子にならなければ、広宣流布はできない。そうでなければ、栄誉栄達のための幹部になってしまう。学会はつぶれてしまうぞ」 必要なのは「師子」である。一人になっても、正義を叫び切る「師子」である。 学会の前進を支えてくださっているのは婦人部、女子部の皆様である。 それを分からず、見栄っ張りで、陰で偉ぶり、「いざ戦い」となると、逡巡して、勝負することができない──そんな情けない人間に、なってはならない。 師子となる。 師子を育てる。 これが広宣流布の極意であり、創価学会の使命である。 私は一人、師子として戦ってきた。広宣流布を妨げ、戸田先生に悪口を浴びせる勢力とは、相手がだれであれ、一人で乗り込んででも戦った。 青年部の諸君は、勇気を出してもらいたい。師子となっていただきたい!〈「ハイ」と決意の声〉 ■ 戸田先生が亡くなられたあと、私は世界に一歩を踏み出した。先生の心をわが心として。 嫉妬と陰謀により、私は第3代会長を辞任した。その直後には、神奈川へ向かった。そして世界広布の大航海を開始したのである。 創価の三代の師弟は、身をなげうって戦い、そして勝ってきた。 師弟の道を外れて、栄光はない。 そのことを、諸君は生涯、忘れてはならない。 ●「犬、野干の如き者を恐れるな」 一、戸田先生は叫ばれた。 「学会は師子の団体だ。師子の集まりだ。臆病者はいらぬ!」 青年は、師子王の心で、堂々と戦え! 生き抜け!──これが先生の遺言であった。私は、その通りに戦ってきた。 男子部、頼むよ! 負けてはいけない。男として恥だ。 戸田先生は、こうも言われた。 「師子は、百獣のなかで、いちばん力があるのだ。南無妙法蓮華経と唱えるその音声は、師子の吼ゆるがごとき勢いをもつものであると、大聖人が仰せになられているのである」 題目は、師子の吼ゆるがごとく唱えるのだ。生命の勢いがなければならない。 題目は、胸を張って! 王者の風格で、朗々とあげるのだ。 大声で近所迷惑になってはいけないのは、当然だ。また、声が大きくても小さくても、功徳は変わらない。 そのうえで、力強く祈り、勝つという魂の音律を忘れてはならない。 戸田先生のご指導に、こうあった。 「迫害や怨嫉などに驚いてはならない。いかに学会を憎もうとして、いかに学会を陥れようとして誰人が騒ごうとも、彼らは、犬、野干(=キツネの類)のごとき連中だ。 われわれは師子王である。犬、野干のごときものを恐れて、なんとするか!」 先生の声は、わが胸に深く突き刺さっている。天地を揺るがすような、大音声であった。 ●一番怖いのは内部の増上慢 一、戸田先生は言われた。 「張りつめた信心で、ここまで創価学会はきたのだ。油断するな!」 「最後まで油断は禁物である。指導的立場にいる幹部は、これを忘れてはならない」 また、こう厳しく指導しておられた。 「創価学会という、この偉大な信心の世界を小馬鹿にしたり、批判する者とは戦え! この学会を全身全霊をもって護り支えていくのが、後輩の生命でなければならない。 それを、有名人だから偉くなったつもりで生意気な態度を取ったり、恩人や功労者に下劣な、不敬な言葉を投げつけたりする者は、幹部といえども除名せよ! 叱り飛ばし、除名せよ!」 これが先生の厳粛な遺言であった。 外から学会を破壊しようとする輩とは、言論の剣で戦わねばならない。 しかし、一番怖いのは内部の増上慢だ。こうした人間とは断固、戦わねばならない。 どんな戦いも、戦い抜いたほうが勝つ。戦いをやめたほうが負ける。これが方程式だ。 人生はすべて、戦いなのである。 「生半可な、著名人になったつもりで、学会の仲間を見下げる人間は、叩き出せ! 命をかけてつくってきた学会に、いてもらう必要はない」 これも先生の指導である。 純粋な正義の心で、世界の平和を創造しゆかんとする創価の行進ほど、偉大なものはない。日蓮大聖人の仰せ通りの活躍であり、前進だ。 戸田先生は、“まじめな学会員は本当に尊い。大事にしなくてはいけない”と、よくおっしゃった。 この前進の中にあって、先生が言われた言葉が今でも忘れられない。 「有名人だからといって、断じて威張らせてはいけない。資産家であるからといって、決して増長させてはならない。そんな傲慢な連中は、学会から追い出せ! 創価の前進にはまったく必要のない増上慢だ」 恩師の叫びを、私たちは深く心に刻んでまいりたい。 ●学歴なんか気にするな! 「さらに続けたい。きょうは大阪をはじめ、各地から友が集ってくださっているから。 戸田先生は言われた。 「学歴なんか、気にするな! 学歴や地位など問題ではない。 もっと御本尊への強い確信をもって、自分の仕事、一切のことに、自信を持ちなさい。 引っ込み思案の生き方は価値的ではない!」 