2016年8月25日 投稿者:無冠 投稿日:2016年 8月25日(木)22時57分14秒 通報 全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。 2007-11-24 【婦人部最高協議会】 ■ 一、きょうは、お忙しいなか、また寒いなか、本当にご苦労さま!(大拍手) 窓の外には、美しき満月が輝いている。 最初に、高貴なる月天子を見つめて読んだ句を、敬愛する婦人部の皆様方に贈りたい。 ◎ 満月や 地涌の陣列 輝けり ◎ 満月や 同志の勝利を 照らしゆく ◎ 満月や 我らの勝利を 讃えなむ 早いもので、まもなく師走である。 寒さも、いよいよ厳しくなってきた。 特に北国の同志の健気なる奮闘に、私は心から感謝申し上げたい(大拍手)。 私が最も信頼する婦人部の皆様、そして全同志の皆様が健康で、風邪などひかれないように、私も妻も一生懸命に題目を送っている。 ●「本物の弟子」よ、躍り出よ! 一、日蓮大聖人は、富木尼御前(富木常忍の夫人)に宛てて、こう御手紙を認めておられる。 「私は今でも楽をしているわけではありませんが、昔、特に不自由であった時から御供養をお受けしてきたので、貴女の御恩をまことに重く思っています」(御書990ページ、通解) 三障四魔、三類の強敵が打ち続くなか、来る年も来る年も、勇気ある信心を貫き、真心を尽くしてきた一人の女性の弟子を、大聖人は、このように讃嘆されている。 信心とは、最極の心の世界だ。 そして、その根幹こそ「師弟」である。 いざという時、師匠にどう仕えたか。どう師匠をお護りしたか。 そこに信心の実像が凝結する。 ■ 牧口先生と戸田先生。そして戸田先生と私。 この三代を貫く師弟の精神こそ、学会の根幹である。初代、2代、3代の会長以外に、本当の「師匠」はいない。 後世のために、明確に言い残しておきたい。 権力の魔性を打ち破り、学会は、ここまで大発展した。世界に広布の城をつくり上げた。 仏法は実証である。私という、一人の「本物の弟子」がいたからこそ、戸田先生は勝利したのである。 今また、歴史を開く「本物の弟子」が躍り出ることを、私は強く願っている。 ■ 一、リーダーの皆様は、どこまでも誠実に、謙虚に、会員の方々に接していっていただきたい。自分勝手になったり、増上慢になって、同志を見下すようなことがあってはならない。 特に最高幹部に対して、将来のために、あえて厳しく申し上げておきたい。 リーダー自身が指導を求めていくのだ。 責任ある人間に対して、戸田先生は峻厳であった。それこそ、私の1万倍も厳しかった。 ともあれ、師の教えを生命に刻み、まっすぐに広宣流布の道を進んでいく。皆で力を合わせて団結し、学会を守りきる。悪とは断じて戦う。 そして、全同志の幸福を祈り抜いていく。そういう一人一人であっていただきたい。 ■ 一、釈尊の弟子の一人である耆婆(ぎば)は、名医であった。 多くの難病を治療し、「医王」と讃嘆された。開腹手術や頭手術も行ったと伝えられている。大国・マガダ国の大臣ともなり、社会的地位や名声も、大変に高かった。 彼は反逆の堤婆達多と戦った。また、阿闍世王(あじゃせおう)を釈尊に帰依させてもいる。 その耆婆が、ある時、師匠である釈尊と仏弟子たちを家へ招いたことがあった。 しかし耆婆は、もの覚えが悪く、愚鈍とされている須利槃特(すりはんどく)だけは、わざと招かなかった。耆婆は須利槃特をバカにしていたのである。 釈尊は、大切な弟子を見下す、耆婆の傲慢を戒めた。 皆、かけがえのない尊貴な弟子ではないか。それがわからず、仏弟子を見下す者こそ愚かであり、自分で自分を傷つけているのである。 師の厳愛に、耆婆は目を覚まし、激しく後悔する。そして、同志とともに、師の広大無辺の境涯に学び、偉大な使命の生涯を全うしていったのである。 ■ 創立の父・牧口常三郎先生がよく拝された御聖馴に、「上根(機根の優れた人間)に会っても、自分を卑下してはならない」「下根(機根の劣った人間)に会っても、僑慢になってはならない」(御書466ページ、通解)という一節がある。 この御文を通して、牧口先生は言われた。 「名門の人や、高位・高官だからといって、へつらうのも法を下げる。 いばって、信用をなくすのも法を下げることになる」と。 戸田先生もまた、「傲慢」「慢心」を幾度となく戒めておられた。その一端を学び合いたい。 「真の信仰にめざめたわれわれには、福運を消し、自分自身をも破壊させる慢心の振る舞いだけは、けっしてあってはならない」 「腹の中で学会員を小馬鹿にしたり、大した人間でもないのに自分を偉そうに見せたり、学歴があるからといって尊大ぶる愚劣な幹部もいる」 「学会員を馬鹿にする者は誰であろうと、私は許さない!」 