投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年 8月18日(木)23時36分31秒   通報
新・人間革命 清新55より
「宗教を比較、検証するうえで求められる尺度とは何であろうか。平易に表現すれば、『人間を強くするのか、弱くするのか』『善くするのか、悪くするのか』『賢くするのか、愚かにするのか』に要約されよう。」

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54年の総括の先にあるのは、会員一人ひとりが、強くなること、善くなること、賢くなることである。そうなった時にはじめて、54年体質を転換することができる。魔王は、人間を弱くし(臆病)、悪くし(傲慢)、愚か(考えない)にするために、ありとあらゆる戦略を練っているものであり、「あなたのためにならない」と、味方のフリをし、悪と戦う心をくじく。

戦うということは、勇気を出すということとイコールである。それは、自分自身の心に負荷をかけるということである。勇気を必要としない戦いは、戦いではなく、遊びであり、踊っていることに分類される。人は勇気を出したときに強くなれる。緊張感にさらされてこそ、自分自身のレベルは上がる。学会精神とは、勇気を出すことを教えることに他ならない。

信心とは、善く変わるための法である。自分を根本ではなく、御本尊(仏)を根本に生きるからこそ、善く変わることができる。御本尊根本ではなく、役職や組織を根本とすると歪んでくる。幹部になり、自分が偉いと錯覚すると、悪く変わってしまう。どこまでいっても御本尊根本であらねばならない。

54年の大きな問題の一つとして、「ただ組織の方針に従っただけ」という、愚かさである。これは、自分で考えておらず、組織信心に陥っている状態。おかしいものはおかしいと感じる感性が鈍り、自分がない。組織の方針と、自分の意見が完全に一致している人は、要注意である。それが、本当に自分の考えなのかを再検討したほうがいい。組織に合わせることに慣れ過ぎると、おかしいと思う感覚すらなくなる。反対に、賢い人は、あらゆる角度から物事を考えることができるから、安易に同調することはない。

果たして、会員を強くし、善くし、賢くしようとしているのは誰なのか。逆に、弱くし、悪くし、愚かにしようとしているのは誰なのか。むしろ、誰というよりも、自分は一体どちら側の人間なのかを問うべきか。思索あるべしである。