大学を出ていようといまいと、たとえ小学校しか出ていなくても、妙法を持った人は、全部、仏である。 社会的にどんなに高い地位の人間よりも、偉大なのである。 学歴などで自分を卑下して、引っ込み思案になっては、損をしてしまう。 学歴や地位などに関係なく、本当の人間をつくり、本当の立派な指導者をつくっていくのが、仏法の世界である。 学歴があるからといって、いい気になり、人をばかにする人間は最低である。学会の世界は、そうであってはならない。 「師匠は、厳しい指導をしなければならないこともある。 戸田先生は言っておられた。 「獅子は、わが子を谷底へ落とし、はい上がった子だけを育てるという。小さい慈悲ではだめなのだ」と。 厳愛は一番、正しいのである。 「師匠の教えたことを、たとえ一つでもわかってくれることが、私は一番、うれしいのだ。そうした弟子が、かわいいのだ」 師匠とは、そういうものである。師匠の教え、師匠の心を生命で受けとめ、理解していくのが本当の弟子である。 「自分で威張るつもりはなくとも、自然に威張るようにさせられてしまうことが、怖いのだ。 学会も、幹部になれば、周囲が、自分を何か偉い存在のように作ってしまう。それに乗ったら恐ろしいぞ。くれぐれも気をつけよ!」 地位のある人間、重要な立場にいる人間は、深く心に刻みつけてほしい。 ●明朗の人は大成 一、戸田先生は指導された。 「苦しいことがあっても、明朗であれ。これが大成する要因なのだ」 この点、学会の婦人部は模範である。何があっても、明るい。朗らかだ。 先生はまた、「学会の指導者は何をもって優れていると言えるか。それはいうまでもなく、信心の力である。その人の持っている才能や財力、社会的立場などでは断じてない」と厳しく言われた。 大事なご指導である。 学会の指導者は、何よりも、慈愛と確信に満ちた「信心の力」を磨いていくべきである。才能とか社会的立場に惑わされてはならない。 また、牧口先生は常に言われていた。 「恩というのは大事なことだ。恩を忘れるようなことがあっては、絶対だめだ」と。 これまでも、学会のおかげで偉くしてもらいながら、世間の名声や権力の”魔酒”に酔い、増上慢になって、恩知らずにも、学会を裏切っていった者がいた。断じて不知恩になってはならない。知恩・報恩こそ、人間の道、仏法の道である。 御書には「不知恩の人なれば無間地獄に堕ち給うべし」(895ページ)と説かれている。そうなっては、かわいそうだから明確に申し上げておく。 ■高杉晋作は、師の理論を基盤にした、民衆による「奇兵隊」を創設。数え29歳という若さで、この世を去った晋作だが、死の前年には幕府軍に勝利を収め、倒幕・維新という、歴史回天への道を開いていったのである。 大事なのは、弟子である。一切は、弟子で決まる。 戦時中、牧口先生と戸田先生は、不敬罪・治安維持法違反の容疑で投獄され、まさに「国賊」と罵られた。牧口先生は獄死されたのである。 私は、両先生を、命をかけて世界に宣揚してきた。口先でも、形式でもない。事実の上で、師の正義を世に認めさせ、後世に厳然と留めて、師の仇を討った。 この仇討ちの魂を、青年部は断じて忘れてはならない。 ●師子王の心で! 一、「英雄は志を遂げるために/誠の一字を貫くのみ」(冨成博著『高杉普作 詩と生涯』三一書房) これも晋作の言葉である。 策略や陰謀に溺れた人間の最後は破滅である。 大事なのは大誠実だ。真実の言葉だ。強き一念だ。 「名利の門をくぐるな/よこしまな企みにかかわるな」(同) 名聞名利の門をくぐるな/ 金儲けや偉くなることばかり考え、派閥をつくったり、正しい人材を批判したり、人を陥れたりする。そういう下劣極まる人間にだけは断じてなるな!──それが革命児の叫びであった。 さらに晋作は言う。 「胸中いささかもやましさなければ/人生に身を処してつねに泰然」(向)と。 その通りだ。 私たちの妙法は、正義の中の正義である。 勇敢に、この道を貫いていく限り、恐れるものは何もない。 たとえ雨が降ろうとも、嵐が吹こうとも、わが胸中には、燦々と太陽が輝き、爽やかな青空が広がっていく。 ともどもに、師子王の心で、堂々と進んでいきましょう! 以上をもって、本日のスピーチを終わります。 皆さん、お元気で! 新たな第2幕の勝利と全同志のご健康とご多幸を祈って、全員で「創価学会、万歳」をやろう! 〈参加者で元気よく万歳三唱。続いて、名誉会長を導師に全員で唱題する〉 長時間、ご苦労さまでした! 本当にありがとう! お父さん、お母さんを大切に! これから、日本中、世界中の総仕上げをしていきます。本部周辺も一段と荘厳します。後に続く皆さんのために! どうか、風邪などひかないように。またお会いしましょう!(大拍手) Tweet