「和合僧を尊重して、我見や増上慢の幹部や議員を叱り飛ばし、異体同心の理想的な広宣流布の前進へと戦う人こそが、信心強盛な仏法者である」 婦人部の皆様方が先頭に立って、聡明に、毅然と学会精神の真髄を堅持して、世界第一の和合の世界を厳護していただきたい(大拍手)。 ■ 一、いわゆる「権力者」と、真の「指導者」とは、どこが違うのか。 それは、他者に奉仕しているか、どうか。後継の人材を育てているか、どうか。ここで見極めることができよう。 ローザ・パークスさんは、「未来の世界がどうなるかは、私たちが今どのように生きるかにかかっています」と強調されていた(高橋朋子訳『ローザ・パークスの青春対話』潮出版社)。 未来のために、今、自分に何ができるか。 一流の人物は、この一点を見つめながら、命ある限り行動を続ける。そして、荘厳な夕日に照らされた全山紅葉の山並みのように、人生の総仕上げを果たしていく。 ■ 仏法の師弟は、あまりにも厳粛である。 そして、あまりにも荘厳である。 かつて戸田先生と私が、都心のお堀端を歩いていたときであった。「あそこにマッカーサーがいるんだ」と、戸田先生が、GHQ(連合国軍総司令部)本部のある立派なビルを指差された。当時の学会には、そんな建物はおろか、車すらなかった。 「私が働いて働いて、いい車を用意します。必ずビルも建てます。それまでは、どうか、長生きをしてください」と申し上げると、「ありがとう!」と破顔一笑された先生。 私は、先生を、何としてもお護りしたかった。 戦時中、正しき妙法を護るために、師匠にお供して、2年間も牢獄に入られた方である。 ここに学会の歴史がある。原点がある。 どれほど大変なことか。どれほど尊敬しても足りない。どれほど尽くしても、ご恩は返せない。 この先生をお護りせずして、何のための学会か。何のための弟子か。 国家権力に踏みつけにされた先生を、日本中、世界中が仰ぎ見る先生にしてみせる!──それが私の誓いであった。 その心があったから、私は戦えたのである。 折伏も日本一の結果を出した。世界に仏法を弘めてきた。 それが師弟の心である。心が大事である。心の創価学会なのである。 ●将の一念が全体を動かす 一、広宣流布の前進を決するのは、リーダーの一念である。 皆を護っていくリーダーが、全責任を担う覚悟で、真剣に誠実に祈っていく。この決心があれば、すべて変わっていく。 学会の幹部は、誇り高き「広布の将」であるとの自覚を持っていただきたい。 「将」の一念は、全体を動かしゆく大きな影響力を持っている。 根本は「祈り」である。要領はいけない。 また幹部は、どこまでも謙虚でなければならない。決して威張ってはならない。 妙法への大確信と、強い責任感は持ちながらも、皆の意見を聞き、皆に教わり、皆に力を発揮してもらいながら、感謝の心を持って指揮を執っていくのだ。 「あの人の行ったところは、必ず勝つ」と言われるような名指揮をお願いしたい。 戸田先生は、いつも私を大変なところ、困難なところへ行かせた。 そして私は、連戦連勝でお応えした。 気取りや格好では、勝つことはできない。 どうか皆様は、多くの人から「さすがだ」と謳われるような、素晴らしき一生を送っていただきたい。 一、戸田先生は、こうも言われていた。 「いずこへ行こうとも、最後まで戸田の弟子だと言い切れる信心ができるかどうかだよ」 私は、どんな時も、戸田先生の弟子として生きてきた。 毎日毎日、朝から晩まで、「先生!」「先生!」と叫びながら走り抜いてきた。死にものぐるいだった。 戸田先生もまた、「牧口先生は」「牧口先生は」と、つねに言っておられた。 これが創価三代の師弟の精神である。 戸田先生の時代、牧口先生、戸田先生を軽んじ、さも自分が偉いように話してばかりいる幹部がいた。その幹部の末路は、みじめであった。 「師匠」が中心である。「自分」が中心ではいけない。 何があろうと、師匠を護り抜く。それは永遠の誇りである。 「大作は、本当によくやってくれた」 戸田先生は、しみじみと言ってくださった。 ■ さあ、「新しい時代」である。「新しい人材」を育てよう! 青年部に力を入れ、大きく大きく変えていこう! 朗らかな前進を願い、重ねて句を贈りたい。 ◎ 満月や 広布の城に 輝けり ◎ 満月や 夫婦で見つめて 握手かな どうか、各地の尊き婦人部の皆様方に、くれぐれもよろしくお伝えください! (大拍手) Tweet